第109話「17」
白瀬が聞いたのは、翌朝だった。
朝食のテーブルで、珈琲を飲みながら。
「どうやって戻ってきたんだ」
全員が17を見た。
17は少し間を置いた。
「灰島がいた」
全員が静まった。
「死んだ瞬間——目の前に、灰島がいた」
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17が話した。
静かな声で、淡々と。
死んだ瞬間。
どこかわからない場所にいた。
暗くも明るくもない場所だった。
そこに——灰島が立っていた。
「……生きているときと、同じ顔だった」17は言った。「でも——違った。過去回帰能力を持っていない顔だった」
「どういうことだ」白瀬が静かに言った。
「灰島は過去回帰能力を俺に渡していた。だからもう持っていない。でも——あいつは、死ぬ前に何かを仕込んでいた」
「戻る道、か」朝霧が静かに言った。
「ああ」17が頷いた。「戻る道を——俺の中に仕込んでいた。自動的に発動するように。死んだ瞬間に、道が開く」
瑞樹が静かに聞いていた。
「俺は——一緒に戻ろうと言った」17が続けた。
全員が17を見た。
「灰島に。一緒に戻れると思った。戻る道があるなら——二人で戻れると思った」
「灰島は」瑞樹が静かに言った。
「断った」17が静かに答えた。「もう過去回帰能力を持っていないから戻れない、と言った」
しばらく沈黙が落ちた。
「……それだけか」白瀬が聞いた。
「それだけじゃなかった」17が少し目を細めた。「灰島は笑っていた。死ぬ前とは違う顔で」
「……颯太に会いにいかなきゃだしな、と言った」
台所が静まり返った。
瑞樹が——目を閉じた。
白瀬が息を吐いた。
咲が「……よかった」と小さく言った。
朝霧が窓の外を見た。
柊が——静かに笑った。
「そっか」柊が言った。「会いに行けたんだね」
「ああ」17は答えた。「そうだと思う」
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しばらく全員が黙っていた。
珈琲が冷めていった。
白瀬が先に口を開いた。
「……灰島、最後はいいやつだったな」
「最初からそうだったのかもしれない」17は言った。「ただ——止まれなかっただけで」
「そうだな」白瀬が頷いた。「止まれなかっただけで」
桐島が静かに言った。「榎本に連絡する。灰島のことを、話しておく必要がある」
「頼む」
「ああ」
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その日の午後。
17は全員を呼んだ。
台所に集まった。
全員が揃った。
17が全員を見た。
「話がある」
「何だ」白瀬が言った。
「名前だ」
全員が止まった。
「俺の本当の名前を——教える」
台所が静まり返った。
白瀬が少し目を丸くした。
朝霧が静かに17を見た。
咲が息を呑んだ。
柊が——真っ直ぐ17を見た。
瑞樹が——目を細めた。
知っている、という目だった。
17は静かに言った。
名前を。
全員に。
全員が——その名前を聞いた。
白瀬が「……いい名前だな」と言った。
朝霧が静かに頷いた。
咲が「師匠の名前だ!!」と叫んだ。
柊が——目を細めた。
その名前を、心の中で繰り返した。
瑞樹が——小さく笑った。
「ちゃんと名前がある場所に、いてほしいって言ったから」瑞樹が静かに言った。
「ああ」17が答えた。「覚えていた」
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翌日。
学園に行った。
久しぶりだった。
昇降口を入った瞬間、廊下の空気が変わった。
気づいた生徒が、止まった。
「あ——四天王の」
「戻ってきた?」
「しばらく休んでたよね」
「なんか、雰囲気変わった気がする」
ざわついた。
でも17は気にしなかった。
靴を替えて、廊下を歩いた。
桐島が職員室から出てきた。
17を見た。
「戻ったか」
「ああ」
「体の状態は」
「問題ない」
「無理するな」
「わかってる」
桐島が少し目を細めた。
「……よかった」
桐島がそれ以上言わなかった。
でも——それだけで十分だった。
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一時間目が終わった休み時間。
廊下で水無瀬と会った。
水無瀬が17を見た。
「戻ったか」
「ああ」
「色々あったようだな」
「色々あった」
水無瀬が少し考えた。
「……飯、食いに行くか。昼に」
17は少し止まった。
「珍しいな」
「たまにはいい」水無瀬が静かに言った。「お前は一人で抱えすぎる。飯くらい一緒に食え」
「……わかった」
水無瀬が廊下を歩いていった。
17はその背中を見ていた。
桐島も、水無瀬も——ずっとここにいた。
学園という場所に、ずっとここにいてくれた。
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昼休み。
水無瀬と食堂に行った。
二人で食べた。
水無瀬が静かに食べていた。
17も静かに食べた。
しばらく何も言わなかった。
水無瀬が先に口を開いた。
「学園長が——いなくなった」
「ああ」
「管理局は事故として処理した。桐野が動いてくれた」水無瀬が静かに言った。「表向きは何も起きていない」
「そうか」
「お前がやったんだろう」
17は答えなかった。
