第68話「整理」
拠点に戻ったのは夜の十時を過ぎた頃だった。
玄関を開けると、台所の灯りがついていた。白瀬が起きていた。テーブルに珈琲を置いて、本を読んでいた。
俺を見て、本を閉じた。
「どうだった」
「座る」
白瀬が立ち上がって珈琲をもう一杯用意した。俺は椅子を引いた。
しばらく黙って珈琲を飲んだ。
白瀬は何も聞かなかった。待っている。こいつはこういうとき、急かさない。
俺は口を開いた。
「榎本は本物だった」
「そうか」
「十三年前、施設Aの研究員だった。灰島の研究に途中まで関わっていた。降りようとして消された」
「途中まで、というのは」
「ある時点で、研究の方向性に——」俺は少し止まった。「関われなくなったんだと思う。理由はまだ聞いていない」
白瀬が珈琲を持ったまま俺を見た。「他には」
俺はテーブルを見た。
「施設Aは管理局の予算と設備を使いながら、実態は灰島の私的な研究施設だった。管理局上層部の一部は知っていて、黙認していた」
白瀬が息を吐いた。「上層部が共犯、か」
「黙認が共犯かどうかはわからない。でも知っていた」
「……それが今、俺たちを調査している連中と同じ上層部だとしたら」
「同じかどうかは、まだわからない。十三年で人間は入れ替わる」俺は珈琲を飲んだ。「でも組織の体質は変わらない」
白瀬が長い間黙っていた。
「もう一つある」
白瀬が俺を見た。
「灰島の目的はあいつ自身の限界を超えることだ。そのために——計測不能の能力者を研究していた。作ろうとしていた」
「作る」白瀬の声が少し変わった。「それって」
「俺は研究の対象だった。保護じゃない。完成に最も近い存在、と榎本は言った」
台所が静まり返った。
白瀬はしばらく何も言わなかった。珈琲を持ったまま、テーブルを見ていた。
それから静かに言った。
「……怒っていいんだぞ」
俺は少し考えた。
「整理がついてから怒る」
「整理、ついてるか?」
「ついていない」
白瀬が小さく笑った。笑ったが、目は笑っていなかった。
「そうか」
それだけだった。
それで十分だった。
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翌朝、全員を集めた。
白瀬、朝霧、桐島、瑞樹。テーブルを囲んだ。
俺は順番に話した。施設A。管理局上層部の黙認。灰島の目的。計測不能の能力者の研究。
そして——作ろうとしていた、という部分。
瑞樹は俺を見ていた。ずっと見ていた。途中で目を伏せなかった。
話し終えた。
しばらく誰も口を開かなかった。
桐島が先に言った。「施設Aの記録は残っているか」
「榎本がファイルを持っていた。研究記録だ。全部は見ていない」
「次の接触でコピーを要求できるか」
「やってみる」
朝霧が口を開いた。「管理局上層部が黙認していたとして——今の上層部がそれを知っているかどうか」
「わからない。でも」俺は朝霧を見た。「調査を開始したタイミングが早すぎる。施設Bを割ってから、動くまでが速かった」
「監視していた、ということか」朝霧が静かに言った。「施設Bを。あるいは俺たちを」
テーブルに重い空気が落ちた。
白瀬が腕を組んだ。「つまり今俺たちは、灰島と管理局上層部の両方を相手にしている可能性がある」
「可能性がある」
「最悪だな」白瀬が天井を見た。「でもまあ——想定内、か」
「想定内だ」
白瀬が笑った。今度は目も笑っていた。
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瑞樹が口を開いたのは、会議が終わりかけた頃だった。
「一つ、言っていいか」
全員が瑞樹を見た。
「施設Aに——私もいた」
静寂。
俺は瑞樹を見た。
「施設Bに移される前。子どもの頃、施設Aにいた」瑞樹が静かに続けた。「榎本の名前に聞き覚えがあったのは、そのせいだ。顔は覚えていない。でも名前だけ、何度か聞いた」
「灰島に」
「灰島に、じゃない」瑞樹が少し目を細めた。「別の研究員に。榎本のことを——いい人だ、と言っていた研究員がいた」
テーブルが静まり返った。
「その研究員は」桐島が慎重に言った。
「今はいない」瑞樹が短く答えた。それ以上は言わなかった。
俺は瑞樹を見た。
瑞樹は俺を見返した。
言葉はなかった。でも何かが伝わった気がした。
俺には、まだわからない部分がある。瑞樹が施設Aにいた時期。その研究員が誰だったか。
でも今日は聞かなかった。
瑞樹が話す気になったとき、話す。
それでいい。
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夕方、桐野から白瀬に連絡が入った。
白瀬が俺を呼んだ。
「管理局上層部が、正式な召喚状を出した」白瀬が静かに言った。「俺と朝霧に。三日以内に本部に出頭しろ、と」
俺は何も言わなかった。
「桐野さんは引き延ばせる限り引き延ばす、と言ってる。でも限界がある」
「三日」
「三日だ」
俺は窓の外を見た。暗くなり始めた空だ。
三日。
榎本の次の接触がいつになるかはわからない。管理局上層部の動きが本格化する前に、もう一度榎本に会う必要がある。
「榎本に連絡する」
「今夜か」
「今夜だ」
白瀬が頷いた。「俺と朝霧のことは気にするな。桐野さんを信じる」
「信じていい人間か」
「俺はそう思ってる」白瀬が真っ直ぐ俺を見た。「お前は?」
俺は少し考えた。
「……信じていい人間だと思う」
白瀬が小さく笑った。「珍しいな、お前がそういうこと言うの」
「黙れ」
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夜、部屋で榎本にメッセージを送った。
『三日以内にもう一度会いたい。管理局が動いた』
返信は十分で来た。
『明後日。同じ場所。今度はもっと話す』
俺はスマホを置いた。
作ろうとしていた。完成に最も近い存在。
瑞樹も施設Aにいた。その研究員は今はいない。
榎本が途中で降りた理由。
まだ見えていないピースが多い。でも輪郭が少しずつ形になってきている。
灰島が何のために俺を作ったか。
その答えが——近づいている。
俺は目を閉じた。
整理は、まだ途中だ。
でも動くには十分だ。




