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黒い災厄は、聖なる伴侶の檻から逃げられない~前世で俺を殺した英雄が、今世では赤い糸で俺を閉じ込めてくる~  作者: なつめ
第七章【黒魔導書の頁は眠らない】

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第128話 黒魔法科禁書庫



 黒い頁は、禁書庫へ入った。


 その報告を聞いた時、セドリック・バロウズの顔は、今までで一番分かりやすく不機嫌になった。


 学院の結界はまだ灰色に染まりかけている。転生者狩りの回収鎖は外側から食い込み、学院長と教師陣が結界中枢で押し返している最中だった。魂帳局の例外処理は止まっていない。局長代理Oという、存在しない役職の署名が、学院の防護式へ穴を開け続けている。


 その上で、黒魔導書の第十三頁が禁書庫へ落ちた。


 厄介事が、まるで順番待ちを嫌って列を崩したようだった。


 セドリックは研究室の机に片手を置き、低く言った。


「ノアを禁書庫へ連れて行くべきではない」


 レオ・アステルレインは即座に頷いた。


「ノアを禁書庫へ入れたくありません」


「私もだ」


 ノア・クロウは、椅子に座ったまま二人を見上げた。


 喉はまだ少し痛む。黒い頁を見上げた時から、喉の奥に黒い紙片が貼りついたような違和感が残っていた。右手の甲には照合番号、その横に白い枠。その内側に薄く刻まれた「ノア・クロウ」の文字がある。伴侶首輪《メイト・カラー》の黒い亀裂も、灰色の切断痕も、落ち着いたように見えて完全には沈んでいない。


 ノアは掠れた声で言った。


「珍しく意見一致してるな。感動的だけど、俺抜きで探せる?」


 沈黙が落ちた。


 感動的なほど、答えは出ていた。


 黒い頁は、ノアに反応している。


 前世イリアスの筆跡で、ノアの魂に残る黒魔導書の気配を呼んでいる。深部記録の黒い空白の奥にあった頁番号と一致し、魂帳局の歪んだ記録線とも繋がっている。


 ノアがいなければ、位置を特定できない可能性が高い。


 セドリックは苦々しく息を吐いた。


「連れて行く。ただし、君は頁に触れない。読まない。呼ばれても返事をするな。禁書庫内で異常が出たら即座に撤退する」


「禁書庫の注意事項、だいたい怖い」


「怖い場所だ」


「そこは否定してほしかった」


「しない」


 レオはノアの前に立ちかけ、途中で止まった。


 最近覚えた、横にいるための停止だった。


 完全にはできていない。肩が少し前へ出ている。視界を塞ぎたい衝動が、体の角度に全部出ている。


 ノアはそれを横目で見た。


「今、半歩出た」


「出ていない」


「出かけた」


「……出かけた」


「正直でよろしい。戻れ」


 レオは、苦しげに半歩戻った。


 赤い糸は強く張ったままだ。


 レギス・グレイヴも同行することになった。


 黒く染まった腕輪はセドリックの封印符で一時的に抑えられている。魂帳局からはすでに拘束対象とされているが、彼の知識と認証符はまだ使える。黒魔導書の頁番号を、魂帳局の深部記録側から照合するには、レギスが必要だった。


