表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

69/111

第69話「前夜」

 榎本との約束は夜だった。


 昼間は学園に行った。いつも通りだ。授業を受けて、昼休みに桐島と短く話して、放課後に咲の修行を見た。


 何も変わらない日常だ。


 でも全部、少し遠い感じがした。


 咲が菌根菌を展開しながら言った。「師匠、今日なんか変!!!」


「そうか」


「いつもより静か、」


「いつも静かだ」


「もっと静か」咲が手を止めた。「何かあったんですか」


 俺は少し考えた。


「今夜、大事な話がある」


 咲が俺を見た。心配している目だ。十四歳の目だ。


「……気をつけてください」


「ああ」


 咲が頷いて、また菌根菌を展開し始めた。


 こいつは余計なことを聞かない。聞いた上で、信じて待つ。


 それが——少し、助かった。


---


 夜、南区に向かった。


 廃倉庫の入口を押すと、またランタンの光があった。榎本が座っていた。今日はテーブルの上にファイルが複数積まれていた。


「早いな」榎本が言った。


「管理局が動いた。時間がない」


「聞いた」榎本が俺を見た。「白瀬と朝霧に召喚状が出た」


「知っていたか」


「情報は持っている」榎本が淡々と言った。「それが俺の生き方だ」


 俺は椅子に座った。


「今日は何を話す」


 榎本がファイルを一つ取り出した。テーブルに置いた。


「施設Aの研究記録の続きだ。前回見せた分より、踏み込んでいる」


 俺はファイルを開いた。


 データが並んでいる。数値、観察記録、実験の結果。前回より具体的だ。


 途中で手が止まった。


 ある項目に、見慣れない記述があった。


**「被験体の自発的能力発現——予測を超える出力を記録。灰島研究員、計画の前倒しを検討」**


「被験体」俺は顔を上げた。「これは」


「お前だ」榎本が静かに言った。「施設Aにいた頃の記録だ。お前はまだ幼かった。でも能力の発現が、灰島の予測より早かった」


 幼かった頃の記録。


 俺には施設Aの記憶がない。物心がついた頃には、別の場所にいた。


「施設Aにいたのはいつまでだ」


「五歳まで」榎本が答えた。「その後、別の施設に移された」


「なぜ」


 榎本が少し間を置いた。


「計画が変わったからだ」


「計画」


「灰島は当初、お前を施設Aで完成させるつもりだった。でも——ある出来事が起きて、計画を変更した」


「ある出来事」


 榎本がテーブルの上のファイルをもう一つ取り出した。でも開かなかった。


「これを見せる前に、一つ確認したい」


 俺は榎本を見た。


「お前の周りに——施設Aを知っている人間がいるか」


 俺は少し考えた。


「いる」


「話したか」


「少し」


 榎本が頷いた。「瑞樹だな」


 俺は答えなかった。


 答えなかったが、榎本は続けた。


「瑞樹は施設Aにいた。お前より先に。お前が来る前から、ずっと」榎本の目が少し変わった。「灰島がお前に執着した理由の一つは——瑞樹の研究結果があったからだ」


「瑞樹を研究して、俺を作った」


「そういうことだ」榎本が閉じたままのファイルを見た。「瑞樹の能力は——灰島が求めていたものに、非常に近かった。でも完全ではなかった。だから灰島は次を作ろうとした」


 台所が静まり返った。


 俺の中で何かが繋がった。


 瑞樹が施設Bに閉じ込められていた理由。灰島が瑞樹を手放さなかった理由。


 枷、だけじゃなかった。


 まだ、使う気だったんだ。


「瑞樹の能力の正体は」


「それは——」榎本が少し目を伏せた。「瑞樹本人から聞け。俺が言うことじゃない」


 俺は榎本を見た。


 こいつは線引きをする。どこまで話すか、誰が話すべきかを、ちゃんと考えている。


「……わかった」


 榎本が閉じていたファイルをゆっくり開いた。


「ある出来事の話をする」


---


 榎本が話し始めた。


 十三年前。施設Aで、一人の研究員が灰島に反旗を翻した。


 研究の方向性に反対した。計測不能の能力者を「作る」ことへの異議だった。


 その研究員は——瑞樹の傍にいた人間だった。


「今はいない、と瑞樹は言っていた」俺は静かに言った。


「ああ」榎本の声が少し低くなった。「灰島に消された。俺が降りようとしたのも、その直後だ」


「お前はその研究員を知っていたか」


「知っていた」榎本が窓の外を見た。暗い夜だ。「だから降りた。遅すぎたが」


 沈黙が落ちた。


 俺は聞かなかった。その研究員が誰だったか。榎本との関係が何だったか。


 今日は聞かなかった。


 でも——いずれ聞く。


「最後に一つだけ」俺は言った。


「何だ」


「灰島は今、どこにいる」


 榎本が俺を見た。長い間、見ていた。


「わからない」


「本当に」


「本当に」榎本が静かに言った。「灰島は場所を持たない。どこにでもいて、どこにもいない。それが過去回帰能力を持つ人間の——怖いところだ」


 俺は立ち上がった。


「次の接触はいつになる」


「こちらから連絡する」榎本が俺を見上げた。「お前は——整理できているか」


「途中だ」


「そうか」榎本が少し目を細めた。「それでいい」


---


 拠点に戻ったのは深夜だった。


 電気がついていた。


 台所に白瀬と朝霧がいた。二人ともまだ起きていた。テーブルに何も置いていない。ただ座っていた。


 俺を見て、白瀬が言った。


「おかえり」


「ああ」


 椅子を引いて座った。


 しばらく誰も話さなかった。


 白瀬が先に口を開いた。


「明日、出頭する」


「わかってる」


「桐野さんが迎えに来る。午前十時だ」朝霧が静かに言った。「帰ってこられる保証はない」


「……わかってる」


 白瀬が俺を見た。「榎本との話は」


「後で全部話す。今夜じゃなくていい」


「そうか」白瀬が頷いた。「じゃあ今夜は——ただ座っていていいか」


 俺は少し考えた。


「ああ」


 三人で座っていた。


 何も話さなかった。珈琲も出なかった。ただ、同じテーブルを囲んでいた。


 それで——十分だった。


 白瀬がぽつりと言った。


「お前と出会ってから、退屈しないな」


「迷惑だったか」


「全然」白瀬が笑った。「むしろ感謝してる」


 朝霧が小さく頷いた。言葉はなかった。でもそれが答えだった。


 俺は何も言えなかった。


 言葉が見つからなかったわけじゃない。


 ただ——言葉にすると、何か大事なものが零れそうな気がした。


 だから黙って、頷いた。


 時計が深夜二時を回った。


 明日、白瀬と朝霧は管理局に行く。


 帰ってこられる保証はない。


 でも——今夜は、ここにいる。


 それだけを、確かめた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