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黒い災厄は、聖なる伴侶の檻から逃げられない~前世で俺を殺した英雄が、今世では赤い糸で俺を閉じ込めてくる~  作者: なつめ
第二章【災厄忌と声の檻】

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第32話 誤作動ではない



 大講堂の舞台中央には、まだ封鎖線が残っていた。


 黒い魔法陣はすでに消えている。少なくとも、肉眼ではそう見える。けれど床板には薄い焦げ跡のような黒い輪郭が残り、そこだけ古い水を吸った木のように色が沈んでいた。舞台灯は落とされ、朝から浮き立っていた大講堂の空気は、重い沈黙に覆われている。


 生徒たちはほとんど外へ出された。


 残っているのは、教師たちと、舞台装置の担当生徒数名、聖魔法科と魔具科の代表者、そしてノア・クロウとレオ・アステルレインだけだった。


 ノアは舞台袖の椅子に座っていた。


 座らされた、と言った方が正しいかもしれない。本人は立てると主張した。立てるのは事実だった。膝は少し怪しかったが、倒れるほどではない。喉も痛むが、声は出る。指先の細かな痙攣も、首元の伴侶首輪メイト・カラーの熱も、まあ、いつもの厄介な魔法的面倒事の範囲内だ。


 それでもレオが椅子を引き、教師たちも異論を挟まなかったので、ノアは座った。


 屈辱ではない。


 たぶん。


 少し腹は立つ。


 大講堂の床には、魔具科教師が膝をつき、演出用魔法陣の線を確認している。聖魔法科教師は、白金の封鎖結界の残響を指先でなぞっていた。黒魔法科教師セドリック・バロウズは、舞台中央の黒い焦げ跡を見下ろし、淡々と記録係に指示を出している。


 舞台監督の上級生は青い顔をしていた。


「本当に、こちらの演出装置は起動していません。魔力炉も接続前でしたし、あの名前を出す仕組みなんて入れていません」


 魔具科教師が頷く。


「演出用の回路に異常はない。舞台装置側の起動履歴も、問題の魔法陣が浮かんだ時刻には反応していない」


 聖魔法科教師が低く言う。


「では、どこから混ざった」


「古い舞台床の下に残っていた陣が、災厄忌用の魔力に反応した可能性はあります」


 別の教師が、慎重な声でそう言った。


 学院行事全体を管理している教師だった。白髪交じりの髪をきっちり撫でつけ、眼鏡越しの目に疲れがある。悪い人間ではなさそうだ。だが、こういう場で真っ先に「穏便」という箱を探す顔でもあった。


「大講堂は古い。以前の演目の魔法陣が床に残っていたとしても不思議ではありません。災厄忌では毎年、黒い災厄の名も扱います。何らかの古い舞台装置が、今の演出魔力に干渉して誤作動を起こしたと考えるのが妥当では」


 ノアは、思わず笑った。


 喉が少し痛んだ。


「便利な言葉だな、誤作動。人生の失敗も全部それで済ませたい」


 セドリックがこちらを見た。


「君は黙っていろ」


「黙ったら余計怪しいだろ」


「喋っていても怪しい」


「先生、指導が雑」


「君が余計なことを言うからだ」


 セドリックの声は冷静だったが、その視線は魔法陣からノアの首元へ一瞬だけ動いた。伴侶首輪の熱が残っていることに気づいているのかもしれない。いや、ノア自身よりも、隣に立っているレオの反応を見ているのだろう。


 レオはノアの横に立っていた。


 座らない。


 離れない。


 白金の魔力を指先に残したまま、教師たちのやり取りを聞いている。表情は穏やかだった。けれど、目が冷えている。聖魔法科の王子様らしい礼儀正しさをきっちりまとっているのに、その奥で静かに怒っているのが分かった。


 ノアは横目で見た。


 この男は、怒鳴らない。


 怒鳴らないから余計に怖い時がある。


 行事担当の教師は、舞台中央の焦げ跡へ視線を戻した。


「いずれにせよ、災厄忌の前に不用意な噂を広げるわけにはいきません。黒い災厄の名が浮かんだだけで、下級生は不安になります。外部へ漏れれば、保護者や教会関係者にも説明が必要になる」


 ノアは肩をすくめた。


「説明すればいいのでは?」


「クロウ君」


「はい、黒魔法科の平民新入生です。ついでに古代名に呼ばれたらしい人です」


 何人かの教師が渋い顔をした。


 レオの赤い糸が、ぴんと張る。


 首輪がほんの少し熱くなった。


 ノアは内心でため息をつく。冗談に反応するな、首輪。お前はもっと静かにしていろ。魔法的な道具は持ち主に似るという説があったら、全力で嫌だ。レオに似て過保護で重い首輪とか、救いがない。


