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アルカディア王国の象徴である白亜の王宮。その大食堂では、かつてのような優雅な晩餐会が開かれていた。しかし、並べられた銀食器の輝きはどこか翳り、列席する貴族たちの顔には、隠しきれない不安が影を落としている。
「……アラルリック様、このお肉、少し硬くありませんか?」
ミラベルが、困惑したようにナイフを置いた。
原因は調理場にある。食材を加熱するための魔導コンロ、その熱源となる「魔石」の出力が安定しないのだ。
魔石を精製する際、不純物を取り除く「砂特有のフィルター」が機能していないため、現在のアルカディア産魔石は、火力が急激に上がったり、あるいは立ち消えたりを繰り返す。結果として、王族の食事ですら、生焼けか、焦げ付いたものしか供されなくなってきていた。
「黙って食べろ、ミラベル。……それより、建設局はどうした。南の街道の修復は終わったのか」
アラルリックの問いに、給仕をしていた侍従が震える声で答える。
「……申し上げにくいのですが、昨日敷き詰めたばかりの路盤が、また今朝の小雨で再び『泥濘化』したとの報告が。砂が……砂がどうしても石材を繋ぎ止められないのです」
「馬鹿な!! 砂などどれも同じだろう! もっと大量に注ぎ込め!」
「注ぎ込んでも、粒子が丸く、魔力を流すと互いに反発して逃げてしまうのです! 兵士たちが手足で踏み固めても、大きな荷車が一度通れば、砂が『流体』のように溢れ出してしまい……」
アラルリックは、苛立ちをぶつけるようにワイングラスを煽った。
だが、その瞬間。
――パリンッ!
手の中で、繊細なクリスタルグラスが粉々に砕け散った。
アラルリックの手は無傷だったが、飛び散ったワインが彼の豪華な礼服を汚す。
「な、何だ!? 欠陥品か!?」
「いいえ……。実は……その……グラスの洗浄に使った水が『フィルター砂』が機能せず砂が共に流され、水に不純物が混じっていたようで、洗浄の際にグラス表面に微細な傷が重なり、魔導冷却の振動に耐えきれず自壊してしまったのかと……」
「ならば洗わず、代わりの新しいグラスを出して続けろ!」
「硝子の生産も、砂に起因する事情で……その……在庫があまり……」
日常の、あまりにも些細な「質の低下」
それが積み重なり、王族の暮らしという特権的な平穏を、ヤスリで削るように少しずつ破壊していく。
アラルリックは、己の指先にこびりついたワインの雫を忌々しげに見つめた。かつてエルネスタが、無言で、完璧に整えていたはずの「当たり前の品質」。それがこれほどまでに脆く、得難いものであったことに、彼は薄々勘付き始めるも、プライドに阻まれ、まだ本当の意味で気づいていなかった。
────
一方、ハルシュタット王国の演習場。
そこには、アルカディアの喧騒とは無縁の、静謐な「進化」の光景があった。
私の目の前には、新型の「魔導動力炉」が置かれている。
ハルシュタットが総力を挙げて開発した、大型海洋船舶や巨大飛空艇の心臓部だ。これまでの帝国製動力炉は、魔力を変換する際の熱暴走が激しく、一定時間の稼働で内部が焼き付く「鉄の棺桶」と呼ばれていた。
「……始めるわよ」
私は、動力炉の熱交換ユニットに、私が精製した「多孔質珪素砂」を充填した。
粒子の一つ一に、魔力の「通り道」となる極小の穴が開いている。この砂が、魔石から溢れ出す荒々しいエネルギーを細分化し、均一に冷却系へと受け渡す「バッファー」となるはず。
ゼノン殿下が、静かにスイッチを入れた。
――キィィィィィン……。
耳を劈くような不快な爆音ではない。
細く、高く、どこまでも透明な駆動音が、周囲の空気に響き渡る。
魔導計器の針は、かつてない高出力を示しながらも、ぴたりと安定して動かない。
「……まったく、本当に信じられん。熱伝導率が、計算上の限界値を超えている」
傍らに控えていた技術将校が、震える手で記録を取る。
