表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒い災厄は、聖なる伴侶の檻から逃げられない~前世で俺を殺した英雄が、今世では赤い糸で俺を閉じ込めてくる~  作者: なつめ
第二章【災厄忌と声の檻】

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

41/63

第39話 聖像の影



 夜の学院は、昼間よりも白く見えた。


 月明かりが白い石壁に落ち、塔の窓は黒い硝子のように沈んでいる。災厄忌の飾り布は、風に揺れても音を立てなかった。黒い花と白金の剣を模した旗が、廊下の壁際に静かに並び、昼間には行事の装飾に見えたものが、夜には葬列の布に似ていた。


 ノア・クロウは、礼拝室へ続く廊下を歩きながら、小さく欠伸を噛み殺した。


 寝不足だ。


 喉はまだ完全ではない。昨夜の黒い仮面の干渉で焼けたようになった声は、レオの治癒で戻っているが、底にざらつきが残っている。伴侶首輪メイト・カラーの内側には黒い亀裂のような紋があり、それが時折、熱を返す。


 前世の同盟儀式に似た汚れ。


 英雄教会の儀礼書にも、黒い仮面にも、首輪の亀裂にも、同じ気配があった。


 ノアは首元を押さえた。


 隣を歩くレオ・アステルレインが、すぐに視線を向ける。


「痛む?」


「見ただけで反応するの、便利すぎて嫌だな」


「答えて」


「熱いだけ。痛くはない」


「声は」


「夜の廊下で喉問診するな。怪しい」


「誰もいない」


「そういう問題じゃない」


 レオは答えなかった。


 片手には小さな水瓶を持っている。


 まただ。


 どこへ行くにも水を持つ男になっている。ノアの喉が乱れることを想定しているのだろう。準備が良い。良すぎる。過去の傷が生活スキルに転職している。嫌な成長である。


 ノアは横目で見た。


「水筒王子」


「必要になるかもしれない」


「もう肩書きが増えすぎて渋滞してるぞ」


「君の喉が無事なら、それでいい」


「会話の着地点が重い」


 レオの顔は、昼間からずっと硬かった。


 英雄教会の司祭ラシェル・オルブライト。


 救国の英雄を崇拝し、現世のレオを英雄の再来のように見ている若い司祭。彼の持つ聖印には、黒い仮面に浮かんだ祈祷文と似たものが刻まれていた。さらに、礼拝室の英雄像の影が一瞬だけ黒く歪んだ。


 その異変を、学院側はまだ知らない。


 ノアとレオは、夜になってから確認に向かっていた。


 セドリックに報告すべきだと、ノアも思った。


 思ったが、先に見るべきだとも思った。


 自分たちが何に反応しているのか。


 英雄像の影に何が隠れているのか。


 それを見ずに大人に渡せば、また「誤作動」や「古い儀礼の残響」で丸められる可能性がある。人類は都合の悪いものに名前をつけて棚に上げるのが得意だ。棚の耐久力を過信しすぎである。


 礼拝室の扉の前で、レオが足を止めた。


 ノアも止まる。


 扉は閉じられている。


 昼間は開かれていた白い扉が、夜には重く見えた。扉の上部には聖印が彫られ、白金の小さな魔力灯がひとつだけ灯っている。


 レオの指先に、白金の魔力が薄く宿った。


 鍵はかかっていない。


 扉は静かに開いた。


 礼拝室の中は、月光で満たされていた。


 白い石壁。


 聖魔法の灯り。


 祭壇の祈りの布。


 左右の壁に並ぶ古い聖印。


 そして奥に立つ、救国の英雄セラフィードの像。


 昼間に見た時よりも、ずっと大きく見えた。


 白い石で彫られた青年像は、聖剣を掲げている。長く流れる髪、整った顔立ち、凛々しい目元。足元には黒い影が踏み伏せられている。英雄が災厄を討つ姿。救済の象徴。世界の朝を取り戻した者。


