第83話「動く前の日」
朝、拠点に咲が来た。
授業前だった。
玄関を開けたら咲が立っていた。制服姿だ。鞄を持っている。笑顔だ。
「おはようございます師匠!」
「授業は」
「まだ二時間あります! だから来ました!」
俺は咲を見た。
「二時間で何をするつもりだ」
「修行です! 短くてもやりたいです!」
白瀬が台所から顔を出した。「咲ちゃん、朝ごはん食べた?」
「食べてきました!」
「元気だね朝から」
「いつも元気です!」
白瀬が俺を見て笑った。俺は答えなかった。
「わかった。三十分だけだ」
「やった!!」
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演習スペースに出た。
咲が地面に手をついた。
菌根菌が走った。
速い。二週間前より明らかに速い。展開速度が上がっている。
「師匠、見てください!」
咲が菌根菌を地中に沈めた。感知網だ。それをそのまま——密度を上げた。
切り替えなかった。
続けたまま、圧をかけた。
「できてる」
「できてます! 最近急にコツがわかって! なんか急に全部繋がった感じがしました!」
「そういうときがある」
「師匠もそういうことありますか!?」
「ある」
「どんなときですか!」
「覚えていない」
「えー!」咲が不満そうな声を出した。「そこは覚えていてほしいです! 参考にしたいのに!」
「参考にならない。お前の感覚はお前のものだ」
咲が少し考えた。
「……それはそうですね!」
切り替えが速い。
「射程を伸ばしてみろ。今日どこまで届く」
「やってみます!」
咲が集中した。菌根菌が地中を走った。伸びていく。
二十八メートル。
三十メートル。
三十二メートル。
三十三メートルで、少し薄くなった。
「三十三です! 先週より二メートル伸びました!」
「いい」
「三十五、絶対届きます!!」
「焦るな。丁寧に伸ばせ」
「はい! でも絶対届かせます!!」
俺は少し笑いそうになった。
こらえた。
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三十分後、咲が鞄を持って玄関に向かった。
「じゃあ行ってきます!!」
「ああ」
「あ、それと師匠!」
「何だ」
「肩、今日はどうですか!?」
「問題ない」
「本当ですか!? 昨日も同じこと言ってましたよ!?」
「昨日も問題なかった」
「うーん」咲が眉を寄せた。「信用できないです!」
「信用しなくていい」
「それも信用できないです!」咲が靴を履いた。「ちゃんと治してください! じゃないと修行できないじゃないですか! 私が困ります!!」
白瀬が廊下から笑いながら言った。「咲ちゃん正論だよ」
「でしょう!?」
「うるさい」俺は言った。「学校に行け」
「行きます!! でも肩は治してください!!」
咲が玄関を出た。
ドアが閉まった。
白瀬が俺の隣に来た。「元気だね」
「ああ」
「いいじゃないか。拠点が明るくなる」白瀬が笑った。「師匠冥利に尽きるな」
「うるさい」
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午前中、榎本から連絡が来た。
『調べた。少し時間をくれ。ただ——一つだけ先に言う。』
間があった。
『学園長の名前、記録上では「有栖川 透」となっている。』
俺は画面を見た。
有栖川、透。
『透、という名前が引っかかった。水瀬透と同じ字だ。偶然かもしれない。でも——気になった。続きは調べてから連絡する。』
俺はスマホを置いた。
透。
水瀬透。
有栖川透。
同じ字だ。
偶然かもしれない。
でも——榎本が引っかかった。榎本が引っかかるなら、俺も引っかかる。
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昼に桐島に話した。
桐島が少し目を細めた。
「水瀬透と有栖川透」
「同じ字だ」
「……名前を変えた可能性がある」桐島が静かに言った。「あるいは——全くの別人か」
「どちらだと思う」
「わからない」桐島が珈琲を置いた。「でも榎本が引っかかった理由が、名前だけとは思えない。何か他にも見えているはずだ」
「続報を待つ」
「ああ」桐島が頷いた。「ただ——」
「何だ」
