第78話「帰り道」
南口から拠点に向かう道は、いつも同じルートだ。
でも今日は咲がいる。
荷物を持って、隣を歩いている。さっきまで買い物の話をしていた。射程三十五メートルの話をしていた。
それが——五分前だ。
今は違う。
俺は歩きながら、蚜を薄く展開していた。
おかしい。
人通りのある道なのに、三分前から人の流れが変わっていた。自然な流れじゃない。誰かが、意図的に周囲を整理している。
咲がまだ喋っていた。
「師匠、三十五メートルって今の射程から七メートルですよね。一メートルずつ伸ばすとして七週間——」
「咲」
「はい」
「荷物を持ち直せ。右手を空けておけ」
咲が一瞬止まった。
でも止まったのは一瞬だけだった。
荷物を左手にまとめた。右手を空けた。表情を変えなかった。
賢いやつだ。
「何人ですか」
「四人。前に二、後ろに二」
「気配がしないんですけど」
「そういう能力だ」俺は前を向いたまま言った。「気配遮断系。ただ——」
俺は蚜の感知を絞った。
「完全じゃない。わずかに存在の歪みがある」
「師匠には見える」
「見える」
咲が小さく息を吐いた。深呼吸だ。震えていない。
「どうしますか」
「このまま歩く。仕掛けてくるまで待つ」
「仕掛けてきたら」
「お前は後ろの二人を足止めしろ。射程内に引き込んで、動きを封じるだけでいい。倒そうとするな」
「わかりました」
「前は俺がやる」
「はい」
二人で歩き続けた。
街灯が等間隔で続いている。人通りがない。いつの間にか、完全にいなくなっていた。
やはり、整理されていた。
路地に差し掛かった瞬間だった。
---
前から二人が出てきた。
音がなかった。気配がなかった。ただ、いた。
黒い服だ。顔が見えない。装備が整っている。管理局の別派閥——正規の訓練を受けた人間だ。
リーダー格らしい一人が、俺を見た。
何も言わなかった。
目だけが動いた。
俺の目の能力が走った。
解析。
能力:気配遮断+速度強化。暗殺特化の複合型。接近してから一撃で仕留めるタイプだ。
もう一人は支援型。リーダーの動きをサポートする。
「咲」
「はい」
「後ろ、来た」
咲が振り返った。
後ろの二人が路地の両側から出てきていた。
咲が地面に手をついた。
菌根菌が走った。
---
リーダーが踏み込んだ。
速い。速度強化と気配遮断が同時に発動している。目で追えない速さだ。普通なら。
俺には見えていた。
蚜が捉えていた。存在の歪みが、速度を上げるほど大きくなる。逆説的だが、速く動くほど見つけやすくなる。
リーダーが俺の死角に回り込もうとした。
俺は半歩だけ動いた。
リーダーの攻撃が空を切った。
リーダーが止まった。
初めて攻撃が当たらなかった、という顔だ。表情はわからない。でも動きが、一瞬だけ止まった。
その隙間に、式系・笪を展開した。
速度強化が封印された。
リーダーが距離を取った。支援型が動いた。
---
後ろで咲の声がした。
「っ——来ないでください」
菌根菌が地面を走る音がした。
振り返らなかった。でも蚜で感知していた。
咲が後ろの二人を相手にしていた。
一人の足元に菌根菌が絡みついた。動きが止まる。でももう一人が別方向から回り込んでいる。
咲が左に展開した。
遅くなかった。
左からの菌根菌が、回り込もうとした相手の足を捉えた。
二人とも、動きが止まった。
でも——止まっているだけだ。拘束は完全じゃない。
「師匠、足止めしてます。でも長くは——」
「わかってる」
俺は前に向き直った。
リーダーと支援型が再び動き始めていた。
笪で速度を封じたが、支援型が何かをしている。
解析を走らせた。
支援型の能力——封印解除の補助。
リーダーの笪を、少しずつ剥がしている。
時間をかければ戻る。
ならば——時間をかけなければいい。
俺は式系・絔を展開した。
糸が走った。
支援型の腕が、静かに固まった。動作を封じた。
リーダーが俺を見た。
今度は一瞬だけ、動きが変わった。
焦りだ。
支援型を庇おうとした。
それが——隙だった。
俺が踏み込んだ。
---
リーダーとの距離が一気に詰まった。
速度強化がない状態で、俺と正面から向き合うことになった。
リーダーが気配遮断を最大出力にした。
完全に気配が消えた。
目では見えない。
でも俺には——蚜がある。
存在の歪み。
気配を消しても、存在は消えない。
俺は正確に、リーダーの位置を捉えた。
式系・笪。
今度は能力全体に。
気配遮断も、速度強化も、全部封じた。
リーダーが——ただの人間になった。
俺はリーダーの前に立った。
リーダーが初めて俺を正面から見た。
目が、少し変わった。
何かを言おうとした。
---
そのとき。
後ろで咲の声が変わった。
「っ——師匠!」
振り返った。
咲が拘束していた一人が、菌根菌を強引に引き千切っていた。
拘束を破った。
そいつが咲に向かっていた。
咲が後退した。射程を維持しようとしている。でも距離が詰まっている。
俺はリーダーから目を離した。
一瞬だけ。
その一瞬に——リーダーが動いた。




