第105話「綻びの先へ」
柊が根と実を維持していた。
学園長を見ていた。
棘を展開していた。
綻びを探していた。
「……見えない」柊が静かに言った。「穏やかな顔のときは、見えない」
「一瞬だけ見えた」俺は言った。「子どもの顔になったとき」
「うん」柊が頷いた。「あの瞬間だけ。また出てくるかどうか——」
「出てくる」
柊が俺を見た。
「なぜわかる」
「さっき言った言葉が——刺さっているはずだ」俺は学園長を見た。「誰かと笑いたかった。それだけだったと言った。あれは——正しかった」
「……うん」柊が静かに言った。「正しかったと思う」
「だから——また出てくる。一瞬だけ。その瞬間を狙え」
柊が頷いた。
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学園長が動いた。
霧が広がった。
俺は過去に戻った。
別の位置に移動した。
Formula系と式系と過去回帰の同時展開を維持したまま、学園長の存在を全時間軸で定義した。
絔の糸を走らせた。
学園長に絡みついた。
学園長が霧散しようとした。
糸が引っ張った。
切れなかった。
「……またこれか」学園長が静かに言った。
「慣れてもらっては困る」
俺は彙武「乱」を展開した。
両手の刃を走らせた。
学園長の肩に入った。
脇腹に入った。
学園長が後退した。
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白瀬が左から動いた。
朝霧が右から動いた。
同時攻撃だ。
学園長が霧散しようとした。
奥津が遮断を強化した。
霧が薄くなった。
学園長の実体が固まった。
白瀬の攻撃が——当たった。
朝霧の攻撃が——当たった。
学園長が大きくぐらついた。
「……!」
咲が菌根菌を展開した。
学園長の足元から絡みついた。
動きが止まった。
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その瞬間。
柊の棘が——反応した。
「見えた!!」
柊が叫んだ。
学園長の顔が——一瞬だけ変わっていた。
穏やかな笑顔が消えていた。
代わりに——子どもの顔が出ていた。
窓の外を見ていた子どもの顔が。
柊が実を展開した。
学園長の綻びに——実を入れた。
育てた。
綻びの中に、何かが根を張り始めた。
学園長が——止まった。
「……何を」
「綻びから育てています」柊が言った。「あなたの中にある——一番柔らかい場所から」
「やめ——」
「やめません」
柊の根が走った。
実と根が繋がった。
学園長の存在の中に——根が張り始めた。
固定された。
存在が、曖昧になれなくなった。
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俺は踏み込んだ。
Formula:2とFormula:0の多重同時発動
学園長の存在を全時間軸で定義した上で——消去を放った。
学園長が——大きく揺らいだ。
「——っ!!」
今まで以上の反応だった。
学園長の右腕が——消えかけた。
輪郭が、大きく揺らいだ。
学園長が能力を全力展開した。
柊の根が——引き千切られた。
柊が吹き飛んだ。
「柊!!」
「大丈夫!!」柊が立ち上がった。「でも——入りました。根が入りました。少しだけ」
「それで十分だ」
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学園長が体勢を立て直した。
右腕を見た。
輪郭が——まだ不安定だった。
消えかけた部分が、まだ戻りきっていなかった。
「……柊という子の能力か」学園長が静かに言った。「綻びから実を育てて、根を張る。存在の中に根が入ると——霧散できなくなる」
「そうだ」
「面白い使い方ですね」学園長が右腕を押さえた。「でも——」
「でも、じゃない」
俺は過去に戻った。
学園長の真正面に移動した。
Formula系と式系と過去回帰を全力展開した。
学園長の存在を、全ての時間軸で、完全に定義した。
柊の根が残っていた。
学園長の存在の中に、わずかに根が残っていた。
その根が——定義の精度を上げた。
完全に、定義できた。
俺は式系・笪を展開した。
今まで通じなかった。
でも——今は違う。
完全に定義した存在に、封印を重ねた。
笪が——通じた。
「……!」学園長が動きを止めた。
「封印が通じた」
「……初めてですね」学園長が静かに言った。「式系が、完全に通じたのは」
「柊のおかげだ」
柊が後ろで「やった!!」と叫んだ。
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学園長が封印された状態で、俺を見た。
穏やかな笑顔だ。
でも——追い詰められていた。
