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その夜、書斎の扉を閉めて暖炉に薪をくべ、机の上にランプを二つ灯した。わたくしとミア嬢だけの空間ができあがった。
わたくしは椅子を、彼女の正面に引き寄せた。
「ミア様。ここまで判明したことを、一度整理いたしますわね」
「はい」
「先に申し上げておきますわ。これから話すことは、王国の在り方そのものをひっくり返しかねない話です。心構えを」
「……はい」
ミア嬢は膝の上で両手を握った。針仕事で荒れた指先が、白く強張っている。
「まず、十八年前の五一二年、十月十一日の夜。同じ王宮の東離れで、王妃アマーリエ様と、あなたのお母様マルタ様が、それぞれご出産なさいました」
「はい」
「立ち会った侍医ヴィルヘルム殿は、翌年、王都で最も高価な街区の一つに屋敷をお買いになっています。仲介したのは、ヴェルナー商会」
「……はい」
「三年後、ヴィルヘルム殿は病没。娘のルイーゼ嬢は聖アンネ修道院へ入られました。修道院への持参金も、継続的な寄進も、出所はヴェルナー商会。ルイーゼ嬢が修道院に持ち込んだ『父の書き付け、一綴』は、十年前に王弟宮の使者によって回収されています」
「……」
わたくしはそこで、一度言葉を切った。ミア嬢の呼吸が浅くなっているのが、灯りの揺れる横顔からも見て取れる。
「ミア様、ここまでの繋がりで、既に大筋はお分かりでしょう?」
「……はい」
「では、なぜ――という話をしませんとね」
わたくしは、椅子の上で背筋を伸ばした。
「もし十八年前の夜、王妃様がご出産なさったのが男児ではなく女児であったなら、どうなっていたと思いまして?」
「え……」
「王妃様は元来、ご病弱な方。けれど、王家に男子の後継ぎがなければ、お世継ぎのためにと無理をしてでも次の御子をお望みになるでしょう。この国に女王の例はございますけれど、貴族院の保守派は根強く、彼らは容易には認めませんもの」
「……そう、ですね」
「では、第一子が壮健な王子であったなら?」
「……もう、次を望む必要が、ない」
「ええ。王妃様が無理をなさる理由が、なくなりますわ」
ミア嬢が、目を伏せた。指先が細かく震え始めている。
「王子一人だけの状況を作る。それが、あの方の狙いだったのでしょう」
「どうして、そんな……」
「王家の血脈を、一本の細い糸にするためですわ。そしてその糸を、ご自分の手で、好きなときに切るため」
わたくしは、机の上で両手を組み合わせた。
「あの方の目論見は、二案あったと考えますわ。ひとつ、頃合いを見て王子の本当の血統を暴露する。王子は王子でなくなり、王弟殿下が唯一の正統な男子として王位を継ぐ」
「……」
「ふたつ、あなたを『真の王女』として担ぎ出す。男爵令嬢として育った王女は、格好の傀儡になりますもの」
「……」
「どちらに転んでも、あの方が勝ちますわ。十八年、待たれた甲斐がありますこと」
「では、どうして、今なのですか」
「陛下のご体調に、陰りが見え始めております」
「あ……」
「レオンハルト殿下もご成人され、譲位をお考えになられても不思議ではございません。そして、わたくしと殿下の婚儀が成れば、殿下にはリンデンタール侯爵家という強力な後ろ盾がつきます」
「あ」
「わたくしが、邪魔でしたのね。十八年の計画の、最後の障害物ですわ」
あの婚約破棄は、国家転覆計画の事務手続きの一つだったのだ。
わたくしは、内心で自分に呟いた。
(……舐められたものだわ)
そして、この十八年、一度も尻尾を出さずに待ち続けた男への、わたくしの評価。
(この方は有能ですわ。無能な野心家なら、十八年も待てませんもの)
ただ待つ、というのは難しい。待てて、しかも十八年間、ほとんど何一つ綻びを見せなかった。
……一度だけ、封蝋を不用意に押してしまうまでは。
◇
ミア嬢の身体が、椅子の上で小さく揺れていた。
「……いやです」
「ミア様?」
「わたし、王女になんて、なりたくない。王位争いなんて、絶対に、いや」
彼女の声は震えているのに、内容だけがきっぱりと、真っすぐだった。
「わたし、お父様とお母様の娘でいたいんです」
「……」
「借金だらけで、領地は痩せていて、お父様は人が良すぎて騙されてばかりで、お母様はいつも繕い物をしていて」
ミア嬢の瞳から、涙が一滴だけ零れた。
「……でも、わたしの家なんです。あそこがわたしの家なんです。わたしが王女になったら、あの家は、わたしの家じゃなくなる」
わたくしは、ただ彼女の言葉を受け止めた。同意も、否定もしなかった。
そしてミア嬢は、もう一つの事実に気づいたらしかった。両手で顔を覆ってしまう。
「エレナ様。……じゃあ、殿下は」
「ええ」
「お父様と、お母様の……本当のお子」
「そういうことになりますわね」
ミア嬢の肩が、震え始めた。今度は、震えを止めようとはしなかった。
「ひどい」
彼女は、掌の下でそう呟いた。
「ミア様」
「お父様とお母様は十八年間、ご自分のお子を、一度も抱けなかったってことじゃないですか」
「……ええ」
「お母様は、王宮からいただいたお守りだって、ずっと大事にしていて。それが本当は……」
言葉が続かなかった。ミア嬢は掌の下で、声を殺した嗚咽を漏らしている。
わたくしは椅子から立ち上がり、彼女の隣に立って、その髪の上に手を軽く置いた。撫でるでもなく、ただ、置くだけだった。それが今、わたくしにできる唯一のことだった。
わたくしはそれ以上、言葉を継がなかった。今、ミア嬢に必要なのは事実の追加ではない。既に受け止めた事実の重さに、彼女の心が慣れる時間だ。




