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ミア嬢の嗚咽が細くなり、やがて肩の震えが落ち着き始めた頃、わたくしは椅子に戻り、静かに口を開いた。
「ミア様。わたくし、殿下にすべてを申し上げようと思いますの」
ミア嬢が、涙で腫れた瞼を上げた。
「……えっ」
「レオンハルト殿下に、全てを。今回集めた事実、全部」
「エレナ様、どうして」
「あら。おかしいかしら?」
「だって殿下は、エレナ様を――その、お捨てになったじゃないですか」
「ええ、切り捨てられましたわね」
「じゃあ、どうして」
「殿下をお切りして、わたくしたちが殿下を操る『あの方』に勝てるとお思いに?」
ミア嬢が息を止めた。
「勝てませんわ。わたくしに王宮は動かせない。殿下にはそれができる。それが、第一の理由ですわ」
「……」
「それに」
わたくしは、少しだけ視線を落とした。
「……十年ですのよ、ミア様」
「え」
「わたくし、あの方の妃になるために十年を使いましたの。……わたくしの人生の十年分の帳簿を、まだ締めていませんわ」
ミア嬢は、しばらくわたくしの顔を見つめていた。それから、涙で腫れた瞼を伏せ、ほんの少しだけ首を傾げた。
「……エレナ様」
「なに?」
「帳簿を締めるから、ですか?」
「当たり前ですわ。それ以外に何がありますの?」
「そう、なんですか」
わたくしはそこで、視線をミア嬢に戻した。
「何かわたくしが見落としていることがございまして?」
「……いえ。何も」
ミア嬢は、目を伏せたまま、口の端を微かに緩めた。それは、涙を流し終えたばかりの顔とは思えない、どこか大人びた微笑だった。
わたくしはショールの端を指先で挟み、そっと擦った。「考えている」わけではない。ただ、わたくしの胸の内で沸き上がった何かを、指先で押し潰したいだけだった。
◇
数日をかけて、わたくしたちは手配を整えた。
場所は、王宮の東離れ。十八年前の夜に二人の赤子が生まれた、あの離れの一室である。人の手が長く入っていない部屋を、「王太子妃教育の予習に、静かな場所を」との名目で借り受けた。ブルーメあたりに嗅ぎつけられる恐れはあるが、あの方の「耳」が入り込みにくいという利点が勝った。
殿下への手紙は、わたくしが自らの手で書いた。侯爵領産の紙に、殿下が普段お使いのインクで。それは侯爵邸にはなかったが、ミア嬢が調達してきた。書記の仕事ですからと、彼女は事もなげに言った。
文面は、たった一行。
『十八年前の夜のことで、お話がございます。お一人でいらしてくださいませ』
差出人の署名はなし。代わりに右下に一文字だけ、わたくしのイニシャルを残した。
殿下は、来る。
わたくしがそう確信していたのは、十年間、隣に立ってきた者としての勘だった。
◇
東離れの一室に、灯りは最低限だけ置いた。窓は木の鎧戸で閉じ、暖炉の火だけがぼんやりと壁を照らしている。埃と乾いた古い布の匂いの混じる部屋の空気は、秘密の会合にこれ以上ない雰囲気をもたらしていた。
わたくしとミア嬢は、扉の正面に並んで立った。ミア嬢はもう、震えてはいなかった。書斎で泣き止んでから、彼女は不思議と落ち着きを取り戻していた。彼女の中で、何かの折り合いがついたのだろう。
やがて廊下に足音が近づいてきた。ゆっくりと、確かめるような歩調。それが、この離れに近づくにつれ、一度だけ迷うように止まった。それから、また歩を進めた。
扉が、押された。
レオンハルト殿下は簡素な外套を纏って、一人で立っていた。頭巾の下から覗く亜麻色の髪が、暖炉の火に染まっている。
青灰色の瞳が、まずわたくしを捉えた。次にミア嬢に移り、そこで一度、瞬いた。それから、もう一度わたくしに戻ってきた。
「……エレナ。これは、どういう」
「殿下」
わたくしは深く、深く礼をした。淑女の礼のうち、最も丁寧な礼を。
「ご足労、痛み入りますわ」
わたくしは、そこで顔を上げた。頬に浮かべたのは、王妃教育で身に着けた微笑みのうちの、どれでもない顔だった。
殿下の指先が、わずかに動くのが見えた。婚約破棄を告げられた際にも見たあの震え、と一瞬だけ思ったが、震えではなかった。ただ一度、拳を強く握られただけだった。
「エレナ」
「殿下」
殿下の問いかけを遮り、わたくしは静かに、けれど確かな声で告げた。
「わたくしは今から、あなたの人生を壊します」