「もし学園長と水瀬透が同一人物だとしたら」桐島が俺を見た。「瑞樹に関わる話になる」
俺は答えなかった。
わかっていた。
瑞樹の傍にいた研究員。水瀬透。灰島に消されたはずの人間。
でも榎本も消されたはずで、生きていた。
消されたはずの人間が、生きている。
学園長として、この学園に。
——まだ確信がない。
でも、胃の底が重くなった。
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午後、朝霧が咲の修行を見ていた。
演習場の端に立って、腕を組んでいる。
咲が菌根菌を展開しながら言った。
「朝霧さん、見ててください! 新しい使い方ができるようになったんです!」
「見ている」
「見てるだけじゃなくて感想も言ってほしいです!!」
「……見てから言う」
「はい!!」
咲が地面に両手をついた。
感知網を展開したまま、密度を段階的に上げた。切り替えなかった。
朝霧が少し目を細めた。
「……やるな」
「ありがとうございます!!」咲が顔を輝かせた。「朝霧さんに褒められたの初めてです!!嬉しいです!!」
「褒めていない。事実を言った」
「それが嬉しいんです!!」
朝霧が俺を見た。
俺は頷いた。
朝霧が視線を戻した。「もう一度やれ。今度は左右同時に展開しながら密度を上げろ」
「え、同時にですか!?」
「できないか」
「やります!!できるかわからないですけどやります!!」
咲が地面に手をついた。
左右同時に菌根菌が走った。密度を上げようとした。
右が上がると左が薄くなった。
「あっ——」
「同時に意識しろ。どちらかに偏るな」
「はい!!もう一回!!」
朝霧が静かに見ていた。
心配するより隣にいればいい。
今日は、見ている。
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夕方、瑞樹と廊下ですれ違った。
「今日、咲ちゃん来てたね」瑞樹が言った。
「朝と午後に」
「元気だね、あの子」瑞樹が少し笑った。「廊下まで声が聞こえてた」
「すまない」
「謝らなくていいよ」瑞樹が首を振った。「なんか——明るくていいなって思って」
俺は瑞樹を見た。
「あの子みたいに、まっすぐ声を出せるのって、いいことだと思う」瑞樹が窓の外を見た。「羨ましいっていうより——眩しい感じ」
「ああ」
「17も、そう思う?」
俺は少し考えた。
「……そうだな」
「でしょ」瑞樹が笑った。「あの子、絶対強くなるよ」
「なる」俺は言った。「確実に」
瑞樹が頷いた。
廊下を歩いていった。
俺はしばらそこに立っていた。
鞄の中に、箱がある。
まだ渡せていない。
でも——もう少しだ。
もう少ししたら、渡せる気がした。
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夜、柊からメッセージが来た。
『今日また夢見た! 今日は顔が、もう少し見えた気がする』
『どんな顔だった』
『大人の女性。落ち着いた感じの人。でも目が——なんか、強い感じがした』
俺は画面を見た。
落ち着いた感じ。でも目が強い。
瑞樹だ。
『声は』
『また聞こえた! 今日は少しだけ聞き取れた』
『何と言っていた』
少し間があった。
『「大丈夫」って言ってた気がする。それだけだけど』
俺はしばらく画面を見ていた。
大丈夫。
瑞樹が言いそうな言葉だ。
でも瑞樹は意識して夢を送っていない。実が育てている繋がりが、無意識の何かを届けているのかもしれない。
『そうか』
『なんか、泣きそうになった。なんでだろ』
『わからないか』
『わからない。でも悲しい感じじゃなかった』
『ああ』
『……早く、顔をちゃんと見たい』
俺は少し考えた。
『もうすぐ見える』
『本当に?』
『ああ』
『信じる』少し間があった。『おやすみ、17』
『ああ』
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深夜、窓の外を見ていた。
有栖川透。
水瀬透。
榎本の続報を待っている。
瑞樹への箱。まだ渡せていない。
柊の夢が近づいている。
——俺がやらなければいけない事への覚悟。
それが何かは、まだわからない。
でも近づいている。
全部が、少しずつ、収束に向かっている。
俺は目を閉じた。
今夜は眠れる。
ここは知っている場所だ。




