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黒い災厄は、聖なる伴侶の檻から逃げられない~前世で俺を殺した英雄が、今世では赤い糸で俺を閉じ込めてくる~  作者: なつめ
第六章【魂帳局と転生者狩り】

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第112話 転生者狩り



 セドリック・バロウズの研究室は、朝の光を拒むように薄暗かった。


 窓の外は明るくなり始めている。


 学院の尖塔の縁に、白い朝が滲んでいた。中庭の木々も、遠い校舎の屋根も、夜の青から少しずつ輪郭を取り戻している。だが研究室の中だけは、まだ夜の続きのようだった。


 机の上には、観測水晶が三つ。


 赤い糸の反応を写すもの。


 伴侶首輪《メイト・カラー》の損傷を読むもの。


 魂帳局式の灰色構文を分離するもの。


 それぞれが薄い光を放っている。


 ノア・クロウは、椅子に座らされていた。


 座っている、というより、座らされている。


 身体はまだ重い。喉は掠れ、少し話すだけで奥がひきつる。胸の内側には、赤い糸を削られた時の鈍い痛みが残っていた。伴侶首輪の内側に走った灰色の切断痕は、今も消えていない。


 赤い糸は切れていない。


 だが、傷はある。


 細く裂けたように震え、時折、灰色の冷たい光を滲ませる。


 ノアは、喉に当てられた冷却符を指で押さえながら、掠れた声で言った。


「朝から研究室送り。俺の学生生活、医務室と研究室の往復で単位出ませんか」


 セドリックは机の向こうで黒魔法陣を調整しながら言った。


「軽口を叩くな。喉が死ぬ」


「もうかなり死んでます」


「なら黙れ」


「先生、優しさを命令形に包むのやめません?」


「君には命令形の方が通る」


「否定できないのが悔しい」


 レオ・アステルレインは、ノアの隣に立っていた。


 座ろうとしない。


 自分も消耗しているくせに、ノアの近くから離れない。青い瞳はずっと赤い糸の傷を追っている。時折、首輪の灰色の線を見て、表情がさらに硬くなる。


 ノアは横目で見た。


「お前、壁みたいに立つな。圧がある」


「離れたくない」


「近いと圧がある」


「近くにいる」


「交渉する気がない」


「ない」


「正直でよろしい。最悪だけど」


 レオは否定しなかった。


 赤い糸の切断痕が、また小さく疼く。


 それに合わせて、レオの指先がわずかに動いた。糸を確認したい。首輪を確認したい。ノアの喉を確認したい。呼吸を確認したい。名前を呼びたい。


 全部、顔に出ていた。


 ノアは低く言う。


「点検はあとで」


「今も必要」


「セドリック先生の説明が先」


「説明中に悪化したら」


「その時は呼べ」


 レオはすぐに言った。


「ノア・クロウ」


「今じゃない」


「確認」


「過剰」


「……努力する」


 セドリックが、二人を一瞥した。


「夫婦漫才をする体力があるなら聞け」


「伴侶契約です」


「訂正している場合か」


「今のは反射です」


 セドリックは溜息をつき、観測水晶をノアの首輪の高さへ合わせた。


 灰色の切断痕が、水晶の中に拡大される。


 白い花紋を横切るように走る、細い灰色の線。


 そこから伸びる構文は、魂帳局のものだった。


 だが、セドリックはその一部を指でなぞり、眉を寄せる。


「純粋な局内処理ではない」


 ノアは目を細めた。


「昨日も言ってましたね。代理処理」


「ああ。切断命令の署名が通常職員のものではない。魂帳局式の命令形に、オルドレイス代理の処理印が重なっている」


 レオの声が低くなる。


「魂帳局が、ノアを切ろうとした」


「正確に言えば、魂帳局の処理系統を通じて、切断申請が出された」


「同じです」


「違う。そこを雑に扱うな」


 セドリックの声は冷静だった。


 だが、そこには強い警告があった。


「魂帳局そのものを単純な敵として見れば、こちらの判断を誤る。魂帳局は、本来、転生者の記録を管理するための機関だ。問題は、その制度が記録優先主義に偏り、さらに代理処理によって歪められていることだ」


