↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒い災厄は、聖なる伴侶の檻から逃げられない~前世で俺を殺した英雄が、今世では赤い糸で俺を閉じ込めてくる~  作者: なつめ
第四章 【仮の名と白い花】

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

74/134

第72話 一パーセント



 寮部屋の鏡の前で、ノア・クロウは首元を見ていた。


 夜明け前の部屋は、まだ薄暗い。窓の外では学院の塔が朝霧に沈み、魔力灯の青白い光だけが机と寝台の輪郭を照らしている。水差し、畳まれた制服、昨夜レオが整えた治癒用の布。どれも静かで、何も起きていない部屋の顔をしていた。


 だが、鏡の中の首輪だけは違った。


 伴侶首輪《メイト・カラー》。


 薄い赤い輪の内側に、黒い亀裂と白い花紋が残っている。その亀裂の縁に、昨夜から新しいものが浮かんでいた。


 黒い数字。


 一。


 ただの数字に見える。


 けれど、ノアには分かった。


 照合率一パーセント。


 魔導名簿の古い登録欄で、イリアス・ノクスヴェルトの状態が「死亡」から「照合中」へ変わった。その進行が、伴侶首輪に刻まれている。


 ノアはしばらく鏡を見た。


 それから、乾いた声で言った。


「俺の魂、進捗管理されてる?」


 背後にいたレオ・アステルレインが、息を止めた。


 彼は寝ていない。夜の間ずっと、ノアの喉と首輪、魂糸の状態を確認していた。水はもう三度替えられている。治癒魔法も、過剰にならないぎりぎりで何度も流された。髪も整えられている。寝具も替えられている。


 ノアの身体は休まっているはずなのに、休まった気がしない。


 なにしろ魂に数字を刻まれている。


 人間、健康診断の結果でももう少し遠慮して出してくる。敵、通知のデザインが最悪だ。


 レオは鏡の中の黒い数字を見た。


 青い瞳から、温度が消える。


「消す」


「消せるならな」


 言うより早く、レオの指先に白金の聖魔法が灯った。


 ノアは眉を上げる。


「待て」


 レオは止まらなかった。


 いや、止まれなかったのだろう。


 白金の光が、首輪の内側に浮かぶ黒い数字へ伸びる。昨夜までのレオなら、問答無用で封じただろう。最近は許可を取るようになっていた。触れる前に聞く。喉を癒す前に確認する。声を閉じる前に止まる。


 それでも、数字を見た瞬間、理性より先に恐怖が動いた。


 一パーセント。


 その数字が、レオには死の秒読みに見えたのかもしれない。


 白金の光が黒い数字へ触れた瞬間、首輪の奥で何かが軋んだ。


「っ……!」


 ノアの喉が詰まる。


 数字そのものは首輪の表面に浮かんでいるように見えた。だが実際には、魂名照合の進行を表示しているだけだった。表面を削っても意味がない。むしろ、数字へ触れる魔法が魂糸の奥へ逆流する。