 ただし、完全な味方ではない。


 それは誰も忘れていない。


 レオなど、忘れる気配もない。


 レギスが近づくたび、赤い糸が露骨に警戒する。レギス本人はそれを咎めず、淡々と距離を保っていた。


 ノアはそれを見て、喉を押さえながら言った。


「同行者、多いな。禁書庫ツアーか?」


 セドリックが冷たく返す。


「観光気分なら置いていく」


「置いていけないって今決まったばかりでは」


「黙る程度の危機感は持て」


「それは難しい」


 禁書庫へ向かう前に、レオはノアの確認を始めた。


 水。


 喉。


 首輪。


 右手の照合番号。


 白い枠。


 赤い糸の切断痕。


 魔力回路。


 順番が完全に決まっているのが、少し嫌だった。


 ノアは水を飲み、喉の治癒魔法を受けながら、薄く笑った。


「禁書庫入場前の身体検査、過保護すぎ」


 レオは真顔で答えた。


「足りない」


「足りてる。むしろ多い」


「禁書庫へ入る」


「知ってる」


「黒魔導書の頁がある」


「知ってる」


「君が反応している」


「それも知ってる」


「足りない」


 ノアは諦めて息を吐いた。


「過保護の理屈、強固すぎる」


「足りない」


「二回言うな。怖さが増す」


 レオは、最後に赤い糸の応急固定を確かめた。


 傷はまだある。


 第110話で切られかけた灰色の痕。そこへ幾重にも薄い支えを巻いているが、強く包みすぎるとまた不正固定扱いされる。弱すぎればノアが引かれる。


 レオは、その細い加減を慎重に調整していた。


 ノアは目を伏せる。


 少し前なら、レオは迷わず強く包んだだろう。


 今も、そうしたいのは分かる。


 だが、していない。


 不器用で、怖くて、重いまま、それでも少しずつ横に立とうとしている。


 ノアは小さく言った。


「大丈夫だ」


 レオの手が止まる。


「何が?」


「今の加減」


「……本当に?」


「嘘ついて得する状況じゃないだろ」


 レオはわずかに頷いた。


 黒魔法科禁書庫は、学院の地下にあった。


 ただの地下書庫ではない。


 黒魔法科の歴史そのものが、厳重に眠らされている場所だった。


 階段は、黒い石でできている。


 一段降りるごとに、空気が冷たくなる。壁に灯る魔力灯は青白く、炎ではなく、封じた魔力をゆっくり燃やす光だった。石壁には古い封印式が刻まれ、触れるだけで指先の魔力が吸われそうな圧がある。


 奥へ進むと、黒鉄の扉が見えた。


 高い。


 重い。


 扉の表面には、何重もの封印蝋が押されている。古い赤黒い蝋、灰色に乾いた蝋、黒魔法科の教師印、学院長印、さらに読み取れないほど古い禁書管理印。扉の左右には黒い鎖が垂れ、その鎖自体が魔法式になっていた。


 黒魔法科教師のみが扱える結界。


 外から破るためのものではない。


 中から何かが出るのを防ぐためのものだった。


 ノアは、その扉を見上げた瞬間、喉が詰まった。


 黒い頁の気配が、奥にある。


 遠いのに、近い。


 喉の内側に貼りついた黒い紙片が、かすかに震えた。伴侶首輪の黒い亀裂が疼き、手の甲の照合番号が冷たく脈打つ。


「っ……」


 短く息が止まる。


 レオの赤い糸が、すぐに強くなった。


 強くなりすぎた。


 胸の奥が締めつけられる。


 ノアは眉を寄せる。


「きつい」


 レオが、はっとしたように緩めた。


「ごめん」


「早い。よろしい」


「痛かった?」


「ちょっと」


 レオの顔が曇る。


 ノアはすぐに言った。


「今のは報告。責めてない」


「分かった」


「本当に?」


「努力する」


「はい、調整継続」


 セドリックは扉の前に立ち、黒魔法陣を展開した。


 指先から黒い糸のような魔力が伸び、封印蝋のひとつひとつに触れていく。蝋は熱で溶けない。代わりに、押された印が薄く光り、扉に刻まれた黒い文字がゆっくり解けた。


 魔力灯が一斉に暗くなる。


 地下の空気が、さらに重くなった。


 セドリックは低く言う。


「入る。私の結界から出るな」


 ノアは頷く。


「了解」


「軽い」


「今のは真面目です」


「信用が薄い」


「俺の扱い」


 黒鉄の扉が開いた。


 音は重かった。


 ぎい、と軋むのではなく、石棺の蓋がずれるような低い音だった。


 禁書庫の中は、広い。


 天井は高く、地下とは思えないほど奥行きがある。石壁は黒く湿り、魔力灯が青白く列を作っている。その灯りの下に、古い禁書棚が並んでいた。木ではない。黒い骨のような材質と、封じた鉄を組み合わせた棚だ。


