幕間 王太子レオンハルト
夏の初め、ゾンマーフェルト男爵家に王家からの召還状が届けられた。
男爵家の借財の証文はすべて、リンデンタール侯爵家が引き受けた。ヴェルナー商会は既に王家の直接監督下にあり、会頭ギュンター・ヴェルナーは監察院の取り調べを受けている。
そしてミア嬢は、王立図書館管理官兼・政務女官として、王宮に着任している。そのお礼奏上のため、男爵夫妻は王都へ上ってきた。
私はその謁見を、玉座の間ではなく庭の四阿で行いたいと言った。庭園の東の端、蔦の絡む古い四阿。人払いをして、侍従を一人遠くに立たせるだけの、略式の場を設けた。
四阿の階を、夫妻が上ってくる。
男爵は五十に近い年で、日焼けした肌をしていた。指は太く、爪は短く切り詰められている。貴族というより、篤農家を思わせる人物だった。
夫人は、明るい亜麻色の髪を後ろで束ねていた。小柄で、柔らかい顔立ち。私はその髪の色を、少しだけ離れた位置から見つめた。
「殿下。この度は、御温情を賜りまして……」
男爵は、階を上りきる前から既に頭を下げようとして、私は慌てて手を振って止めた。
「男爵、どうか楽に。此度は、こちらから頼んで来ていただいたのだ」
「もったいないお言葉でございます」
夫人が、男爵の袖を軽く引いた。「あなた、そこは違います」と、小声で囁く。男爵が決まり悪そうに頭を掻いた。
私はその仕草を見て、口の端を微かに緩めた。
(……ミア嬢に、似ているな)
恐縮の仕方が。人を疑わない目の色が。詫びなくてよいところまで詫びるところが。夫の隣で、そっと袖を引いて言い添える、その手つきが。
ミア嬢は確かに、この夫妻の娘として十八年を過ごしてきた。それは疑いようのない事実だった。夫妻がミア嬢を娘として愛しんできた十八年は、誰の手にも消せない。
私は二人を四阿の卓に案内し、茶を勧めた。男爵夫妻は、道中の話や領地の作柄の話、王都の物価の話をした。私は聞き手に回った。時折、道中で夫人が咳をしたと男爵が心配し、夫人が「あなた、それは十日も前のことです」と苦笑していた。夫の袖を、指先で軽く引きながら。
(……私は)
私は、茶器の中で揺れる水面に映る自分を見ていた。
(父上と母上に、似ているだろうか)
息子の軽率な婚約破棄を、一夜で「陰謀を暴いた武勲」に書き換えられた父上。それを聞いて、眉一つ動かさずに頷かれた母上。
あの二人の子として育った私は、こういう茶の時間を知らない。父の袖を引いて言い添える母を知らない。詫びなくてよいところまで詫びる父を、知らない。
私は傍らに控えるエレナに、一瞬だけ視線を送った。
エレナは四阿の柱の陰から、私の内心を透かし見るような目でこちらを見ていた。それから、かすかに笑って――頷いた。言葉はなかった。ただ、それだけだった。
あなたが何者であるかは、あなた自身が決める。血ではなく、あなたの治世が決める。エレナがあの日、王宮の東離れの部屋で私に押しつけた、あの重さ。今この四阿で、彼女は共犯者としてもう一度、静かに頷いてよこした。
私は、茶器の中の自分から目を上げた。
◇
半刻ほどの他愛のない会話ののち、男爵夫妻は辞去の挨拶をした。
四阿の階の下で、二人は並んで深々と頭を下げた。
その時、夫人が頭を下げたまま、両手をゆっくりと身体の前に運んだ。掌を合わせるのでもなく握るのでもなく、指先だけをそっと組み合わせた。
私の目が、そこで止まった。
(……ああ。私は、その仕草を知っている)
幼い頃から、教育係に幾度となく咎められた仕草だった。「殿下、御手が」と。私は緊張すると、指先が震えてしまう。それを隠すために、いつの頃からか指先を組むのが癖になった。何度も直そうとして、ついに直せなかった癖だ。
私は、自分の背に回した右手を、そっと握り込んだ。
「男爵」
「はっ、はい!」
「……道中、お気をつけて」
「もったいないお言葉にございます」
夫妻はもう一度頭を下げ、それから庭の小道をゆっくりと歩き去っていった。
私は、その背を、長く見送った。
階を降りるとき、夫人の指先はまた、身体の前で組まれていた。ほんの一瞬、そして、離れた。
私は自分の背後の右手を握り込んだまま、動かせなかった。