 レオは、その像を見上げたまま動かなかった。


 ノアは隣で軽く言う。


「本人より美化されてそう」


 レオの視線が、ゆっくりこちらへ動いた。


「君は見たことがあるの?」


 ノアは一瞬だけ、息を止めた。


 しまった。


 すぐに笑う。


「歴史画の話」


 軽くした声だった。


 わざと。


 レオは追及しなかった。


 ただ、赤い糸が反応する。


 首元に、薄い熱が走った。


 ノアは指で首輪を押さえ、口元だけで笑った。


「嘘発見器、精度高すぎ」


「君が下手なんだ」


「優しさのない評価」


「優しくしたら、君は逃げる」


「今のもまあまあ刺さる」


 レオは像へ視線を戻した。


 月明かりに照らされた英雄像は、白く、美しく、冷たかった。


 ノアは、その横顔を見る。


 レオはこの像を見るのが苦しいのだろう。


 セラフィードの姿を模した像。


 けれど、そこには何もない。


 助けを求めろと叫んだ声も、腕の中で冷えていく身体も、世界の歓声にかき消された喪失も、何も刻まれていない。ただ、綺麗な英雄だけが立っている。


 嘘ではないのかもしれない。


 でも、本当でもない。


 厄介だ。世の中、完全な嘘より中途半端な本当の方がよほど性質が悪い。


 ノアは祭壇へ近づいた。


 足音が白い床に小さく響く。


「昼間、影が歪んだのはこの辺か」


「像の右側」


「よく覚えてるな」


「君も覚えている」


「俺は観察力があるので」


「うん」


「そこは茶化せよ」


「本当だから」


 ノアは英雄像の足元へ視線を落とした。


 像が踏みつけている黒い影。


 石で彫られたはずのそれが、妙に生々しく見えた。黒い災厄を象徴する影。顔はない。形も曖昧だ。ただ、英雄に踏まれるためだけに存在している。


 ノアは眉を寄せる。


「雑な悪役造形」


「見なくていい」


「見るなって言われると見る」


「知っている」


「なら言うな」


「言いたい」


「面倒くさい男」


 レオは何も返さなかった。


 白金の魔力を薄く広げ、英雄像の土台へ触れる。聖魔法は像の表面を走り、台座に刻まれた祈祷文をなぞった。


 その瞬間。


 影が動いた。


 ノアは息を止めた。


 像の足元にある黒い影が、石から剥がれるように揺れた。液体のように広がり、白い床の上へ滲む。


 その黒の中から、小さな花が咲いた。


 黒い花。


 花弁は薄く、夜の影でできているようだった。ノアの黒魔法の花ではない。ノアの魔力とは違う。黒魔導書の残響とも少し違う。もっと古く、もっと乾いている。祈りの奥で腐ったもののような匂いがした。


 レオが身構える。


 ノアも指先へ黒い霧を集めかけた。


 だが、花はノアへ向かわなかった。


 英雄像の影に沿って、静かに咲いたまま揺れている。


 その時、英雄像の口元が動いた。


 声はなかった。


 少なくとも、ノアには聞こえなかった。


 けれど、レオの顔が変わった。


 血の気が引いた。


 白金の魔力が、乱れた。


 ノアの伴侶首輪が、一気に熱を持つ。


 赤い糸が強く震えた。


 レオの前世傷に反応した魔力が、ノアへ反動として流れ込む。


 胸の奥が圧迫される。


 喉が詰まる。


 瞳孔がわずかに開き、足元が一瞬遠くなった。ノアは祭壇の縁に手をついた。短く呻く。


「っ……今度はお前側の幻聴で俺が焼かれてる?」


 レオは答えられなかった。


 顔色が悪い。


 唇がわずかに開いている。


 まるで、聞こえるはずのない声を聞いたように。


 ノアは、痛みを堪えながら言う。


「何て言った」


 レオは沈黙した。


「レオ」


 その名で呼ぶと、レオの目が少しだけ戻る。


 けれど、まだ遠い。


 ノアの首輪は熱を持ったままだ。


 赤い糸が、レオの動揺を拾い続けている。


 レオは低く言った。


「……今度も殺せ、と」


 ノアは言葉を失った。


 英雄像が。


 救国の英雄を模した聖像が。


 レオへ、そう言った。


 今度も殺せ。


 黒い仮面の時は、今度も君が殺す。


 今度は、命令に近い。


 殺せ。


 英雄として。


 救済として。


 儀礼として。


 ノアの胸の奥に、冷たい怒りが沈んだ。


「聖像のくせに、言葉選び最悪だな」


 レオは動かない。


 ノアは、できるだけ軽く言った。


「本人より美化されてるどころか、本人に喧嘩売ってるぞ。訴えたら勝てる」


「ノア」


「何」


「君に反動が」


「来てるな。めちゃくちゃ理不尽」


「ごめん」


「謝るなら落ち着け」


 レオの白金の魔力が揺れた。


 また首輪が熱を持つ。


 ノアは低く呻いた。


「っ……だから、落ち着けって言ってるだろ……!」


「分かっている」


「分かってる顔じゃない」


「……分かっている」


 レオの声が苦しかった。


 ノアは、祭壇に手をついたまま、ゆっくり息を整えた。


 重度ではない。


 まだ立てる。


 吐き気もない。


 喉の詰まりと胸の圧、首輪の熱、視界の端の軽い揺れ。中度の反応。耐えられる。耐えられるからといって腹が立たないわけではない。反動被害、そろそろ労働組合が必要だ。伴侶首輪被害者の会。会員一名。悲しい。


