表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

103/111

第102話「これが、最期の回帰だな」

 覚えているのは、光だった。


 研究室の窓から差し込む、午後の光だ。


 颯太が笑っていた。


 まだ小さかった頃だ。五歳か、六歳か。


 窓の前に立って、光の中で笑っていた。


 あの頃、颯太の能力はまだ発現していなかった。


 ただの子どもだった。


 よく笑う子どもだった。


---


 颯太が能力を発現したのは、十歳のときだった。


 計測不能だった。


 管理局の機器が全て——ERRORを示した。


 灰島は、その数字を見て——震えた。


 喜びじゃない。


 恐怖だ。


 計測不能の能力は、制御が難しい。


 灰島は研究者だった。


 それが何を意味するか、誰より知っていた。


 颯太に告げなかった。


 心配させたくなかった。


 自分が何とかする、と思っていた。


 間に合わなかった。


---


 十五歳の夏だった。


 颯太の能力が暴走した。


 灰島は研究室にいた。


 連絡を受けて走った。


 間に合わなかった。


 颯太が——倒れていた。


 笑っていなかった。


 目が閉じていた。


 灰島は颯太の手を握った。


 冷たかった。


 何も言えなかった。


 何も、言えなかった。


---


 過去回帰能力を本格的に使い始めたのは、その翌年からだ。


 戻ろうとした。


 あの夏に。


 颯太が倒れる前に。


 でも——届かなかった。


 三十年前は、俺の能力の限界をはるかに超えていた。


 届かなかった。


 届かなかった。


 何度戻ろうとしても、届かなかった。


---


 水瀬に出会ったのは、施設Aを作ってから三年後だった。


 研究員として来た。


 若かった。


 目が真っ直ぐだった。


 灰島の研究を見て——止めようとした。


「これは間違っています」水瀬が言った。「人を道具として扱っている。それは間違っています」


「颯太に届くためだ」灰島は答えた。


「届いた後、どうするつもりですか」


「颯太を助ける」


「助けた後は」


 灰島は答えられなかった。


 颯太を助けた後のことを、考えていなかった。


 三十年間、颯太に届くことだけを考えていた。


 その先を、考えていなかった。


「……考えていなかった」水瀬が静かに言った。「灰島さん、あなたは——息子さんを愛しているんじゃない。息子さんを失った痛みに、囚われているんです」


 灰島は水瀬を見た。


 正しかった。


 水瀬は正しかった。


 でも——止まれなかった。


---


 水瀬が消えた後、灰島は長い間——何も感じなかった。


 感じる余裕がなかった。


 研究を続けた。


 瑞樹を閉じ込めた。


 17を作った。


 全部、颯太のためだと思っていた。


 でも——本当にそうだったか。


 今となっては、わからない。


 颯太のためだったのか。


 それとも——止まれなかっただけだったのか。


---


 学園長に利用されていることに、気づいたのは——ずいぶん後だった。


 気づいた頃には、もう遅かった。


 でも——止まれなかった。


 止まり方を、忘れていた。


 三十年間、前だけを向いていた。


 立ち止まり方を——忘れていた。


---


 17を見たとき、灰島は少し——驚いた。


 設計通りに育っていた。


 いや、設計を超えていた。


 でも——それより。


 仲間がいた。


 隣に立つ人間がいた。


 颯太にも、いた。


 友人がいた。よく笑っていた。


 俺には——いなかった。


 水瀬が消えてから、誰もいなかった。


 17を見て——俺が失ったものが、初めてはっきり見えた気がした。


 颯太じゃない。


 隣に立つ人間だ。


 俺が失ったのは——颯太だけじゃなかった。


---


 今、地面に倒れている。


 空が見えた。


 青い空だ。


 颯太が笑っていた頃の空に似ていた。


 後悔している。


 全部、後悔している。


 でも——17が来る。


 気配がわかった。


 17が来る。


 それだけが——今の灰島に残っていた。




---




 俺は、灰島の前に膝をついた。


 灰島が目を開けた。


「……来たか」


「ああ」


 後ろで戦闘の音がしていた。


 白瀬が叫んだ。咲が菌根菌を展開する音がした。柊が根を維持していた。


 全員が——戦っていた。


 俺のために。


「聞こえるか」俺は言った。


「聞こえる」灰島が静かに言った。「みんなが戦っている音だ」


「ああ」