「……ご苦労だった」水無瀬が静かに言った。「本当に」
「桐島も、お前も——ずっと学園にいてくれた」
「それが俺たちの仕事だ」水無瀬が静かに言った。「でも——お前が戻ってきてよかった。本当に」
17は水無瀬を見た。
「……ああ」
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放課後。
演習スペースに行った。
咲がいた。
17を見て、目を輝かせた。
「師匠!!今日から修行ですか!!」
「まだ一週間休めと言った」
「でも来てくれましたよね!!」
「様子を見に来た」
「それって修行じゃないですか!!」
「修行じゃない」
「…………」咲が少し考えた。「わかりました。じゃあ見ていてください!!様子を見るなら、私が今どこまでできるか見ないといけないじゃないですか!!」
17は少し止まった。
「……勝手にしろ」
「やった!!」
咲が地面に手をついた。
菌根菌が走った。
速い。
展開速度が上がっていた。
感知網が広がった。
密度が上がった。
切り替えなかった。
続けたまま、圧をかけた。
そのまま——伸びていった。
二十八メートル。
三十メートル。
三十二メートル。
三十四メートル。
三十五メートル。
「……!」咲が顔を上げた。「三十五メートル!!届きました!!師匠!!三十五メートル!!」
「見ていた」
「届きました!!約束した三十五メートルです!!」
「ああ」17は静かに言った。「届いた」
「師匠に見てもらえてよかったです!!本当によかったです!!」
咲が——泣きそうな顔で笑っていた。
17は咲を見た。
この子は——強くなる。
まだ途中だ。
でも——確実に、途中だ。
「次の目標は四十メートルだ」
「え!!もう次ですか!!」
「休んでいろとは言っていない。お前に言ったのは俺が休むということだ」
「それ詭弁じゃないですか!!」
「そうかもしれない」
「……わかりました!!四十メートル、やります!!」
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夕方。
廊下で白瀬と朝霧に会った。
白瀬が17を見て、にやりとした。
「学園、久しぶりだろ」
「ああ」
「どうだ。懐かしいか」
「そんなに経っていない」
「でも色々あったからな」白瀬が笑った。「俺は学園に戻ってきたとき、少し懐かしかったぞ」
「管理局に二日いただけだろう」
「二日でも懐かしいものは懐かしい」
朝霧が静かに言った。「体は本当に大丈夫か」
「大丈夫だ」
「無理するな」
「朝霧も桐島も同じことを言う」
「同じことを言いたくなる状態だからだ」朝霧が静かに言った。
白瀬が笑った。「まあ——元気そうでよかった。本当に」
「ああ」
「あとさ」白瀬が17を見た。「名前、教えてくれてよかった。本当に」
17は少し止まった。
「……そうか」
「そうだよ」白瀬が笑った。「呼んでいいか」
「ああ」
白瀬が——17の名前を呼んだ。
廊下で。
自然に。
17は——少し、目を細めた。
「……慣れないな」
「慣れろ」白瀬が笑った。「これからいくらでも呼ぶから」
「うるさい」
「うるさくない」
朝霧が静かに——17の名前を呼んだ。
白瀬より静かに。
でも——確かに、呼んだ。
17は朝霧を見た。
「……朝霧まで」
「悪いか」
「……悪くない」
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日が傾き始めた頃。
教室に戻った。
一人だった。
窓から外を見た。
夕暮れだ。
空が赤かった。
静かだった。
久しぶりの学園だ。
久しぶりの教室だ。
でも——知っている場所だ。
ここは、知っている場所だ。
俺には今——知っている場所が、たくさんある。
廊下から声がした。
白瀬の声だ。
「いたいた!!」
白瀬が教室に入ってきた。
「ここにいたのか」
「ああ」
「みんな探してたぞ」
「そうか」
白瀬が17を呼んだ。
名前で。
廊下から、朝霧の声がした。
名前を呼んだ。
演習スペースの方向から、咲の声がした。
「師匠——!!」
咲が叫んだ。
名前も一緒に叫んだ。
拠点の方向から——瑞樹がメッセージを送ってきた。
名前が書いてあった。
『夕飯できるよ。』
桐島から学園内で声がかかった。
名前を呼んだ。
水無瀬が廊下から顔を出した。
名前を呼んだ。
全員が——名前を呼んでいた。
17は——少し笑った。
誰も見ていなかった。
でも、笑った。
窓の外の夕暮れを見ながら。
名前を呼ばれる場所に、いた。
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「行く」と答えて、教室を出ようとした。
廊下に——柊がいた。
待っていたらしい。
17を見た。
真っ直ぐ見た。
それから——静かに、呼んだ。
17の名前を。
初めて、呼んだ。
白瀬が呼ぶのとは違った。
朝霧が呼ぶのとも違った。
咲が呼ぶのとも違った。
柊だけの——呼び方だった。
17は少し止まった。
柊を見た。
柊が——少し赤くなっていた。
「……呼んでみたかった」柊が静かに言った。
「そうか」
「うん」
17はしばらく柊を見た。
それから——少し、笑った。
さっきより、少し大きく。
「……また呼べ」
柊が——目を細めた。
「うん」柊が笑った。
「じゃあ今もう一回呼んでもいい?」
「さぁ?勝手にしろ」そう言って少し微笑んだ。
「本当にありがとう、零!」