 レオが口を開いた。


「誤作動ではありません」


 大講堂が静かになった。


 その声は大きくない。むしろ穏やかだった。だが、教師たちの視線を一斉に集めるだけの重さがあった。


 行事担当教師が、眉を寄せる。


「アステルレイン君、断言できるのか」


「はい」


「理由は」


「ノアを狙っていました」


 空気が、また硬くなる。


 ノアは片手を上げた。


「狙われ系主人公、忙しいな俺」


「黙れ、クロウ」


 セドリックが即座に言った。


「今度は本当に黙っていろ」


「二回目の黙れ、重みが違う」


「三回目を言わせるな」


「はい」


 ノアは口を閉じた。


 さすがに、セドリックの目が本気だった。


 レオは続けた。


「魔法陣は起動直後、前世名を表示しただけではありません。ノアの魂へ触れようとしました」


 聖魔法科教師が目を細める。


「魂へ?」


「はい。表層の魔力ではなく、もっと深い場所へ。名を媒介にして引く術式でした」


 行事担当教師が困ったように言う。


「しかし、君がそう感じただけでは、記録としては弱い。アステルレイン君、君はクロウ君と契約魔法を結んでいるのだろう? その影響で感覚が過敏になっている可能性もある」


 ノアは少しだけ顔をしかめた。


 契約魔法。


 便利な言い方である。


 赤い糸と伴侶首輪と魂糸を全部まとめて、契約魔法。大人が書類に載せやすい言葉だ。人類は面倒なものに名前をつけるのが好きだが、名付けた瞬間、厄介さを半分捨てた気になるから本当に良くない。


 レオの声は変わらなかった。


「過敏であることは否定しません」


「なら」


「だから分かりました」


 行事担当教師が言葉を止めた。


 レオは舞台中央を見た。


「ノアの声、呼吸、魔力回路の乱れ、伴侶首輪の反応。すべてが魔法陣の起動と同時に変化しました。舞台装置が偶然、黒い災厄の本名を出しただけなら、あれほど深くノアへ干渉しません」


 聖魔法科教師が、少し声を低くした。


「伴侶首輪が反応したのか」


「はい」


「危険感知として?」


 レオはわずかに沈黙した。


 ノアは横目で見た。


 この沈黙は、よくない。


 レオは、伴侶首輪を危険感知だけには使っていない。行動感知、声の変化、魔力の揺れ、居場所。正直に言えば、かなり幅広く使っている。本人ももう否定しなくなっている。開き直りの方向性が破滅的だ。誰か止めろ。いや、止まらないか。嫌な確信だ。


 レオは静かに答えた。


「危険感知としても、反応しました」


 としても。


 そこに含みがありすぎる。


 セドリックの視線が鋭くなった。


「アステルレイン」


 レオはセドリックを見る。


「はい」


「守ることと囲うことは違う」


 大講堂の空気が、さらに静かになった。


 ノアは思わずセドリックを見た。


 直球だった。


 教師という生き物、たまにこういう逃げ場のない言葉を投げる。普段は面倒な課題ばかり出すくせに、不意に正しいことを言うから厄介だ。


 レオの表情は変わらなかった。


「違うことは知っています」


「ならなぜ同じ顔でやる」


 ノアの喉が、少し詰まった。


 レオは、ほんの少しだけ視線を落とした。


 それから、逃げずに答えた。


「手放せないからです」


 ノアの声が止まった。


 出すつもりだった軽口が、喉の手前で消えた。


 手放せない。


 その言葉は、静かすぎた。


 叫びではない。告白でもない。言い訳でもない。もっと厄介で、もっと根深い。レオは知っている。守ることと囲うことは違う。管理と保護が同じではないことも知っている。知った上で、手放せないと言った。


 逃げ道がない言葉だった。


 ノアは笑えなかった。


 首輪が、じわりと熱を持つ。


 赤い糸が、レオの不安と決意を拾って震える。その震えがノアの喉へ返ってくる。胸の奥に、薄い圧が落ちる。魔法的限界反応というほどではない。ただ、身体がその言葉を聞いてしまったのが分かった。