 ノアは、冷却符を喉に当てたまま顔をしかめる。


「歪んだ役所、最悪すぎる」


「最悪なのは否定しない」


 セドリックは水晶を切り替えた。


 今度は、赤い糸の傷が映る。


 傷の周囲に、灰色の文字鎖の残滓が絡みついていた。切断は失敗している。だが、痕跡は明確に残っている。


「この切断痕には、回収処理の前段階が混ざっている」


 ノアの魂糸が、ぴくりと警戒した。


 胸の奥が鈍く痛む。


 首輪が、冷たい熱を持った。


 レオがすぐに名を呼ぶ。


「ノア・クロウ」


 ノアは息を吐く。


「分かってる。戻ってる」


 セドリックは続けた。


「魂帳局には、表向き記録管理しか存在しない。出生、死亡、転生、魂名、前世記録、伴侶契約。そうした記録を保管し、照合する。それが公的な役割だ」


「表向き、って言いましたね」


「ああ」


 セドリックの目が、少しだけ冷えた。


「非公式に、転生者狩りと呼ばれる実働部隊がいる」


 研究室の空気が止まった。


 ノアは一拍置いてから、掠れた声で言った。


「転生者狩り。名前からして職業倫理が死んでる」


 レオの青い瞳が、一気に冷えた。


「来たら止める」


 ノアは横目で見上げる。


「その顔、止めるじゃなくて潰す顔」


「必要なら」


「必要にするな」


 レオは黙った。


 否定しない。


 ノアは喉の痛みに耐えながら、低く言う。


「そこ、即答で否定してほしいところなんだけど」


「ノアを回収対象にした」


「したな」


「赤い糸を切ろうとした」


「したな」


「次に君を狩る部隊が来るかもしれない」


「だからって先に全員潰すな」


「来たら」


「止める。潰すじゃなくて止める」


 レオの口が、わずかに閉じられる。


 不満そうだった。


 不満そうで済むところが、もう怖い。


 セドリックが机を指で叩いた。


「話を戻す」


「はい、先生」


「転生者狩りは、本来、暴走した転生者を保護するための制度だった」


 ノアは目を細めた。


「保護?」


「そうだ」


 セドリックは、棚から古い資料を取り出した。


 革表紙の薄い冊子。


 表紙には、魂帳局の古い帳簿印が押されている。正式な資料ではないのか、端に黒魔法科の研究者による写しという注が入っていた。


「転生者は、前世記録を持つ。だが通常、それは薄い夢や既視感程度で済む。問題は、前世記録が濃すぎる者だ。前世の罪、未完の儀礼、死の瞬間、魂への呪い。それらが現世人格を侵食することがある」


 ノアは喉を押さえた。


 心当たりがありすぎる。


 黒魔導書。


 父王殺害。


 幼いイリアス。


 災厄再臨儀礼。


 魂帳局の記録不一致。


 まるで、制度説明の悪い実例に自分の名前が載っているようだった。


 嫌すぎる。


 パンフレットに使用例として載せるな。載せたら燃やす。


 セドリックは続ける。


「前世記録と現世人格の不一致が大きい者、前世の罪が現世へ影響している者、記録に重大な異常がある者。そうした転生者を一時的に保護し、記録を安定させ、必要なら封緘する。それが本来の転生者狩りの役割だった」


「名前、完全に保護の響きじゃないんですけど」


「現場側の俗称だ。正式名称は別にある」


「何ですか」


「転生記録回収班」


「さらに嫌です」


 セドリックは否定しなかった。


 レオは冷えた声で言う。


「保護なら、本人意思を後回しにしない」


「本来はしない」


 セドリックが資料を閉じる。


「本来なら、本人の現世人格を最優先にする。前世記録が暴走し、本人の生命や周囲へ重大な危険がある場合に限って、介入する。少なくとも古い規定ではそうなっている」


 ノアは低く笑った。


「古い規定では」


「現在、運用が変質している」


「記録の整合性が優先されます、ってやつですね」


「そうだ」


 セドリックは観測水晶に映る灰色構文を指した。


「昨夜の窓口応答は、本人保護ではなく記録整合を優先していた。しかも、切断命令に代理処理が混ざっている。つまり、本来は保護制度だったものが、オルドレイス代理に利用され、ノア・クロウを旧記録へ戻すための狩猟制度へ反転させられている可能性が高い」