 胸の中心を細い刃で押されたような痛みが走った。


 瞳孔が開く。


 息が浅くなる。


 ノアは片手で鏡台を掴んだ。


「っ……だから、力技すんなって……」


 レオの魔法が、即座に止まった。


 白金の光が消える。


 レオの顔が、真っ青になっていた。


「ノア」


「今の、俺の首輪じゃなくて、魂糸の奥に来た」


 ノアは喉を押さえ、息を整える。


 声は出る。


 だが、一瞬だけ、名前を呼ばれた時と同じ感覚があった。胸の奥を前世の死亡記録へ引かれるような、嫌な痛み。


 レオは手を引いた。


 完全に。


 指先を握りしめ、動かさないようにしている。


「僕が、負荷をかけた」


「そうだな」


 ノアはあえて否定しなかった。


 ここで優しく誤魔化すと、レオはまた同じことをする。人間でも王子様でも、過保護は放置すると増える。湿気よりしつこい。


 レオの喉が小さく動く。


「痛かった?」


「まあ、痛い」


「ごめん」


「謝罪は受け取る。次は考えろ」


 ノアは鏡へ向き直る。


 黒い数字は消えていない。


 一パーセント。


 腹立つほどはっきり残っている。


「ほらな。消えてない」


 レオはその数字を見つめた。


 その目の奥で、また何かが沈む。怒り。恐怖。自己嫌悪。全部が混ざっている。


「僕が触れたせいで、広がった?」


「広がってはない。たぶん。ただ、奥に響いた」


「それでも、僕が痛がらせた」


「そうだな」


 ノアは首を少し回す。


 首輪の熱はまだある。だが、激しい痛みは引いた。重度反応にはならない。中度。喉の詰まり、瞳孔の開き、胸の奥の圧。それだけで済んだ。


 それだけで済んだ、という表現がもうだいぶ駄目だ。学園生活、もっと穏やかであれ。


 レオは低く言った。


「手放せない」


「いきなり何」


「消そうとして、君を痛がらせた。それでも、見ているだけもできない」


「見てろとは言ってない。考えろって言った」


「うん」


「お前の保護が敵に利用されるって、もう何回かやってるだろ」


「分かっている」


「分かってても動くんだろ」


「……動いた」


「正直」


 ノアは小さく息を吐いた。


「じゃあ次は、動く前に一回止まれ。深呼吸でもしろ。俺の名前でも呼べ」


「ノア」


「今じゃない」


「呼びたかった」


「そういうとこだぞ」


 レオの指先はまだ震えている。


 ノアは、それを見る。


 昨夜、魔導名簿でイリアス・ノクスヴェルトの状態が「死亡」から「照合中」へ変わった。レオにとって、それはただの記録変更ではない。前世で腕の中に抱えた死が、現世のノアへ手を伸ばしている証拠だった。


 だから焦る。


 だから失敗する。


 分かる。


 分かるが、許すかは別だ。


 ノアは鏡台に肘をつき、掠れた声で言った。


「レオ」


「何?」


「俺を守るなら、俺の痛みを増やすな」


 レオは目を伏せた。


「うん」


「一パーセントくらいで焦るな」


「一パーセント進んだ」


「たった一パーセントだ」


「進んだことには変わらない」


「戻す方法を探せばいい。消しゴムで魂こするみたいな真似はやめろ」


「分かった」


「ほんとに?」


「……努力する」


「はい出た、便利なやつ」


 ノアは呆れたように笑った。


 その笑いに、レオの赤い糸が少しだけ緩む。


 伴侶首輪の白い花紋が、黒い数字の周囲で淡く光った。


 一パーセント。


 数字は消えない。


 けれど、それ以上進む気配もない。


 少なくとも今は。


 朝が来る頃、レオはようやくもう一度、ノアに近づいた。


 今度は、急がなかった。


 水杯を差し出し、低く聞く。


「飲める?」


「飲める」


「喉を診てもいい?」


「どうぞ」


「魂糸も」


「表面だけな。奥に触るな」


「うん」


 レオの聖魔法は、さっきとは違って慎重だった。


 白金の光が、喉の周囲を薄く包む。魂糸の発声経路を外側から整え、首輪の熱を少しずつ鎮める。数字には触れない。亀裂にも無理に干渉しない。ただ、ノアが呼吸しやすいように、声が出しやすいように、痛みが広がらないように調整していく。