 セドリックは、レオをしばらく見ていた。


「自覚があるなら、厄介だな」


「はい」


「返事だけは素直か」


 ノアは小さく息を吐いた。


「先生、その通りすぎて逆に刺さります」


「君も他人事の顔をするな」


「今、俺も刺される流れだった?」


「君は君で、危険へ自分から首を突っ込みすぎる」


「黒魔法科の探究心ですー」


「それを無謀と言う」


「学院教育、言い換えが手厳しい」


 セドリックはノアを睨んだが、次に舞台中央へ視線を戻した。


「誤作動という処理には反対だ」


 行事担当教師が困った顔をした。


「バロウズ先生まで」


「舞台装置の古い陣が偶然起動したにしては、術式が深すぎる。演出用魔法陣の下層に、学院創設以前の式が混ざっていた」


「学院創設以前?」


 魔具科教師が顔を上げた。


「そんなものが大講堂の床に?」


「床ではなく、床下の基礎結界に近い。現在の学院結界の前身か、それ以前にこの土地へ刻まれた何かだ」


 ノアは、思わず口を開いた。


「学院、建つ前から厄い土地だった説?」


「黙っていろと言った」


「今のは学術的好奇心」


「口調が軽い」


「軽くしないと重いので」


 セドリックはため息をついた。


「黒魔導書関連の残響、黒災忌会の干渉、英雄教会の古い記録。どれとも完全には一致しない。ただし、同盟儀式の汚染術式と近い波長がある」


 レオの表情がわずかに硬くなる。


 ノアも黙った。


 同盟儀式。


 父王殺害。


 外部術者による汚染。


 聖魔法に似せた偽装波長。


 その流れが、現世の学院の大講堂の舞台魔法陣へ繋がっている。


 喉の奥が、また詰まりかける。


 ノアは胸の前で腕を組んだ。


「つまり、舞台装置の誤作動じゃなくて、舞台装置のふりした古代術式の嫌がらせ?」


「君の言い方は雑だが、方向としては近い」


「まさか肯定されるとは」


「喜ぶな」


「喜んでない。嫌すぎて笑ってる」


 行事担当教師は頭を押さえた。


「だが、このまま災厄忌を中止するわけには」


 その言葉に、レオの白金の魔力が一瞬だけ冷えた。


「なぜですか」


「学院行事は外部の来賓も来る。英雄教会の関係者も、貴族家も、保護者も。ここで中止にすれば大きな騒ぎになる」


「ノアが狙われた可能性があります」


「だからこそ、表向きは舞台装置の不具合として扱い、裏で調査を」


「表向きに流せば、次も起きます」


 レオの声は穏やかだった。


 だが、譲らなかった。


「今回、ノアは中度反応で済みました。次もそうとは限りません」


 ノアは少し顔をしかめた。


「本人の反応を診断書みたいに言うな」


「事実だよ」


「事実でも嫌な言い方はある」


「ごめん」


「謝り方が早い」


 レオはノアを見ない。


 視線は教師たちへ向いている。


「舞台魔法陣はノアの前世名を出しました。周囲に晒しました。その上で魂へ触れようとした。これを誤作動として処理するなら、学院は次の干渉を許すことになります」


 行事担当教師は口を閉じた。


 セドリックが低く言う。


「災厄忌の規模を縮小する。少なくとも、大講堂の舞台使用は一時停止だ。舞台床、床下基礎結界、演目用台本、衣装、仮面、魔具、すべて再検査する」


「それでは準備が間に合わない」


「生徒の魂に干渉する術式を前にして、行事の準備を優先するなら、教師を辞めた方がいい」


 ノアは小さく拍手したくなった。


 しなかった。


 セドリックに怒られるので。


 聖魔法科教師も頷いた。


「私も再検査に賛成です。少なくとも、外部術式が混ざった可能性がある以上、聖魔法演舞班を舞台へ上げることはできません」


 魔具科教師も続く。


「魔力炉に異常がないことは確認しましたが、床下から逆流する術式までは想定外です。魔具側も接続を止めます」


 行事担当教師はしばらく沈黙した。


 やがて、苦い声で言った。


「……分かりました。ただし、生徒たちには舞台装置の不具合と説明します。詳しい調査内容は伏せる」


 ノアは笑った。


「結局、便利な言葉は使うんだな」


「クロウ君」


「はいはい、黙ります」


 セドリックが資料を閉じた。


「クロウ、アステルレイン。二人はしばらく舞台周辺に近づくな」


 ノアは眉を上げた。


「俺も?」


「君が一番近づくな」


「ひどい。被害者なのに」


「好奇心で加害現場へ戻る被害者は危険人物だ」


「先生、言い方」


「間違っているか」


「だいたい合ってるのが腹立つ」


 レオは静かに頷いた。


「分かりました」


 ノアは横を見た。


「お前まで即答するな。俺の行動範囲を一緒に狭めるな」


「舞台には近づかないで」


「命令?」


「お願い」


「お願いの顔じゃない」


「今は、命令に近いかもしれない」


