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黒い災厄は、聖なる伴侶の檻から逃げられない~前世で俺を殺した英雄が、今世では赤い糸で俺を閉じ込めてくる~  作者: なつめ
第六章【魂帳局と転生者狩り】

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第123話 回収官も狩られる



 灰色の腕輪が、黒く染まっていく。


 レギス・グレイヴの左手首に嵌められた魂帳局回収官の腕輪は、さきほどまで薄い灰色だった。無駄な装飾はなく、ただ記録術式を通すための細い金属輪に見えた。


 それが今、墨を流し込まれたように黒へ変わっている。


 研究室の空気が、冷えた。


 腕輪の表面に浮かび上がった文字は、誰の目にも読めた。


「回収官レギス・グレイヴ、任務逸脱。拘束対象」


 ノア・クロウは寝台ではなく、研究室の椅子に座っていた。


 重度反応後の身体はまだ重い。喉は掠れ、手の甲の白い枠は熱を残している。照合番号の横には、薄く刻まれた「ノア・クロウ」の文字がある。伴侶首輪《メイト・カラー》も不安定で、灰色の切断痕が時折じくじくと疼いた。


 それでも、ノアはその文字を見て、乾いた笑いを漏らした。


「お仲間にも容赦ないな。職場環境、最悪」


 声は掠れていた。


 だが、皮肉は死んでいなかった。


 レギスは腕輪を見下ろしたまま、表情を整えていた。


 いつもの灰色の顔。


 感情を見せない、礼儀正しい回収官の顔。


 けれど、その沈黙はいつもよりわずかに長い。


 彼は正式任務として来た。


 魂帳局の令状を持ち、学院へ入り、監視官として滞在し、記録を取った。ノアを回収対象として扱った。伴侶契約を不正固定の疑いとして見た。


 それが彼の職務だった。


 だが、ノアの手の甲に浮かんだ空白名札を見て、彼は言った。


 正式処理ではない、と。


 その瞬間、魂帳局側から任務逸脱と認定された。


 つまり。


 正式処理を口にした者が、正式な命令系統から外れた。


 セドリック・バロウズが、低く言った。


「命令系統そのものが汚染されているな」


 レギスは否定しなかった。


 薄い灰色の瞳が、黒く染まった腕輪を見ている。


「私は、局内規定に基づき確認を述べました」


「それが逸脱扱いか」


「そのようです」


 声はまだ淡々としている。


 だが、そこに微かな硬さが混じった。


 ノアは、手の甲を押さえながら呟く。


「役所で規定通りに喋ったら拘束対象。終わってるな」


 レオ・アステルレインは、ノアの隣に立っていた。


 レギスに対する敵意は消えていない。


 むしろ濃い。


 レギスが完全な黒幕ではないと分かっても、魂帳局の人間であることは変わらない。ノアを回収対象として見た。監視した。その記録で照合率が進みかけた。令状を持って任意同行を求めた。


