↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒い災厄は、聖なる伴侶の檻から逃げられない~前世で俺を殺した英雄が、今世では赤い糸で俺を閉じ込めてくる~  作者: なつめ
第六章【魂帳局と転生者狩り】

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

127/134

第125話 深部記録へ接続



 セドリック・バロウズの研究室の机に、灰色の記録陣が描かれていた。


 円ではない。


 帳簿の頁を何枚も重ねたような四角い陣だった。縦横に走る罫線、余白、署名欄、封緘印の位置。魔法陣というより、巨大な記録用紙そのものに近い。


 その中央に、いくつものものが置かれている。


 レギス・グレイヴの認証符。


 ノア・クロウの手の甲から写し取った照合番号の記録片。


 赤い糸の切断痕から採取した灰色の残滓。


 黒い花、灰色の帳簿印、白花派紋が重なった三つの紋の記録片。


 どれも、単体で扱うには危険なものばかりだった。


 それを一つの陣に並べる。


 どう見ても、魂に悪い。


 ノアは椅子に座ったまま、机上の灰色陣を見下ろした。


 右手の甲には、照合番号の横に白い枠が残っている。その内側には、薄く「ノア・クロウ」と刻まれていた。昨夜、空白名札の侵食に抗って、自分で刻んだ現世名。


 まだ消えていない。


 だが、薄い。


 深部記録へ接続するとなれば、また反応するだろう。


 伴侶首輪《メイト・カラー》も不安定だった。灰色の切断痕は、今朝から何度も熱を持っている。黒い亀裂も疼き、照合率二パーセントの数字は沈みきらない。


 ノアは喉を押さえ、掠れた声で言った。


「机の上、嫌なもの詰め合わせすぎない?」


 セドリックは、陣の端へ黒魔法の補助線を入れながら答えた。


「嫌なものを繋がなければ、嫌な場所へは届かない」


「理屈が嫌」


「事実だ」


「今日の先生、嫌の押し売りがすごい」


「君の状況に合わせている」


「返品したい」


 レオ・アステルレインは、ノアのすぐ隣に立っていた。


 立ち位置は、いつもより少しだけ横に近い。


 以前なら、完全にノアの前に立っていただろう。灰色の記録陣も、レギスも、机も、深部記録も、すべてからノアを遮ろうとしていたはずだ。


 だが今は、横だった。


 完全には納得していない。


 それどころか、青い瞳はずっと危険を見ている。


 けれど、レオはノアの前を塞がなかった。


 赤い糸は強く張っているが、ノアの魂糸を包み込みすぎない位置で留まっている。支える。引かない。縛らない。だが、いつでも戻せるようにしている。


 過保護の微調整。


 苦手なまま、続けている。


 レギスは机の反対側に立っていた。


 灰色の制服。


 黒く染まった腕輪。


 その腕輪には、まだ拘束対象の命令痕が残っている。セドリックが一時的に封じているが、完全に消えたわけではない。魂帳局から見れば、彼はすでに任務逸脱者だった。


 レギスは自分の認証符を見下ろし、静かに言った。


「一度接続すれば、魂帳局本庁はこの場所を検知します。転生者狩りが正式発動する可能性が高い」


 ノアは薄く笑った。


「じゃあ急いで覗いて、急いで逃げる。最悪の図書館利用だな」


 レオが即座に言う。


「逃げる前提にしないで」


「捕まる前提よりマシ」


「捕まらない」


「頼もしい。怖いけど」


 レオは答えなかった。


 答えない代わりに、赤い糸が少しだけ強くなった。


 ノアは横目で見た。


「今、包み込みすぎ一歩手前」


 レオの眉が動く。


「……抑える」


「よろしい」


 セドリックが最後の補助線を描き終えた。


 研究室の窓には、幾重もの遮断符が貼られている。学院結界へ余波が出ないように、壁にも床にも黒魔法の固定陣が敷かれていた。だが、それでも完全な遮断はできない。


 これは魂帳局本庁の深部記録へ触れる術式だ。


 向こうが気づかない保証はない。


 むしろ、気づく前提で動くしかない。


 セドリックはノアへ視線を向けた。


「異常があれば即座に接続を切る。喉、首輪、手の甲、照合率。どれかが強く反応した時点で撤退だ」


「了解」


「軽い」


「重くすると本当に怖いので」


「怖がれ」


「怖いです」


 今回は、ノアの声も軽くはなかった。


 セドリックはそれ以上言わなかった。


 レオがノアの手を取る。


「触れていい?」


「今さらだけど、いい」


「手の甲には触れない。手首を支える」


「うん」


「赤い糸は強くしすぎない」


「うん」


「でも、引かれたら戻す」


「そこは頼む」


 レオの表情が、少しだけ変わった。


 頼む。


 ノアがそう言ったからだ。


 レオは低く答えた。


「戻す」


 セドリックが陣を起動した。


 灰色の記録陣が、机の上でゆっくり回転し始める。


 紙ではないのに、頁がめくられる音がした。かさり、かさり、と乾いた音が研究室に満ちる。認証符が灰色に光り、照合番号の記録片が冷たく瞬いた。赤い糸の切断痕から取った灰色の残滓が細い煙のように立ち上り、三つの紋の記録片が黒く、白く、灰色に明滅する。