 ノアの伴侶首輪が、冷たく熱を持つ。


 魂糸が警戒するように震えた。


 赤い糸の傷が疼き、胸の奥に鈍い痛みが走る。


 ノアは目を閉じかけ、すぐに開いた。


 レオが手を伸ばす。


「ノア」


「平気じゃないけど、落ちてない」


「喉」


「痛い」


「糸」


「痛い」


「首輪」


「熱い」


「確認する」


「今じゃない」


「今」


「セドリック先生の前で点検会を始めるな」


 レオは押し黙った。


 だが、明らかに納得していない。


 セドリックは淡々と言った。


「点検は必要だ。だが、説明を終えてからでいい」


「先生まで点検って言った」


「実際、点検に近い」


「俺、機械じゃないんですけど」


「機械なら分解して修理できる。君はできないから厄介だ」


「その方向の返し、レオと似てきてません?」


 レオが静かに言った。


「機械なら交換できた」


 ノアは、すぐに顔を向けた。


「言い方」


 レオは真顔だった。


「君は交換できない」


「分かるけど、言い方」


「だから、確認する」


「今じゃない」


「あとで」


「約束するな。怖い」


 セドリックが咳払いをした。


「続けるぞ」


 ノアは、喉を押さえ直した。


「お願いします」


「転生者狩りは、対象を殺す部隊ではない。少なくとも制度上はな。回収、隔離、封緘、記録安定処置。それが目的だ」


 レオの声が低い。


「ノアを隔離するつもりなら、同じです」


「レオ」


 ノアが掠れた声で制する。


 レオはノアを見た。


 青い瞳の奥に、苛立ちが濃い。


 学院内外すべてが敵に見え始めている顔だった。


 窓。


 扉。


 廊下。


 外部から来る馬車。


 来客名簿。


 郵便。


 教会。


 役所。


 魂帳局。


 全部を警戒し、全部を遮断したい。


 ノアを外へ出したくない。


 その衝動が見える。


 ノアは低く言った。


「閉じ込めても、向こうは記録から来る」


 レオの表情が苦くなる。


「分かってる」


「分かってない顔してる」


「分かってる。でも、出したくない」


「調査するには動く必要がある」


「僕が動く」


「俺の記録だ」


「君が傷つく」


「もう傷ついてる」


 レオの赤い糸が、痛むように震えた。


 ノアは少しだけ目を細める。


「そこで傷を理由に全部取り上げると、魂帳局と方向は違っても、本人意思を後回しにするところは似るぞ」


 レオは、息を止めた。


 強い言葉だった。


 だが、必要だった。


 レオの顔がわずかに歪む。


「……それは、嫌だ」


「なら横にいろ」


「横」


「前でも檻でもなく」


「横にいる」


「よろしい」


 セドリックは二人のやり取りを見届け、資料へ視線を戻した。


「転生者狩りが来る場合、まずは任意同行を求めるはずだ。表向きは保護と照合だろう。だが、昨夜の記録空間で伴侶契約切断申請が出ている以上、その任意がどこまで任意かは疑わしい」


