第72話「波紋」
朝、白瀬に連絡した。
電話ではなくメッセージだ。管理局の中にいる。通話は危ない。
『渡したいものがある。桐野さんへの渡し方を考えてくれ。』
返信は十分で来た。
『わかった。桐野さんに話す。方法は任せろ。』
それだけだ。
白瀬は余計なことを聞かなかった。内容も、経緯も。信頼して動く。
こいつは本当に、そういうやつだ。
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午前中、桐島と二人で組織図を確認した。
テーブルに広げて、もう一度見た。
「この人物」桐島が一点を指した。「副局長だ」
「知っているか」
「名前は知っている。表向きはクリーンな人間だ。能力者管理の改革を推進してきた、という評判がある」
「裏では灰島に協力していた」
「だとすれば——改革の内容も、灰島の意図が入っている可能性がある」桐島が眉を寄せた。「管理局の能力者データベース、収容施設の管轄、予算配分——全部この人間が絡んでいる」
俺は組織図を見た。
一人の人間が、どれだけ深く組織に根を張っているか。十三年かけて作った根だ。簡単には引き抜けない。
「桐野さんがこれを持って動いたとき——反撃が来る」
「来る」桐島が静かに言った。「だから渡し方が重要だ。桐野さん一人に持たせるわけにはいかない」
「コピーを取る」
「ああ。複数の場所に保管する。榎本にも一部持たせるか?」
「榎本はすでに持っている。原本はあいつのところにある」
桐島が頷いた。
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昼過ぎ、白瀬から連絡が来た。
『桐野さんに話した。今夜、人を寄越す。組織図を渡してくれ。場所は追って連絡。』
人を寄越す。桐野が直接来ない。
正解だ。桐野が動いたことを悟られないための配慮だろう。
『わかった。』
送信した。
瑞樹が台所から出てきた。俺がスマホを持っているのを見た。
「何かあった?」
「少し動いた」
「白瀬たちは」
「まだ管理局にいる。でも——動き始めた」
瑞樹が頷いた。
それから少し迷うような顔をして、俺を見た。
「……私にできることがあれば、言って」
俺は瑞樹を見た。
「今は待っていてくれ」
「待つのは得意じゃないけど」瑞樹が少し笑った。苦い笑い方だ。「……わかった」
廊下に戻っていく背中を、俺は少し見ていた。
水瀬透の名前を、まだ話していない。
話すタイミングが来る。でも今じゃない。もう少しだけ——待つ。
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夕方、桐野の使いが来た。
桐島が対応した。若い男だ。桐野の部下らしい。顔に緊張が出ていた。
組織図を渡した。
男が受け取って、深く頭を下げた。
「桐野課長から伝言があります」
「聞く」
「——必ず、帰します」
それだけだった。
男が去った。
桐島が俺を見た。
「桐野さんは本気だな」
「ああ」
必ず帰します。
白瀬と朝霧のことだ。
俺は頷いた。
信じていい人間だと、思う。
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夜、奥津が珍しく台所に来た。
瑞樹と二人で何か話していた。俺が入ると、奥津が少し緊張した。
「邪魔したか」
「いえ」奥津が首を振った。「あの——一つ、聞いていいですか」
「何だ」
奥津が少し迷った。それから言った。
「17の近くにいると、私の能力が安定します。前から気づいていたと思いますが」
「知っている」
「……なぜか、わかりますか」
俺は少し考えた。
「お前の能力は知覚系遮断だ。外からの干渉を遮断する。俺の能力は——外への干渉が強い。お前の遮断と俺の干渉が、ちょうど釣り合う」
奥津が目を丸くした。
「釣り合う、というのは」
「お前が不安定になるのは、外からの能力の波に揺れるからだ。俺がいると、その波が俺に向かう。お前への干渉が減る」
奥津がしばらく黙っていた。
「……つまり、17が盾になっている」
「そういうことだ」
「それは——17に負担がかかるんじゃ」
「ない」俺は答えた。「俺には届かない程度の波だ。気にするな」
奥津が俺を見た。
それから深く頭を下げた。
「……ありがとうございます」
「顔を上げろ。礼はいらない」
奥津が顔を上げた。目が少し赤かった。
瑞樹が横で小さく笑っていた。
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深夜、スマホに白瀬から短い連絡が来た。
『組織図、桐野さんに届いた。明日から動く、と言っていた。俺たちはもう少しかかる。でも——動いた。』
俺は画面を見た。
動いた。
管理局の内部に、波紋が広がり始めた。
静かだが、確実に。
灰島がそれを感知するのは時間の問題だ。
でも——こっちも動いている。
それだけで十分だ。今夜は。