「開き直りすぎ」


 セドリックが二人を見た。


 視線が鋭い。


「アステルレイン。君もだ。クロウを舞台から遠ざける名目で、彼を閉じ込めるな」


 レオは少しだけ沈黙した。


「努力します」


「努力では足りない」


「……分かっています」


 ノアは息を吐いた。


「先生、保護者面がうまいな」


「君の保護者になった覚えはない」


「じゃあ担任面」


「教師だ」


「正論」


 セドリックはノアを一瞥した。


「そして君は、軽口で流せば済むと思うな。前世名を呼ばれ、魂へ干渉された。軽く扱えば反応が消えるわけではない」


 ノアの笑みが、一瞬だけ止まる。


 すぐに戻した。


「先生まで声判定始めるのやめてもらっていいですか」


「声ではない。顔だ」


「顔も見るな」


「無理だ」


「大人まで正直すぎる」


 大講堂の調査は、夕方まで続いた。


 ノアとレオは、途中で追い出された。


 追い出された、という表現はかなり正確だった。セドリックが「邪魔だ」と言い、レオがノアを連れて大講堂を出た。ノアは文句を言ったが、喉にまだ違和感が残っていたので、大声で抗議する気力はなかった。


 廊下は夕暮れの光に染まっていた。


 窓の外では、中庭の芝生が赤く照らされている。災厄忌の飾りつけは、一部が外され始めていた。黒い花の布飾りがまとめられ、白金の剣の細工が箱へ戻されていく。


 ノアは廊下の壁にもたれた。


「誤作動扱いされた喉、まだ稼働中です」


 レオは笑わなかった。


「見せて」


「喉を?」


「うん」


「そんな真顔で頷くな」


「掠れている」


「今日は色々あったので」


「色々、で済ませないで」


「じゃあ名前で引っ張られました。魂がちょっと不愉快でした。以上」


「ノア」


「重く言い直しても軽く言い直しても怒るじゃん」


 レオは答えず、ノアの喉元へ手を伸ばした。


 触れる直前で止める。


 許可を待っている。


 最近のレオは、時々こうする。待つ。待てない時もあるが、待とうとする。努力の跡がある。だから余計に面倒だった。完全に強引なら怒ればいい。少しだけこちらを見るから、怒る場所がずれる。


 ノアは目を逸らした。


「……少しだけな」


 レオの白金の光が、伴侶首輪の上へ流れる。


 熱を鎮め、喉の違和感を和らげ、魔力回路の乱れを整える。痛みはない。むしろ楽になる。だから腹立たしい。いい加減、効果のある過保護をやめてほしい。文句の足場が崩れる。


 ノアは低く言った。


「声、舞台に渡したくないって言ったな」


「言った」


「俺の声は、お前のものじゃない」


「知っている」


「知っててやってるんだよな」


「うん」


「最悪」


「うん」


「同意するな」


 レオの光が少しだけ弱まる。


「でも、聞かせたくなかった」


「誰に」


「舞台にも、魔法陣にも、あの名前にも、周りの生徒にも」


「欲張り」


「君の声に関しては、そうかもしれない」


「自覚した所有欲を育てるな」


 レオは黙った。


 ノアの喉の痛みは、少しずつ消えていく。


 完全にではない。


 でも、話すには困らない。


 レオは手を引いた。


「終わり」


「はい、喉の点検終了。報告書は不要です」


「書かない」


「書けそうなのが怖い」


「書けると思う」


「やめろ」


 ノアは軽く伸びをした。


 首輪の熱は下がっている。胸の圧も薄い。重度反応ではない。そう自分に言い聞かせる必要がある時点で、だいぶ面倒だった。


 その夜。


 セドリックの忠告通り、ノアは大講堂へ近づかなかった。


 近づかなかったので、自分は非常に偉い。そう思うことにした。人間は小さな遵法精神を褒めて伸びるべきだ。教師に言われたからではない。自分で選んだ。たぶん。そこは大事である。


 三〇七号室の魔力灯は落とされていた。


 レオは向かいの寝台にいる。


 眠っているかは、いつも通り怪しい。ノアも寝台に横になり、天井を見ていた。舞台魔法陣の黒い輪。イリアス・ノクスヴェルトの名。オルドレイスに似た紋章。誤作動という便利な言葉。レオの「手放せない」。


 全部が頭の中で、勝手に並んでは崩れる。


 ノアは目を閉じた。


 その瞬間、首元の伴侶首輪が熱を持った。


「っ……」


 息が詰まる。


 ノアはすぐに身体を起こした。


 レオも同時に起きる。


 赤い糸が、強く震えていた。


 大講堂は遠い。


 部屋からは見えない。


 それなのに、舞台の方角から声が届いた。


 耳ではない。


 首輪の内側へ、直接。


「イリアス」


 ノアの喉が、また熱を持った。


 レオの白金の魔力が、暗い部屋の中で鋭く灯った。




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