 棚には、本が収められている。


 鎖で縛られた本。


 封印蝋で閉じられた本。


 読む者の影を吸う本。


 表紙だけで魔力酔いを起こす本。


 隣には、封じられた魔導具が並んでいた。


 割れた黒水晶。


 血を吸った古い杖。


 片目のない仮面。


 蓋のない小箱。


 見ただけで、触れてはいけないと分かるものばかりだった。


 黒魔法の歴史そのもの。


 研究と事故、発見と禁忌、救済と破滅が、同じ棚に眠っている。


 ノアは、禁書庫の空気を吸った瞬間、声が低くなった。


「……ここ、笑えないな」


 セドリックが短く答える。


「笑う場所ではない」


「はい」


 今度は、ノアも茶化さなかった。


 レオはノアの隣から離れない。


 赤い糸に、白金の小さな防壁を重ねている。ノアの周囲に薄い膜を作り、禁書庫の本や魔導具の気配が直接魂糸へ触れないようにしている。


 ただし、少しきつい。


 ノアはまた言った。


「レオ、きつい」


 レオはすぐに緩めた。


「ごめん」


「反応速度は満点」


「点数はいらない」


「必要な褒めだろ」


「君が苦しいなら意味がない」


「苦しいから言った。言えば緩める。なら大丈夫」


 レオは黙った。


 その言葉を、ゆっくり飲み込んだようだった。


 レギスは禁書庫の入口付近で灰色の記録符を広げた。


「黒魔導書第十三頁の反応を照合します。ただし、私の記録術式を強く開くと魂帳局側に検知される可能性があります」


 セドリックが言う。


「最小限でいい。位置の裏取りだけしろ」


「承知しました」


 ノアは、禁書棚の間を進む。


 セドリックの結界内から出ないように。


 レオの赤い糸が支える横で。


 奥へ行くほど、喉の黒い紙片が濃くなる。


 かさり。


 かさり。


 喉の奥で、紙が擦れる。


 ノアは片手で首元を押さえた。


 首輪が熱い。


 黒い亀裂が、頁の気配に応えて疼いている。


「近い」


 セドリックが足を止める。


「どの方向だ」


 ノアは、奥の棚を見る。


 そこだけ魔力灯が暗い。


 封印蝋の色も古い。棚の表面に貼られた禁書管理札は、文字が擦り切れて読めない。棚の中央、他の本とは違う一冊があった。


 空白の本。


 表紙に題名はない。


 装飾もない。


 白でも黒でもない、灰にも似た無色の表紙。


 まるで、まだ何も書かれていない本だった。


 だが、その本の間に、黒い頁が一枚挟まっている。


 ノアは、そこで声が止まった。


 黒い頁は、空で見た時と同じだった。


 焦げたような縁。


 黒い紙面。


 前世イリアスの筆跡。


 そして右下に刻まれた「第十三頁」。


 空白の本は、黒魔導書本体ではない。


 それは分かる。


 だが、黒い頁が挟まったことで、ただの空白の本ではなくなっていた。


 表紙が、ゆっくり震えている。


 まるで、本が呼吸を始めたように。


 一度、膨らみ。


 沈み。


 また、膨らむ。


 ノアの喉の奥で、紙片が同じリズムで震えた。


 レオの赤い糸が一気に張る。


「近づかないで」


 ノアは、低く言った。


「近づかなきゃ分からない」


「またそれを言う」


「事実だからな」


「触れない」


「触らない」


「本当に」


「本当に」


 レオは信じきっていない顔だった。


 ノアも、自分を完全に信用しているわけではない。


 それでも、今回は触れないと決めた。


 セドリックが黒魔法陣を空白の本の周囲へ展開する。


「これは器だ」


 ノアは眉を寄せる。


「器」


「あの頁が入ったことで、空白の本が一時的な器として機能している。黒魔導書本体ではない。だが、頁が器を選んで再構成される可能性がある」


 レギスの記録符が灰色に震える。


「深部記録の頁番号と一致。第十三頁、反応継続。魂帳局の記録空白とも接続しています」


 ノアは、空白の本を見つめた。


「本体がなくても、頁だけで動くってことか」


 セドリックが答える。


「頁が記録、夢、魂へ干渉できるならな。器があれば、より強く出る」


 その時、空白の本が大きく震えた。


 表紙が、ひとりでに開く。


 挟まっていた黒い頁が、中央へ移動した。


 誰も触れていない。


 風もない。


 それなのに、頁は本の中心に収まり、黒い文字を浮かび上がらせた。


「第十三頁、索引再開」


 その文字を見た瞬間、ノアの喉が勝手に動いた。


 知らない言葉が、喉の奥へ上がってくる。


 古い。


 黒い。


 前世の記憶よりさらに深い、黒魔導書の索引用語。


 ノアは口を押さえた。


「っ……」


 それでも、唇の隙間から、知らない音が漏れかけた。




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