第81話「笑顔」
呼び出しは午後だった。
学園長室。
今まで一度も呼ばれたことがなかった。四天王になってから、色々と変わった。モテ期もそうだが——こういう形で変わることもある。
ドアをノックした。
「どうぞ」
声が聞こえた。
穏やかな声だった。
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学園長室は広かった。
でも圧迫感がなかった。本棚が壁一面にある。窓が大きい。光が入っている。植物が何鉢かある。手入れが行き届いている。
奥のデスクに人が座っていた。
立ち上がった。
年齢がわからない人間だった。
老人、というわけじゃない。でも若くもない。白髪交じりの髪。細い目。柔らかい笑顔。近づきやすい、という言葉がそのまま顔になったような人間だ。
「来てくれてありがとう。座って」
学園長が手で示した。ソファだ。向かいに座った。
学園長がソファの横のテーブルに、お茶を置いた。
「緊張しなくていい。堅苦しい話じゃないから」
俺は学園長を見た。
笑顔だ。
ただの笑顔だ。
でも——何かが、引っかかった。
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「四天王、おめでとう」学園長が言った。「序列決定戦、見ていたよ。素晴らしかった」
「ありがとうございます」
「君の試合は——正直、見えなかったけどね」学園長が笑った。「何をしているのかわからないまま、相手が倒れていく。ああいう戦い方は初めて見た」
「そうですか」
「九条君のことは残念だった」学園長が少し表情を曇らせた。「家柄も実力も申し分なかった。でも——あの暴走は見過ごせなかった。退学は仕方ない判断だった」
「そうですね」
「君が止めてくれなかったら、もっと大きな被害が出ていた」学園長が俺を見た。「ありがとう。生徒を守ってくれて」
俺は答えた。
「当然のことをしただけです」
学園長が頷いた。
穏やかな人間だ。
話し方が柔らかい。目が笑っている。
でも——言葉の端に、何かある。
うまく言えない。ただ、引っかかる。
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「それと」学園長が続けた。「もう一つ聞きたいことがあってね」
「何でしょう」
「最近、学園の外でも色々動いているみたいだね」
俺は表情を変えなかった。
「そうですか」
「うん」学園長が笑顔のまま言った。「管理局の動きとか、色々あるみたいで。君は巻き込まれていないか、心配でね」
「大丈夫です」
「そう、よかった」学園長がお茶を飲んだ。「学園長としては、生徒の安全が第一だから。特に四天王ともなれば、外部から狙われることもある」
「気をつけます」
「うん、気をつけて」学園長が俺を見た。「榎本、という人物を知っているかい」
俺は一瞬だけ、止まった。
一瞬だけ。
「……名前は聞いたことがあります」
「そう」学園長が頷いた。「管理局の元関係者でね。少し危ない人物なんだ。君の周りに近づいてくることがあれば、気をつけた方がいい」
「そうですか」
「うん。あくまで心配しているだけだよ」学園長が笑った。「学園の生徒を危険な目に遭わせたくない。それだけだ」
笑顔だ。
穏やかな笑顔だ。
でも——榎本の名前が出た。
なぜ出た。
学園長がなぜ榎本の名前を知っている。なぜ俺に言う。
言葉は心配だ。でも心配の言葉の形をした、何か別のものに聞こえた。
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俺は目の能力を走らせた。
解析。
学園長を——読もうとした。
何も、読めなかった。
炎系能力者の弱点も、管理局監視者の動きも、九条の模写も、全部読めた。
でも学園長には——何も引っかからなかった。
能力がないわけじゃない。
読めない、というのとも違う。
ただ——何もない。
鏡に向かっているような感覚だった。
こちらが見ようとすると、見ようとしている自分が返ってくる。
俺は解析をやめた。
表情は変えなかった。
「ありがとうございます。気をつけます」
「うん」学園長が立ち上がった。「また何かあれば、いつでも来なさい。ここは君たちのための場所だから」
俺も立ち上がった。
「失礼します」
「うん。これからも学園を頼むよ、四天王として」
学園長が笑った。
柔らかい笑顔だ。
何も読めない笑顔だ。
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廊下に出た。
ドアが閉まった。
俺はしばらく廊下に立っていた。
おかしい。
榎本の名前を知っていた。危ない人物だと言った。君に近づくかもしれないと言った。
全部、心配の言葉だ。
でも——心配している人間が言う言葉じゃない気がした。
確かめる方法がない。証拠がない。目の能力で読めなかった。それ自体が異常だが、それだけでは何も言えない。
桐島に話す。榎本にも話す。
でも今日のところは——保留だ。
疑いがある。でも確信がない。
確信のないまま動くのは早い。
俺は廊下を歩き出した。
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放課後、桐島に話した。
桐島が俺の話を最後まで聞いた。
しばらく黙っていた。
「学園長が榎本の名前を出した」
「ああ」
「危ない人物だと言った」
「ああ」
「……なぜ知っている」桐島が静かに言った。「学園長が榎本を知っている理由が、ない」
「普通はな」
「管理局との繋がりがあるとすれば——」桐島が止まった。「でも学園長は管理局とは独立した立場のはずだ」
「表向きは」
桐島が俺を見た。「目の能力で読めなかったというのが——一番気になる」
「俺もそう思う」
「今まで読めなかった人間は」
「いない」
桐島がしばらく考えた。
「今日のところは——様子を見るか」
「ああ。証拠がない。動くには早い」
「榎本には話すか」
「今夜連絡する」
桐島が頷いた。「わかった。俺も学園長について調べてみる。表向きの経歴だけでも、何か見えるかもしれない」
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夜、榎本に連絡した。
『学園長が榎本の名前を出した。危ない人物だと言った。』
返信は少し遅かった。
十分後に来た。
『……そうか。気づかれたか、あるいは探りを入れてきたか。』
『学園長を知っているか』
『名前は知っている。でも直接の接点はない。ただ——』
少し間があった。
『灰島が一度だけ名前を出したことがある。深くは言わなかった。でも——珍しく、慎重な言い方をしていた。』
俺は画面を見た。
灰島が慎重な言い方をした。
灰島が慎重になる人間。
『わかった。気をつける。』
『お前も気をつけろ。学園長が動いたとしたら——これまでとは別の話になる。』
俺はスマホを置いた。
窓の外は暗い。
学園長。
穏やかな笑顔。柔らかい声。目が笑っている。
何も読めない。
灰島が慎重になった人間。
——まだ確信がない。
でも。
胃の底に、静かに沈めた。
棚には上げなかった。