 ノアの手の甲が疼いた。


「っ……」


 短い息が漏れる。


 中度にも届かない。


 だが、痛みはある。


 白い枠の中の「ノア・クロウ」が、薄く光った。伴侶首輪が熱を持ち、灰色の切断痕がじくりと疼く。喉が少し詰まる。


 レオがすぐに呼びかける。


「ノア・クロウ」


 首輪の熱が少し落ち着く。


 ノアは目だけで頷いた。


 灰色の記録陣がさらに回る。


 研究室の壁が薄れていく。


 代わりに、無数の帳簿棚が幻のように現れた。


 白灰色の空間。


 天井まで続く棚。


 閉じられた帳簿。


 空中を走る記録線。


 羽ペンの音。


 だが、今まで見た魂帳局の受付空間とは違った。


 ここは、もっと深い。


 窓口も番号札もない。


 ただ、記録だけがある。


 誰かに見せるためではなく、隠すために積まれた記録。


 深部記録。


 ノアの魂糸が、その空間に触れた。


 同時に、無数の記録線が一斉に反応する。


 ノア・クロウ。


 イリアス・ノクスヴェルト。


 セラフィード・ルミナリア。


 同盟儀式。


 父王殺害。


 白花派。


 黒魔導書。


 災厄再臨儀礼。


 伴侶契約。


 赤い糸。


 それらが、別々の帳簿に散らばっているはずなのに、深部では一本の黒い構造へ繋がっていた。


 ノアは息を呑む。


 思っていたより、深い。


 自分一人の記録ではない。


 イリアスの記録だけでもない。


 レオの前世、セラフィードの記録も繋がっている。前世の同盟儀式、白花派の祈祷、黒魔導書の封印庫、そのすべてが同じ中心へ向かっていた。


 中心にあるのは、黒い空白だった。


 黒い頁ではない。


 黒い穴でもない。


 そこだけ、記録が欠落している。


 存在しない欄。


 塗り潰された署名。


 削られた注釈。


 誰も書いていないはずの場所。


 その空白の中央に、一文字だけが浮かんでいた。


 O。


 古代文字の「O」。


 円環のように始まり、尾を引く、あの署名。


 ノアの喉が低く鳴った。


「……いた」


 レオの赤い糸が強く張る。


「触れないで」


 ノアは黒い空白を見つめた。


 手の甲が疼く。


 白い枠が熱を持つ。


 伴侶首輪の照合率が内側で揺れた。


 二。


 三へ進む前の、嫌な揺れ。


 まだ止まっている。


 だが、黒い空白へ近づけば進む。


 それは分かった。


 ノアは、ゆっくり手を伸ばしかけた。


 レオの声が鋭くなる。


「触れないで」


「触らないと分からない」


「分かる前に奪われる」


 ノアの指が止まる。


 黒い空白は、目の前にある。


 そこへ触れれば、何かが分かる。


 オルドレイス代理の正体。


 同盟儀式の本当の欠落。


 黒魔導書へ手を伸ばす前の封印庫の影。


 白花派と魂帳局を繋いだ古い線。


 名前のない子供の空白名札。


 自分の回収予定。


 すべての中心へ、触れられるかもしれない。


 けれど、触れたら奪われる。


 それも分かる。


 黒い空白は、記録の欠落ではない。


 欠落の形をした口だ。


 近づく魂糸を飲み込み、名前を削り、空白にして、そこへ署名を刻むもの。


 ノアの手の甲の白い枠が、熱く疼いた。


 レオはノアの手首を支えていた。


 止めたい。


 無理やり引き戻したい。


 だが、まだそうしていない。


 レオは、ノアが止まることを待っていた。


 ノアは、それに気づいた。


 呼吸が少しだけ乱れる。


 喉が痛い。


 胸の奥が重い。


 それでも、指を戻した。


「……触らない」


 レオの赤い糸が、大きく震えた。


 安堵ではなく、張りつめていたものが少しだけ緩む震え。