「……随分と、追い詰められましたね」学園長が静かに言った。「式系に封印された。霧散できない。根が存在の中に張っている。柊さんの根が抜ければ——また霧散できますが」
「抜けさせない」
「柊さんが維持できる限りは」学園長が俺を見た。「でも——あなたも限界に近い。出力がおかしくなっている。寿命を削っているのでしょう。それも——かなり」
俺は答えなかった。
「あと何回、その出力で動けますか」学園長が穏やかに言った。「五回? 三回? それとも——もう限界ですか」
「関係ない」
「関係あります」学園長が静かに言った。「あなたが動けなくなった瞬間、柊さんの根を引き千切ります。そうすれば——封印も解ける。私はまだ負けていない」
俺は学園長を見た。
正しかった。
残りの力は——少ない。
削られていた。
寿命が、削られていた。
でも——まだある。
まだ、ある。
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俺は展開した。
本当に本当に、ふっと息を吹けば飛んでゆきそうな優しく心良い、まるで幼な子に語りかけるように
こう囁いた。
「Formula:X」
今まで一度も使ったことがない。
効果は——永遠に謎だ。
でも——展開した。
周囲の空気が変わった。
全員が——息を呑んだ。
白瀬が「何かが来る」と小声で言った。
朝霧が目を細めた。
咲が「師匠……」と呟いた。
柊が根を維持したまま、俺を見た。
学園長が——初めて、表情を変えた。
穏やかな笑顔が——消えた。
別の何かが出てきた。
「……それは」学園長が静かに言った。「何ですか」
「さあ」俺は答えた。「わからない」
「わからない?」
「俺にもわからない」
Formula:Xが——展開された。
形がない。
色もない。
音もない。
でも——何かが、世界に走った。
学園長の存在に——向かった。
学園長が——動けなかった。
封印されていた。
根が張っていた。
Formula:Xが——学園長の全てに触れた。
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学園長が——大きく揺らいだ。
今まで見たことのない反応だった。
穏やかな笑顔が、完全に消えた。
目が——見開かれた。
「……これは」学園長が静かに言った。「私の存在が——定義されていく」
「ああ」
「全ての時間軸で。全ての概念で。完全に——定義されていく」学園長が俺を見た。「あなたのFormula:Xは——存在を完全に確定させる能力ですか」
俺は答えなかった。
「存在が完全に確定したら——霧散できない。どこにも逃げられない。時間軸にも逃げられない」学園長が静かに分析した。「完璧な追い詰め方だ」
「終わりだ」
「そうですね」学園長が穏やかに——でも今度は、作った穏やかさじゃない顔で——言った。「でも」
「でも?」
「死にません」学園長が静かに言った。「存在が完全に確定した。どこにも逃げられない。でも——私は死なない」
俺は少し止まった。
「存在が確定しても——消えません」学園長が続けた。「私の能力の本質は、存在が曖昧なことではない。存在し続けることです。どんな状況でも、存在し続ける。それが——私の能力の核心だ」
全員が静まり返った。
白瀬が「……まじか」と小さく言った。
朝霧が目を細めた。
咲が息を呑んだ。
柊が根を維持したまま、顔が青くなっていた。
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俺は学園長を見た。
Formula:Xで完全に追い詰めた。
でも——死なない。
存在し続ける能力。
どんな状況でも。
俺の手の中に——残りの力を確かめた。
少ない。
Formula:Xで、かなり削った。
寿命が——限界に近かった。
天神との契約。
全力は最後の一回だけ、と言った。
使った。
でも——足りなかった。
残りの力は——ほとんどなかった。
俺は息を吐いた。
長い息だった。
学園長が俺を見ていた。
「どうしますか」学園長が穏やかに言った。「残りの力は——もうないでしょう。私は死なない。あなたには——もう手がない」
俺は答えなかった。
手の中を確かめた。
灰島が残してくれた温かさが——まだあった。
残りの寿命が——ほとんどなかった。
命が——限界だった。
でも。
でも——一つだけ、残っていた。
天神との会話の一節が、頭の中にあった。
式系を全て使い切ると顕現する。
代償は命。
終章のみ。
——終章だ。
ここが、終章だ。
俺は——式系の全てを、展開し始めた。
「……何をしている」学園長が静かに言った。
俺は答えなかった。
式系・絔。
式系・瘈。
式系・笪。
式系・蚜。
式系・祓。
式系・籲。
式系・刹。
式系・繙。
全部を——同時に展開した。
全部を、使い切った。
学園長が——目を見開いた。
「……それは」
俺の中で——何かが、顕現し始めた。