「エンジンの振動が……ほとんど無い。砂が、魔力の揺らぎを完全に『吸収』しているのか。これなら、出力をもっと上げられるぞ!」
「ああ。これこそが、俺が夢見た、止まらなぬ軍隊だ」
ゼノン殿下が、私の隣に歩み寄る。
彼は誇らしげに、駆動を続ける動力炉を見つめた後、その視線を私へと移した。
「エルネスタ。この動力炉があれば、我が軍は雪深い北の連峰を越えることができる。……君の砂は、ハルシュタットに『距離』を克服する力を与えてくれた」
「……私は、砂が一番望んでいる形に、並び替えてあげただけです」
私は、自分の手を見つめる。
アルカディアでは、この手は「魔力を浪費するだけの手」と呼ばれた。
だが、ここでは。
「この砂の一粒が、万の兵を動かし、冬の凍えから民を救う。……エルネスタ、君はもう、砂を捏ねるだけの聖女ではない。この王国の、そして俺の、『頭脳』だ」
ゼノン殿下は、私の肩を力強く抱き寄せた。
その時、一人の伝令が血相を変えて飛び込んできた。
「報告します! 南の国境付近で、アルカディア王国の輸送部隊が立ち往生! 街道の地盤沈下により、軍用物資を積んだ重馬車が次々と横転、回収不能な状態に陥っているとのことです!」
ゼノン殿下と私は、顔を見合わせた。
「……ふむ、どうやら始まったようだな」
ゼノン殿下が低く笑う。
「エルネスタ。アルカディアが自ら招いた『物理的な限界』だ。奴らは今、魔法という名の虚像が、砂という現実の土台なしには成立しないことを、痛感している頃だろう」
────
アルカディア王国、国境付近。
ぬかるんだ泥の中に、最新鋭のはずの魔導兵器が、無残に突っ伏していた。
「押せ! 押すんだ!」
兵士たちが必死に叫ぶ。だが、放つ魔法が舗装材の泥に共鳴し、泥が周囲に飛散していく。
「ダメです、隊長! こんな状態では……」
さらに、追い打ちをかけるような音が響いた。
――ビキッ、ビキビキッ!
砲塔の砲身に、巨大な亀裂が走る。
発射すらしていない。ただ、輸送中の「振動」に耐えられなかったのだ。
内部の結合砂が劣化し、鋳造時の気泡が弱点となって、金属が疲労破壊を起こしていた。
「……おい、予備の魔石を出せ! 浮遊魔法で持ち上げるぞ!」
隊長が最終手段を命じる。
だが、支給されたばかりの新型魔石を魔導具にセットした瞬間、凄まじい火花が散った。
「ぐわあああ!」
魔導具が爆発し、術者の腕を焼く。
精製時に、数少ないまともな砂のフィルターをケチった代償だった。
不安定なエネルギーが、制御回路を内側から焼き切ったのだ。
道は失われ、武器は砕け、魔法は牙を剥く。
アルカディアの兵士たちは、自分たちの足元でドロドロと流れる「ただの泥」を、恐怖の眼差しで見つめていた。
かつて、自分たちの命を、経済を、安全を、無言で支えていた「礎」が、どこにもない。
────
夜、ハルシュタット王国の書斎。
私はゼノン殿下と共に、一枚の地図を広げていた。
アルカディアの物流網が死に、主要都市が孤立し始めているのが、赤い印で示されている。
「エルネスタ。……あちらの王都では、ついに魔導灯が半分以上消えたそうだぞ」
ゼノン殿下が窓の外の闇を指差した。
「精製された魔石の質が悪すぎて、公共の灯りに回す分が足りなくなったらしい。王宮は今、ロウソクの火で凌いでいるそうだ。……笑えるな。聖女の光を誇っていた国が、原始の火に戻るとは」
「……当然の帰結ですわ」
私は、ゼノン殿下の手を借りて、地図の上に一粒の「真っ白な砂」を置いた。
「私が精製したこの砂を、彼らが喉から手が出るほど欲しがる時が、もうすぐ来ます。……その時、彼らはどんな代償を差し出すのか、楽しみですわね」
私は、静かに笑った。
かつて「無能」と蔑まれ、泥の中に捨てられた女の復讐。
それは、剣で斬りつけるよりも深く、静かに、そして確実な「飢え」として、王国を蝕んでいく。
砂の一粒一粒が、福音となるか、絶望となるか。
それは、それを受け取る人間の「目」次第なのだ。