 レオは、英雄像を睨んでいた。


 睨む、というより、押し殺している。


 白金の聖魔法が、像の影へ向かって伸びる。だが、その光は先ほどより乱れていた。触れたくないものに触れている。けれど、触れなければならない。そんな魔力だった。


 ノアは、わざと声を柔らかくした。


「レオ」


 レオの肩が微かに動く。


「見る相手を間違えるな」


「……分かっている」


「像じゃない。影だ」


 レオは息を吸った。


 白金の光が、少しだけ澄む。


「うん」


「よし」


「君に指示されるとは思わなかった」


「俺もお前を指導する日が来るとは思わなかった。人生って怖いな」


 軽口を叩くと、レオの目がわずかにこちらへ戻る。


 首輪の熱が少し下がった。


 ノアはそれを感じ取り、内心で小さく息を吐く。


 やはり、レオを今へ戻すには、名前と声が効く。


 腹立たしいが、それが事実だった。


 英雄像の影が、また揺れた。


 黒い花が増える。


 一輪、二輪、三輪。


 白い床の上に、影だけでできた花が咲いていく。花弁の縁には白い祈祷文のような細い線が浮かび、中心には古い封印術式が刻まれていた。


 ノアは目を細める。


「黒災忌会の花じゃないな」


「英雄教会の古い封印術式に近い」


「教会側か」


「少なくとも、教会の古い祈りを使っている」


「祈りって便利だな。人の傷も封印も殺せ命令も包める」


 レオは答えなかった。


 白金の光で、影の花へ触れる。


 花は燃えない。


 代わりに、花弁の裏から文字が浮かんだ。


 英雄は災厄を討つ。


 災厄は英雄に討たれる。


 役は繰り返される。


 ノアは、ぞっとした。


 それは祈りではない。


 筋書きだ。


 英雄と災厄を、決められた役へ戻すための封印術式。いや、封印というより誘導に近い。英雄像に刻み、礼拝室に置き、災厄忌の儀礼で何度も祈らせることで、形を固定する。


 英雄は殺す者。


 災厄は殺される者。


 その繰り返し。


 ノアは低く言った。


「悪趣味どころじゃないな」


 レオの白金の魔力が、再び冷えた。


「壊す」


「待て。強引に壊したら反動来るだろ」


「来ても」


「俺にも来るんだぞ」


 レオの手が止まった。


 そこは効いた。


 ノアは息を吐く。


「よし。今の俺、かなり有用」


「自分を盾にしないで」


「してない。事実を言っただけ」


「同じだよ」


「違いますー」


 レオは苦しげに眉を寄せた。


 それでも、強引には壊さなかった。


 白金の聖魔法を細く編み直す。切断ではなく、封じる形へ。影の花の根を辿り、英雄像の台座の下へ潜り込んだ古い術式を浮かび上がらせる。


 そこに、黒い花ではない紋があった。


 英雄教会の古い聖印。


 その裏側に隠された、歪んだ結び目。


 ノアの首輪の亀裂と同じ、三本の線が絡む形。


 同盟儀式の汚れに似た形。


 レオも見た。


 顔色がさらに悪くなる。


「またそれか」


 ノアが呟く。


 レオは、低く答えた。


「教会の聖像に、なぜこれがある」


「そりゃあ、教会が聖なる組織だからじゃない?」


「ノア」


「皮肉だよ。怒るな。首が熱い」


 レオは唇を引き結んだ。


 怒りを抑えている。


 その抑えた怒りすら、赤い糸を通じてノアへ伝わる。首輪がまた熱を持ちかけたが、レオはすぐに自分の魔力を絞った。反動を抑えるように、深く息を吸う。


 少し成長した。


 いや、この状況で成長を褒めるのも妙だ。地獄の中で火加減を調整できるようになっただけである。人類はすぐ地獄に生活技術を持ち込む。


 レオは英雄像の影へ手をかざした。


「封じる」


「壊さずに?」


「今は」


「よろしい」


「君に許可された」


「感謝していいぞ」


「ありがとう」


「素直すぎて調子狂う」


 レオの白金の光が、影を包んだ。


 黒い花が一輪ずつ閉じていく。花弁がほどけ、影が細い糸になり、白金の封印へ絡め取られていく。英雄像の足元に広がっていた黒が、少しずつ石の中へ押し戻される。


 その間、像の口元は動かなかった。


 けれど、ノアは嫌な感覚を覚えた。


 ただ封じられているだけではない。


 見ている。


 像ではなく、像に仕込まれた何かが。


 レオが最後の封印句を唱える。


 白金の輪が台座を囲み、黒い影を押さえ込んだ。


 礼拝室の空気が、少しだけ軽くなる。


 ノアの首輪の熱も引いていった。


 レオは息を吐く。


 その瞬間だった。


 封じられた影の奥から、声がした。


 ノアの声だった。


 掠れていて。


 弱くて。


 それでも、はっきりとレオへ届くように作られた声。


「助けて」


 ノアは言っていない。


 口を開いてもいない。


 だが、影の中から、ノアの声でその言葉が響いた。


 レオが凍りついた。


 白金の魔力が、完全に止まった。


 ノアの首輪が、冷たい熱を返した。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