 レオにとって、それは簡単に許せるものではなかった。


 それでも、今のレギスが情報源であることも分かっている。


 ノアがそう判断したからだ。


 レオは、青い瞳を冷やしたまま、魔力を抑えていた。


 その時、研究室の中央に灰色の線が走った。


 床ではない。


 空間そのものに、線が刻まれる。


 細い文字列が鎖のように連なり、輪を作り、腕輪から伸びた黒い命令文と接続した。魂帳局の記録術式。拘束用の構文。


 灰色の鎖が、空中に現れた。


 一本。


 二本。


 三本。


 金属ではない。灰色の文字が連なって鎖の形を取っている。輪の一つ一つに「拘束」「回収官」「逸脱」「連行」「処理」といった文字が刻まれていた。


 鎖は、レギスへ向かって伸びた。


 レギスは反射的に後退しようとしたが、腕輪が黒く光り、足元に灰色の陣が開く。


 動きが鈍る。


 自身の装備が、自身を拘束するための座標になっていた。


 ノアは、椅子の肘置きを掴んで立ち上がろうとした。


 身体が重い。


 喉が痛い。


 それでも、動いた。


 レオが即座に支えようとする。


「ノア」


「レオ、止めるぞ」


 レオの視線がレギスへ向く。


「彼を?」


「情報源を」


「言い方」


「大事だろ」


 レオは一瞬だけ沈黙した。


 助けたいわけではない。


 だが、ノアが動くなら、止めるだけでは足りない。


 ノアの判断を尊重する。


 敵味方の線引きより、ノアが今必要だと言ったものを優先する。


 それを、レオは苦しそうに選んだ。


「分かった」


 灰色の鎖がレギスの腕へ巻きつこうとする。


 セドリックが黒魔法陣を展開した。


「ノア、読むだけだ。触れすぎるな」


「分かってます」


「信用ならない」


「今日それ三人目」


 ノアは右手を上げた。


 照合番号が冷たく疼く。


 白い枠の中に刻まれた「ノア・クロウ」の文字が、灰色の鎖に反応して薄く光った。伴侶首輪の切断痕も痛む。胸の奥で赤い糸が震えた。


 鎖の構文は、魂帳局式。


 だが、表面の整った拘束命令の下に、黒い別の筆跡が混じっている。


 局内装備の停止。


 職務権限の凍結。


 移送準備。


 回収官を回収対象へ再分類。


 ノアは、低く息を吸った。


「……やっぱり、これも代理処理が混じってる」


 喉が詰まる。


 灰色の鎖の構文を読むたび、首輪の切断痕が熱を持った。第110話で赤い糸を切られかけた時と同じ種類の冷たい痛みが、胸の奥を引っ掻く。


 ノアは顔をしかめた。


「っ……」


 短い呻きが漏れる。


 レオの赤い糸がすぐに支える。


「ノア・クロウ」


「助かる。まだいける」


「無理をするな」


「してる。でも必要」


 レオは苦い顔をした。


 だが、止めない。


 灰色の鎖がレギスの左腕へ巻きついた。


 腕輪がさらに黒く染まる。


 レギスの顔がわずかに歪んだ。


 痛みではない。


 魔力権限を奪われる感覚だろう。彼の持つ魂帳局式の術式が、同じ魂帳局式の命令で封じられている。


 セドリックが低く言った。


「レギス、腕輪を外せるか」


「不可能です。回収官登録と連動しています」


「なら、接続を切る」


「切断すれば、回収官資格が失効します」


 ノアは掠れた声で笑った。


「今それ気にしてる場合か?」


 レギスは一瞬黙った。


「……違います」


「よろしい」


 灰色の鎖が、次に首元へ向かう。


 魂糸を拘束する鎖だった。


 人間の身体を縛るものではない。記録上の所属と権限を縛り、魂帳局の管理対象として再登録する鎖。捕まれば、レギスは身体ごとではなく、記録ごと持っていかれる。


 ノアは鎖の構文を目で追った。


 灰色の文字列が速い。


 喉がさらに詰まる。


 首輪が熱を持ち、手の甲の白い枠がずきりと痛んだ。空白名札の侵食が、鎖の構文に反応している。


 だが、今は止まれない。


「レオ、三本目。根元じゃなくて、命令文の接続部分」


「見えている」


「聖魔法を強く入れすぎると、こっちの赤い糸が反応する」


「分かってる」


「ほんとに?」


「調整する」


「よろしい」


 レオの白金の魔力が、細い刃の形を取った。


 いつものような大きな光ではない。


 髪の毛ほどの細さ。


 ノアが読んだ構文の継ぎ目だけを狙う。


 レオにとっては苦手な戦い方だった。


 大きく守りたい。


 大きく斬りたい。


 完全に遮断したい。


 だが、それでは証拠も構文も壊れる。レギスを助けるどころか、魂帳局側へ警報を送る可能性がある。


