第76話「モテ期の弊害」
朝、昇降口で靴を替えていたら声がかかった。
「あの」
振り返った。知らない顔だった。一年生だ。制服の感じでわかる。
「四天王戦のとき、助けてもらった者なんですけど」
「もう礼は聞いた」
「あ、えと、そうじゃなくて」女子生徒が何かを差し出した。小さな袋だ。「これ、よかったら」
俺は袋を見た。
「何だ」
「手作りクッキーです。迷惑だったらいらないんですけど」
俺はしばらく袋を見た。
受け取らないのも変だ。
「……ありがとう」
受け取った。
女子生徒が赤くなって走っていった。
俺は袋を鞄に入れた。
廊下の角から桐島が出てきた。全部見ていた顔だ。
「何も言うな」
「何も言っていない」桐島が澄ました顔で歩き始めた。「ただ——鞄の中身が増えているな、最近」
「うるさい」
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一時間目が終わった休み時間。
廊下に出たら、三人組に声をかけられた。
「四天王おめでとうございます」
「ありがとう」
「あの、一緒に写真撮ってもらえますか」
俺は少し考えた。
「……一枚だけだ」
三人が顔を見合わせて、嬉しそうにした。
写真を撮った。
三人が去った後、別の方向からまた声がかかった。
俺は小さく息を吐いた。
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昼休み、屋上に逃げた。
静かだ。人がいない。風が少し強い。
弁当を食べた。
十分後、ドアが開いた。
柊だった。
俺を見て、少し目を細めた。
「ここにいたんだ」
「静かだ」
「そりゃ屋上は静かだよ」柊が隣に座った。「逃げてきたの?」
「休憩だ」
「同じじゃない」柊が弁当を開いた。「今日だけで何人に声かけられた?」
「数えていない」
「わかった。数えたくないくらい、ってことね」
俺は答えなかった。
柊が弁当を食べながら、前を向いたまま言った。
「モテてるね」
「……迷惑だ」
「そう言いながら、クッキー受け取ってたじゃない」
俺は柊を見た。
「見ていたのか」
「たまたま近くにいた」柊が弁当をつついた。「手作りクッキー、ね」
声のトーンが、いつもと少し違った。
俺は柊を見た。
柊は前を向いたまま、弁当を食べている。表情は変わらない。
でも——箸の動きが、少し雑だ。
「柊」
「何」
「何かあるか」
「別に」
間が、一拍早かった。
俺は少し考えた。
「……クッキーは食べない。甘いものは得意じゃない」
柊が動きを止めた。
それから少しだけ、口角が上がった。
「そういう問題じゃないんだけど」
「そうか」
「うん、そう」柊が弁当の蓋を閉めた。「……でもまあ、いいや」
風が吹いた。柊の髪が揺れた。
しばらく二人とも黙っていた。
柊が空を見上げた。「今日、晴れてるね」
「ああ」
「最近ずっと曇りだったのに」
「そうだな」
柊が少し息を吐いた。「……なんか、最近色々あってさ」
「ああ」
「棘がずっとざわついてるし、夢もよく見るし、実の使い方もまだよくわからないし」柊が膝を抱えた。「なのに17は颯爽と生きてるし」
「颯爽とはしていない」
「してるよ。端から見たら」
俺は少し考えた。
「颯爽としているように見えるなら、それは嘘だ」
柊が俺を見た。
「今も——色々ある。整理できていないことも、まだある」俺は前を向いた。「ただ、動いてるだけだ」
柊がしばらく俺を見ていた。
それから小さく笑った。
「……そっか」
「ああ」
「じゃあ私も、動いてるだけにする」
「それでいい」
柊が弁当袋を持って立ち上がった。「屋上、教えてくれてありがとう。静かだね、確かに」
「来るなとは言っていない」
柊が少し目を丸くした。それからまた笑った。今度は最初より少し柔らかい笑い方だった。
「うん。また来る」
ドアに向かいかけて、止まった。
「あ、そうだ」柊が振り返った。「四天王戦のとき、ダメージ与えたじゃない。私」
「ああ」
「あれ——痛かった?」
俺は少し考えた。
「痛かった」
柊が目を細めた。満足そうな顔だ。
「よかった」
ドアが閉まった。
俺は屋上に一人残った。
よかった、か。
柊らしい。
風が吹いた。空が青い。
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午後の授業中、机の下でスマホにメッセージが来た。
知らない番号だった。
『四天王の方ですか。よかったら連絡先を——』
俺はメッセージを閉じた。
どこから番号を入手したのか。
考えたくなかった。
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放課後、昇降口で靴を替えていたら、また声がかかった。
「あの、四天王の——」
「今日はもう無理だ」
俺は靴を替えて、そのまま歩き出した。
後ろで「え」という声がした。
申し訳ないとは思う。
思うが——限界だ。
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拠点に戻ると、白瀬が俺の顔を見て笑った。
「お疲れの顔してる」
「うるさい」
「モテ期の弊害か」
「うるさい」
「鞄に何か入ってるぞ」
「うるさい」
白瀬が笑い続けた。
桐島が台所から出てきた。「夕飯まで休んでいろ。疲れた顔をしている」
「わかってる」
「クッキーは夕飯の後にしろ。甘いものは食後だ」
全員に見られていた。
俺は部屋に引き上げた。
廊下で瑞樹とすれ違った。
「大変だったね」瑞樹が言った。
「見ていたのか」
「白瀬から聞いた」
「あいつは」
瑞樹が小さく笑った。「でも——悪いことじゃないと思うよ。必要とされてる、ってことだから」
俺は少し考えた。
「……そうかもしれない」
「そうだよ」瑞樹が廊下を歩いていった。「おやすみ、17」
「まだ夕飯前だ」
「先に言っておく」
瑞樹の背中が廊下の角を曲がった。
俺は部屋のドアを開けた。
ベッドに横になった。
明後日、榎本と会う。
でも今日は——それだけ考えるのをやめにした。
鞄の中のクッキーは、夕飯の後に食べることにした。