 セドリックの声が響く。


「正しい判断だ」


 ノアは苦く笑った。


「褒められると、逆に怖い」


「無茶をしなかったからな」


「俺、そこまで普段信用ない?」


 レオが即答する。


「ない」


「即答すんな」


 黒い空白が、わずかに揺れた。


 触れないと分かったからか。


 それとも、ノアの現世名が空白に呑まれなかったからか。


 Oの署名が、黒い中心でゆっくり回る。


 レギスが認証符へ手をかざした。


「複写を行います」


 セドリックが警告する。


「深く取るな。表層の接続構造だけだ」


「承知しています」


 レギスの灰色の認証符が光る。


 彼の腕輪は黒く染まったままだが、凍結前に残った回収官認証が、深部記録の表層へ届いた。


 灰色の記録糸が伸びる。


 黒い空白には触れない。


 その周囲を巡る記録線だけを、薄い膜のように写し取っていく。


 ノア・クロウ。


 イリアス・ノクスヴェルト。


 セラフィード・ルミナリア。


 同盟儀式。


 白花派。


 黒魔導書。


 そして、空白中心に浮かぶO。


 レギスの額に、わずかに汗が滲んだ。


 彼も危険な接続をしているのだ。


 セドリックは黒魔法陣を維持し、複写の逃げ道を作る。


 レオはノアの手首を支え続ける。


 ノアは、黒い空白を見たまま動かない。


 触れない。


 触れないことが、こんなに難しいとは思わなかった。


 だが、今回は止まった。


 レオが止めたからだけではない。


 自分で止まった。


 その選択を、赤い糸が静かに支えていた。


 接続が閉じ始める。


 帳簿棚が遠ざかる。


 黒い空白が、深部の奥へ沈んでいく。


 Oの署名だけが、最後まで残った。


 まるで、こちらを見ているようだった。


 ノアは低く呟いた。


「実体ないくせに、目だけあるみたいで嫌だな」


 レオの声が冷える。


「次はもっと離れて見る」


「次がある前提か」


「あるなら」


「頼もしい。怖いけど」


 深部記録の幻が消えた。


 研究室の壁が戻る。


 机の上には、灰色の薄膜状の複写記録が残っていた。そこには複数の記録線が絡み合い、その中心に黒い空白とOの署名が写っている。


 ノアは椅子の背にもたれた。


 手の甲が痛む。


 首輪も熱い。


 だが、照合率は進んでいない。


 二パーセントのままだ。


 レオがすぐにノアの喉へ手をかざす。


「喉」


「今日は無茶してないだろ」


 レオは、ノアの手の甲も確認しながら言った。


「していない。だから怖かった」


「どういう理屈」


「君が止まったから、どれだけ危なかったか分かった」


「止まらなかった場合の想像で怖がるな」


「する」


「するな」


「無理」


「正直でよろしい。最悪だけど」


 レオは手の甲の白い枠の熱を冷まし、首輪の反応を整えた。


 ノアは文句を言いながらも、されるままにしていた。今回は、本当に無茶をしなかった。だからこそ、身体の方も重度には落ちていない。喉の詰まりも軽い。手の甲の痛みはあるが、耐えられる。


 その時、机上の複写記録が強く光った。


 レギスの認証符が黒く染まる。


 セドリックの黒魔法陣が警告を吐き出した。


 灰色の文字が、研究室の空中に浮かぶ。


「深部記録への不正接続を検知」


 続いて、二行目。


「転生者狩り、正式発動」


 研究室の外で、学院結界が鳴った。


 低い音だった。


 鐘でも、警報でもない。


 結界そのものが、灰色の記録術式に触れられた音。


 ノアは窓の外を見た。


 学院全体を包む透明な防護結界が、端から灰色に染まり始めていた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。