 だから、細く。


 必要なところだけ。


 ノアの声を頼りに。


 レオは白金の刃を走らせた。


 灰色の鎖の一部が、音もなく切れた。


 文字列が崩れ、床へ落ちる前に灰へ変わる。


 レギスの右腕が動くようになった。


 彼はすぐに白い手袋の指で腕輪へ触れ、内部から拘束命令を遅延させる。


「十秒、稼ぎます」


 ノアは息を吐く。


「職場への反抗、板についてきたな」


「不本意です」


「そこは慣れて」


「慣れたくありません」


 次の鎖が動いた。


 今度はノアの方へ反応した。


 構文を読んでいるノアの魂糸を、補助対象として検出したらしい。灰色の文字列が、蛇のように方向を変える。


 レオの赤い糸が一気に張った。


「ノア!」


「来るの早いな、役所のくせに……っ」


 ノアは右手をかざす。


 黒魔法が指先に集まった。


 攻撃ではない。


 解析。


 灰色の鎖の文字列を、黒い魔力で一瞬だけ浮かび上がらせる。鎖が持つ命令文を読み取り、偽装された接続点を露出させる。


 その瞬間、首輪の切断痕が強く痛んだ。


「ぐ……っ」


 喉が詰まる。


 視界の端が黒く滲む。


 手の甲の白い枠が熱を持つ。


 レオが支える。


「ノア・クロウ」


 名が、現実へ引き戻す。


 ノアは歯を食いしばった。


「左下、黒い署名の手前……そこ、切れ」


 レオは迷わなかった。


 白金の刃が走る。


 灰色の鎖が切断され、ノアへ向かっていた文字列が砕けた。


 だが、砕けた破片が空中で再結合しようとする。


 セドリックが黒魔法陣を叩き込んだ。


「再構築阻害」


 低い声とともに、床に展開された黒い陣が灰色の破片を飲み込む。


 鎖の再形成が止まる。


 レギスはその隙に、自分の腕輪へ指を押し込むように術式を走らせた。


 白い手袋の下で、指先が震える。


 腕輪から黒い光が噴き出す。


 ノアは、その光の中に署名を見た。


 O。


 古代文字の丸い始まり。


 尾を引く筆跡。


 局長代理。


 代理処理。


 名前のない子供の空白名札にもあった署名。


 ノアは低く言う。


「また、Oだ」


 レオの魔力が冷える。


「切る」


「待て。署名は残す」


「……分かった」


 レオは、今度も我慢した。


 白金の刃を、署名の本体ではなく、その周囲の拘束命令だけに当てる。黒い署名を傷つけず、鎖の命令文を断つ。


 難しい。


 だが、やった。


 灰色の鎖が、一本ずつ崩れていく。


 最後の鎖がレギスの腕輪から外れ、空中で砕け散った。


 研究室に、灰色の灰が降る。


 黒魔法陣がそれを受け止め、証拠として封じる。


 レギスは片膝をついた。


 呼吸は乱れていない。


 だが、薄い灰色の瞳に、初めて明確な疲労が浮かんでいた。


 腕輪はまだ黒い。


 ただし、拘束命令は停止している。


 ノアは椅子に座り直した。


 立っていたつもりだったが、いつの間にかレオに支えられていた。足に力が入らない。喉が痛い。首輪の切断痕がじくじくと疼いている。


 レオがすぐに顔を覗き込む。


「喉」


「今日は俺より回収官の心配じゃない?」


「君を優先する」


「知ってた」


 レオは返事もせず、ノアの喉へ薄い治癒魔法を当てた。


 次に首輪。


 灰色の切断痕の熱を鎮める。赤い糸の傷も確認する。強く包み込まず、けれど離さない。怒りと恐怖の残る指先で、それでも手順を守る。


 ノアは小さく息を吐いた。


「だいぶ調整、上手くなったな」


「嬉しくない」


「褒めてるのに」


「君が痛がった」


「戦闘中だからな」


「嫌だ」


「知ってる」


 レギスはゆっくり立ち上がった。


 セドリックが彼の腕輪へ観測符を向ける。


「動くな。残骸を読む」


「承知しました」


 灰色の鎖の残骸が、研究室の中央に浮かび上がる。


 砕けた文字列。


 拘束命令。


 任務逸脱。


 拘束対象。


 そして、その奥に黒い署名が浮かぶ。


 局長代理、O。


 ノアはそれを見て、眉を寄せた。


「局長代理、O」


 レオの赤い糸が鋭く震える。


 セドリックの顔が険しくなる。


 レギスは、その署名を見た瞬間、初めてはっきりと表情を変えた。


 驚愕。


 否定。


 そして、恐怖に近い理解。


「そんな役職は存在しない」


 研究室の灰色の残骸が、その言葉を嘲笑うように、黒く微かに光った。




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