 ノアは目を細めた。


「昨日よりは学習してる」


 レオの手が一瞬止まる。


「君を痛がらせた」


「それは事実」


「忘れない」


「重い」


「忘れたらまたやる」


「それもそう」


 ノアは水を飲んだ。


 喉が少し楽になる。


 レオは、ノアの首元を見つめたまま言った。


「一パーセントの原因を調べる」


「セドリック先生に投げよう」


「僕も見る」


「また過保護」


「これは必要な方の過保護」


「過保護に種類を作るな」


 レオは少しだけ、困ったように黙った。


 そして、低く続ける。


「君の名、声、記憶、証言。全部を狙われている」


「そうだな」


「声では壊せた。名はまだ揺れている。記憶は何度も引かれている。証言は噂になっている」


「敵の作業表みたいに言うな。腹立つ」


「照合率が出たなら、仕組みがある」


 ノアは頷く。


「名・声・記憶・証言の四要素で進む仕組み。今の一パーセントは、名の照合だけで進んだ分ってことか」


「たぶん」


「名だけで一パーセント。残り九十九。めんどくさ」


「進ませない」


「そこは同意」


 ノアは椅子の背に寄りかかった。


 身体は重い。


 喉もまだ少し痛い。


 だが、頭は動く。


 数字が出たということは、敵の術式には進行条件がある。声。名。記憶。証言。四つを揃えることで、ノアを災厄として再指定する。逆に言えば、それぞれを潰せば止められる。


 敵は親切にも進捗を表示してくれた。


 腹立つが、利用できる。


 ノアは口の端を上げた。


「一パーセントって出してくれるなら、逆にこっちも減らせるか試せるな」


 レオがノアを見る。


「減らす?」


「進捗があるなら後退もあるだろ。なかったら作る」


「無茶をする声だ」


「天才の声ですー」


「喉を大事にして」


「はいはい」


 レオがまた水を差し出す。


 ノアは受け取った。


 その後、二人はセドリックの研究室へ向かった。


 学院の朝は、昨日よりもさらにざわついていた。廊下のあちこちで、生徒たちがノアを見ている。昨夜の全校放送、掲示板の前世名、そして今朝の部屋札と出席簿。噂はもう勝手に歩き回っている。足でも生えたのか。切りたい。


 黒魔法科教師の研究室は、資料と魔法陣で埋もれていた。


 セドリックは眠っていない顔で、机の上に何枚もの解析紙を広げていた。記録水晶の破片、魔導名簿の写し、部屋札の反応記録、白い儀礼花の花弁。まともな教師の机ではない。事件担当の机だ。教育はどこへ行った。


 ノアが入ると、セドリックはすぐに首元を見た。


「出たか」


「出ました。一パーセント。魂の進捗バーです」


「見せろ」


「言い方が雑」


 ノアは首元を少し見せた。


 セドリックの黒魔法が、距離を取ったまま首輪の数字を読み取る。レオが隣でわずかに警戒したが、ノアが視線で止めると黙った。偉い。九点維持。


 セドリックは解析紙へ数字を書き込んだ。


「照合率一パーセント。名の干渉後に進行。声の干渉では水晶破壊により不成立。証言干渉は未確定。記憶干渉は一部発生済みだが、本人の拒絶で不成立」


 ノアは椅子に座る。


「先生、俺の魂を研究資料みたいにまとめないでください」


「実際、研究資料に近い」


「ひどい」


「安心しろ。本人同意なしに発表はしない」


「そこまで行ったら泣くぞ」


「お前が泣くとは思えん」


「泣いたら土が重くなるので」


 言ってから、ノアは少しだけ黙った。


 その言葉は、前世の原点に触れる。


 レオの赤い糸が静かに震えた。


 セドリックは見なかったふりをした。珍しく気が利く。教師にも良心があった。驚きである。


 セドリックは解析紙を指で叩く。


「照合率を止める方法は一つではない。だが、今すぐできる対策がある」


「嫌な予感」


「お前の現世名を、複数人に強く認識させる」


 ノアは瞬きした。


 レオの顔が、一瞬で嫌そうになった。


 セドリックは続ける。


「名は本人の認識だけでは安定しない。社会名としての強度が必要だ。お前がノア・クロウであると、周囲が強く認識し、呼び、記録することで、前世名への照合を押し返せる可能性がある」


 ノアはゆっくりとレオを見た。


 レオは、明らかに不機嫌だった。


 白金の魔力が静かに沈んでいる。


 ノアは笑った。


「独占欲、試練の時間だな」


 レオは、何も言わなかった。


 ただ、赤い糸だけが、ものすごく嫌そうに震えた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。