 ノアは掠れた声で言う。


「本人意思は照合完了後に確認されます、の組織ですもんね」


「ああ」


「任意の意味、辞書で引き直してほしい」


「魂帳局の辞書では、記録の任意かもしれんな」


「冗談が黒い」


「君に合わせた」


「やめてください」


 セドリックは、赤い糸の切断痕を再び観測した。


「この傷は証拠になる。伴侶契約を不正固定として処理した痕跡。切断命令に代理処理が混ざっていること。そして、赤い糸がノアの現世名を支えていたこと」


 レオが静かに言った。


「不正ではない」


「その主張を通すためにも、証拠が必要だ」


「魂帳局が証拠を認めるとは思えません」


「だから学院、教会、外部記録の三方向から固める」


 セドリックはノアを見る。


「君は当面、単独行動禁止だ」


「そこはまあ、文句言いづらいですね」


「授業も制限する」


「学生生活が死ぬ」


「生きていれば再履修できる」


「先生の励まし、現実的で悲しい」


 レオが即座に言う。


「僕が付き添う」


「でしょうね」


「全部」


「全部はやめろ。トイレ前まで来るな」


 レオは沈黙した。


 ノアは目を細める。


「今の沈黙、怖いな」


「……努力する」


「そこは約束」


「約束する」


 セドリックが、観測水晶に封印布を掛けた。


「今日はこれ以上、魂帳局空間へ接続しない。首輪と赤い糸の傷を安定させる。ノアは休む。レオも休め」


 レオは言った。


「僕は」


「君も休め。赤い糸を通じて切断未遂を受けたんだ。自覚がなくても消耗している」


「ノアが先です」


「それはそうだ。だが君が倒れれば、ノアの固定にも影響する」


 その言葉で、レオは黙った。


 効いた。


 ノアは小さく笑う。


「先生、扱いが上手い」


「面倒な伴侶持ちを見ていれば慣れる」


「俺のせいみたいに言わないでください」


「半分は君のせいだ」


「理不尽」


 研究室での処置が終わったあと、ノアは寮部屋へ戻された。


 歩けないほどではない。


 だが、階段は危ないと判断され、レオに支えられた。抱えようとした瞬間、ノアが睨んだため、肩を貸す形で落ち着いた。レオは不満そうだった。心底不満そうだった。


 部屋に戻ると、レオはすぐに水を用意し、冷却符を新しくし、赤い糸の傷を確認しようとした。


 ノアは寝台に腰掛け、掠れた声で言う。


「点検多すぎ。俺、機械じゃない」


 レオは、迷わず返した。


「機械なら交換できた」


「言い方」


「交換できないから、何度も確認する」


「重い。説明されても重い」


「喉」


「痛い」


「水」


「飲む」


「糸」


「痛いけど切れてない」


「首輪」


「熱いけど耐えられる」


「ノア・クロウ」


「俺はノア・クロウ。はい、点検終わり」


「もう一度」


「過剰」


「……ノア・クロウ」


 ノアは呆れたように息を吐いた。


 だが、首輪は少しだけ落ち着いた。


 赤い糸の傷も、かすかに震えを弱める。


 文句を言いながらも、ノアは分かっていた。


 この確認は、今は必要だ。


 ただし、必要だからといって、無制限に許すわけではない。


 その線引きを、二人で覚えなければならない。


 レオはノアの喉を癒し、魔力回路を整え、赤い糸の傷へ応急処置を重ねた。髪を梳き、身体を冷やさないよう毛布を整える。その一つ一つが過剰に丁寧で、少し怖い。


 だが、手は乱暴ではなかった。


 閉じ込めたい衝動を持ったまま、閉じ込めないために堪えている手だった。


 ノアは目を閉じかけた。


 ほんの少しだけ、眠気が戻ってくる。


 その時だった。


 学院の外側で、結界が小さく鳴った。


 鐘ではない。


 警報でもない。


 だが、学院の防護結界に外部の魔力が触れた時の、低い振動だった。


 レオが瞬時に立ち上がる。


 ノアも目を開けた。


 窓の外。


 学院の正門のさらに向こう。


 結界線の外に、灰色の馬車が止まっていた。


 装飾はほとんどない。


 貴族の馬車ではない。


 葬儀の馬車にも似ていない。


 ただ、白灰色の紋章が扉に刻まれている。


 魂帳局の帳簿印。


 馬車の扉が開いた。


 一人の男が降りてくる。


 長身。


 灰色の外套。


 白い手袋。


 表情の薄い顔。


 窓越しでも分かるほど、動きに無駄がなかった。


 男は学院の結界前で足を止め、淡々と名乗った。


「魂帳局回収官、レギス・グレイヴ」


 灰色の外套の裾が、朝の風に揺れる。


 男は、正門の奥を見据えた。


「転生者ノア・クロウの任意同行を求めます」



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