第65話「届かず、決着は迫る」
準決勝は翌朝から始まった。
九条の試合が先だった。
演習場に入ってきた九条を、観客席が迎えた。歓声に近い空気だ。名家の御曹司、前評判最強、今年の四天王最有力。その看板が全部揃っている。
九条は真っ直ぐ前を向いていた。整った顔立ちに、一切の揺らぎがない。
俺は対角線上に立った。
審判が開始を宣言した。
九条が動いた。
能力が展開される感触があった。模写だ。俺の何かを写そうとしている。
俺は立っていた。
九条の表情が、初めて動いた。眉が微かに寄った。
写せない。
写すべき「型」が存在しない。俺の能力には形がない。動作がない。起点がない。九条の模写は、掴むべき輪郭を見つけられなかった。
それでも九条は止まらなかった。
別の角度から模写を試みた。観察眼は本物だ。動きの癖、重心、呼吸のタイミング。形のないものの中から、写せる何かを探し続けている。
——悪くない。
俺は少し、集中した。
一瞬だけ、九条の模写が何かに触れた気がした。
式系の端っこに、かすった。
俺は適応した。
それだけだ。
九条が踏み込んだ瞬間、足が止まった。
式系・笪。
能力封印。
音もなく、静かに。
九条の膝が折れた。
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観客席が静まり返った。
九条は膝をついたまま、演習場の床を見ていた。
肩が震えていた。
審判が近づいた。「九条選手、試合を——」
「……黙れ」
低い声だった。
九条が顔を上げた。目が変わっていた。整っていた顔が、初めて歪んでいた。
「俺が、負ける?」
誰にも向けていない言葉だった。自分に言い聞かせているのか、否定しようとしているのか。
「九条家の、俺が」
封印をこじ開けようとしている。これは禁忌として扱われていたはず。それだけじゃない。
昨日の試合で俺が見た能力を、端から引っ張り出し始めた。
一回戦。炎系と衝撃系が激突した試合。あの衝撃系の能力者を、九条は観客席から見ていた。
写していた。
模写が展開された。
衝撃系——でも違う。規模が違う。出力が違う。九条家相伝の模写は、写した能力を原形より増幅して使う。昨日の衝撃系能力者が出していた威力の、比にならない。
審判が叫んだ。「九条、止め——」
遅かった。
衝撃が演習場を走った。
地面が割れた。壁の一部が崩れた。観客席の右側ブロックが吹き飛んだ。
悲鳴が上がった。
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俺はもう動いていた。
観客席の右側。崩れた壁の破片が降ってくる方向に、女子生徒が数人固まっていた。逃げる間もなかった。
式系・籲。
存在を霧化して、一瞬で距離を詰めた。
破片が降り注ぐ直前に、全員を壁際から引き離した。
衝撃が収まった。
砂埃が舞う中、俺は女子生徒たちの前に立っていた。
誰も怪我をしていない。
一人が呆然と俺を見上げた。「……え、今、何が」
答えなかった。
演習場に向き直った。
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砂埃の中、九条がまだ立っていた。
息が荒い。封印をこじ開けて、あれだけの出力を出した反動だ。もう限界に近い。
でも目が——まだ諦めていなかった。
俺は演習場の中央に歩いた。
九条が能力を再展開しようとした。
俺は式系・瘈を使った。
九条の能力の繋がりを、全て断ち切った。
静寂。
九条が倒れた。今度は完全に。音を立てて、崩れた。
長い沈黙があった。
審判がかすれた声で言った。「……九条選手の、反則負けを宣言します」
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騒ぎが収まるまで時間がかかった。
九条が担架で運ばれていく。その横を通り過ぎるとき、さっき助けた女子生徒の一人が小走りで近づいてきた。
「あの、さっき助けてくれて——」
「怪我はないか」
「っ、ない、です。ありがとうございました」
頭を下げた。後ろの数人も慌てて頭を下げた。
俺は頷いて、控室に向かった。
後ろでひそひそ声がした。聞こえていたが、聞かなかったことにした。
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決勝は午後だった。
相手は柊だ。
演習場の中央で向かい合った。柊は真っ直ぐ俺を見ていた。緊張している。でも怯えていない。
「……本気で来い」俺は言った。
「わかってる」柊が答えた。「そっちこそ」
審判が開始を告げた。
柊の棘が展開された。俺の綻びを探している。凪が広がった。全体を把握しようとしている。
俺は動かなかった。
柊が踏み込んだ。
速い。以前より速い。棘で見つけた綻びに、迷わず突っ込んでくる。
俺は式系で受けた。
柊の能力が——一点を貫いた。
痛い。
久しぶりの感覚だった。ちゃんとした痛みだ。どこから入ってきたのか、一瞬わからなかった。
俺は少し笑った。
柊が目を見開いた。「今、笑った?」
「当たったぞ」
「……知ってる」
でも一点だけだった。
俺は式系・祓を展開した。全干渉の解除。柊の能力が霧散した。
柊が膝をついた。
審判が宣言する前に、柊が言った。
「……負けました」
静かな声だった。
演習場がしばらく沈黙して、それから一斉に沸いた。
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四天王が確定した。
17。柊。咲。九条の退学により、四枠目は繰り上がりで決まった。
発表を聞きながら、俺はさっきの痛みを確かめていた。
柊が当てた一点。棘で見つけた綻び。俺の中にある、ほんの小さな隙間。それを柊は迷わず突いてきた。
成長している。
俺も、柊も。
それが——少しおかしかった。悪い意味じゃない。こういうことが起きるとは、思っていなかった。
「17」
後ろから声がした。柊だった。右腕を軽く押さえている。
「怪我か」
「少しだけ。……当たってたんだね、ちゃんと」
「ああ」
柊が少し目を細めた。笑っているのか、泣きそうなのか、よくわからない顔だった。
「次は、もっと当てる」
「来い」
柊が小さく笑った。
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控室に戻る途中、さっきの女子グループがまだ廊下にいた。
俺を見つけて、また頭を下げた。一人が「本当にありがとうございました」と言った。別の一人が何か言いかけて、赤くなって黙った。
俺は頷いて通り過ぎた。
後ろで小声が続いた。
聞こえていた。全部聞こえていた。
聞かなかったことにした。
廊下の角を曲がって、俺は小さく息を吐いた。
——面倒なことになった。