「……お前のために、戦っている」


「ああ」


 灰島がしばらく空を見た。


「颯太にも——友人がいた。よく笑う友人が」灰島が静かに言った。「俺にはいなかった。水瀬が消えてから、ずっと一人だった」


「水瀬のことは——聞いた」


「そうか」灰島が俺を見た。「水瀬は正しかった。俺は間違っていた。でも——水瀬の言葉を、聞けなかった」


「……後悔しているか」


「している」灰島が静かに言った。「でも後悔しても——颯太は戻らない。水瀬も戻らない。お前に謝っても、消えた時間は戻らない」


「そうだな」


「……お前は」灰島が俺を見た。「俺を恨んでいるか」


 俺はしばらく考えた。


「恨んでいる部分は——ある」俺は答えた。「でも」


「でも?」


「颯太に届けばよかった、とは思う」


 灰島が——目を閉じた。


 長い沈黙が落ちた。


 それから——目を開けた。


「……ありがとう」灰島が静かに言った。


 俺は答えなかった。


 答えなかったが——頷いた。


---


 灰島が手を伸ばした。


「能力を渡す」灰島が言った。「お前にはFormula系がある。受け取れる」


「ああ」


「過去回帰能力で——学園長の存在を全ての時間軸で定義できる。そうすれば式系が完全に通じる」


「わかった」


 灰島の手が——俺の手に向かった。


 その瞬間。


 霧が来た。


 学園長だ。


 全員が必死に足止めしていた。


 でも——学園長が、ここまで来た。


「邪魔をします」学園長が穏やかに言った。「灰島さん。何度も言いますが——用済みです」


「学園長」灰島が静かに言った。


「何ですか」


「お前は——何のために、世界を支配しようとした」


 学園長が少し止まった。


「関係ないでしょう」


「関係ある」灰島が学園長を見た。「お前も——何かを失ったんじゃないか」


 学園長が——少し、黙った。


 穏やかな笑顔が、一瞬だけ揺れた。


 ほんの一瞬だけ。


「……関係ないことです」学園長が静かに言った。「失ったものは、取り戻しません。作り直します。世界ごと」


「作り直しても——同じじゃない」


「同じじゃなくていい」学園長が穏やかに言った。「私が支配する世界なら——誰も、私を無視できない」


 灰島が少し目を閉じた。


「……そうか」


「ええ」学園長が手を伸ばした。「では——」


---


 俺は動いた。


 学園長と灰島の間に入ろうとした。


 体が動かなかった。


 限界だった。


 でも——動こうとした。


 学園長が俺を見た。


「17君」学園長が穏やかに言った。「邪魔をしないでください」


「どけ」


「嫌ですよ」


 学園長の手が——灰島に向かった。


「灰島さん。本当にお疲れ様でした」


 灰島が——俺を見た。


 目が、真っ直ぐ俺を見ていた。


 口が動いた。


 声は出なかった。


 でも——わかった。


 二文字だ。


 俺の、名前だ。


 学園長の能力が——灰島に展開された。


 存在が、曖昧になっていった。


 灰島の輪郭が——霧に溶けていった。


「灰島!!」


 俺は手を伸ばした。


 届かなかった。


 でも。


 灰島の手が——俺の手に触れた。


 最後の一瞬だけ。


 触れた。


 何かが——流れ込んできた。


 温かかった。


 重かった。


 三十年分の、何かが。


 灰島の輪郭が——消えた。


 霧の中に、溶けていった。


 静かに。


 音もなく。


---


 灰島が——いなくなった。


 俺は手を見た。


 何も残っていなかった。


 でも——手の中に、何かがあった。


 形がない。


 でも確かに、ある。


 過去回帰能力だ。


 灰島が——渡してくれた。


---


 俺は学園長を見た。


 学園長が俺を見ていた。


 穏やかな笑顔だ。


「受け取りましたか」学園長が静かに言った。「でも——今のあなたに、使えますか」


 俺は答えなかった。


 手を握った。


 灰島から受け取ったものを、確かめた。


 温かかった。


 まだ、温かかった。


---


 後ろから白瀬が来た。


 朝霧が来た。


 全員が来た。


 白瀬が俺の隣に立った。


 灰島がいた場所を見た。


「……灰島は」白瀬が静かに言った。


「死んだ」俺は言った。


 白瀬が黙った。


 全員が黙った。


 風が吹いた。


 灰島がいた場所には——何も残っていなかった。


 でも。


 俺の手の中に——灰島が残した何かが、あった。


 温かいまま、あった。


「……行くぞ」俺は言った。


 全員が頷いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