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 ハルシュタット王国の朝は、どこまでも澄み渡っている。

 アルカディア王国を覆っていた、湿り気のある、どこか粘つくような風はここには届かない。代わりに、高原特有の鋭く乾いた空気が、私の肺を心地よく刺激する。

 

 私は砦の一角にある、自分専用に設えられた作業室で、顕微鏡代わりの魔導具を覗き込んでいた。これほど静かに一人で過ごせたのは、何年ぶりだろうか。私は人生という名の、自由を再び噛みしめ始めていた。


 レンズの先にあるのは、昨日、ハルシュタット王国の東部鉱山から届いたばかりの未精製の砂だった。

 

「……やはり、かどが足りないわね」

 

 独り言を漏らしながら、私は砂の粒子をピンセットで弄ぶ。

 アルカディアの王族は、砂をただの「汚れ」や「どこにでもある土」だと思っていた。けれど、知識を深めれば深めるほど、砂こそが文明の関節なのだと明白に再認識できてきた。


 粒子一つ一つが複雑な多角形を成し、互いにがっしりと食い込むことで、建築材は岩石以上の強度を得る。粒子が均一な大きさで並ぶことで、魔導回路の熱は澱みなく分散され、機械の焼き付きを防ぐ。など、今までは経験からでしか理解してなかったが、こうしてハルシュタット王国の資料などを紐解き、自身で砂そのものを分析すると、客観的に捉える事ができてきた。

 

 私がやっているのは、魔法という名の「超精密加工」だったのだと。

 天然の状態では丸く磨り減ってしまった砂の粒子を、魔力を介して「研ぎ直し」、理想的な工業資材へと再構築する。私は自身の力を誇らしく思えてくる反面、少し恐ろしさ、畏怖に近い感情が少し芽生えてきた。

 

 コンコン、と小気味よい音が室内に響いた。

 

「入るぞ」

 

 短い断り。振り返るまでもなく、その低く響く声の主が誰であるかは分かっていた。

 ゼノン殿下だ。彼は今日も、軍靴の音を響かせながら、私の作業机の横まで歩み寄る。

 その手には、一枚の書簡が握られていた。

 

「エルネスタ。お前の精製した『高耐熱万能砂』で作った新式の魔導砲、その試射が今朝行われた。結果を聞きたいか?」

 

「……壊れませんでしたか?」

 

「ハハハ。壊れるどころか、従来の倍の連射に耐え、砲身の歪みすら観測されなかった。技術局の連中が、お前を女神として祀り上げたいと泣きついてきているぞ」

 

 ゼノン殿下の口角が、皮肉げに、だが確かに誇らしげに上がる。

 

「ハルシュタットの資源はある種、濃度や密度が強すぎていて、逆にそこが弱点でもあった。だが、お前の砂があれば話は別だ。高耐熱万能砂で作られた型で鋳造された鋼は、内部に気泡一つない。……これこそが、俺が求めていた『折れない牙』そのものだ」

 

 彼は私の作業机に腰を下ろし、まじまじと私の手元を見つめた。

 アルカディアの者たちは、私に「光り輝く魔法」を求めた。だが、この男は、私の指先にこびりついた砂の汚れにこそ、国家の命運だと見出している。

 

「……殿下、あまり見つめられると、作業が捗りません」

 

「ほう。この俺に気圧されない女は、お前くらいのものだな。……少し、外へ出よう。詰め詰めの作業ばかりでは、砂の質も落ちるだろう」

 

────

 

 ゼノン殿下に連れられ、私は初めて砦の下にある城下町へと降りた。

 そこは、機能美の極みのような街だった。

 整然と並ぶ石造りの家々。行き交う人々は皆、丈夫そうな革やウールの服を纏い、その瞳には生活への活力が宿っている。

 

「見ておけ、エルネスタ。お前の砂は、兵器だけを変えているわけではない」

 

 彼が指し示したのは、街の広場にある共同の「魔導給湯所」だった。

 市民たちが大きな樽を持ち寄り、魔導具から溢れ出す温かなお湯を汲んでいる。

 

「これまでの熱交換器は出力も安定も不安定でな。湯を沸かすのにも膨大なコストと人員が必要だった。なにより、危険性もな。だが今や、お前が提供した『高耐熱万能砂』に替えてから、なにもかもが劇的に改善された。……この冬、寒さで凍え死ぬ者は一人も出ないだろう。すべてお前のおかげだ、エルネスタ」


ハルシュタットの民達が私に感謝を次々と投げかけてくれている。

 

 私は、湯を受け取り笑顔で去っていく、お婆さんの姿を、呆然と見送った。

 アルカディアでは、私の砂は「あって当たり前」のものだった。誰も感謝などしなかったし、それが人々の生活を支えているという実感も薄かった。

 

「……私は、ただ、砂の形を整えただけなのに」

 

「その『だけ』が、どれほどの救いになるか。……エルネスタ、お前はもう、孤独に砂を捏ねる令嬢ではない。この国の、そして民の『希望』そのものなのだ」

 

 不意に、ゼノン殿下の大きな手が、私の頭を乱暴に撫でた。

 騎士が主人に向ける敬意とも、男が女に向ける情愛とも違う。

 対等な立場で、共に未来を背負う者への、不器用な労い。

 その温かさに、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。

 

────

 

 同じ頃、アルカディア王国の経済は、深刻な「目詰まり」を起こしていた。

 

「……動け! 動けと言っているんだ、この役立たず!」

 

 王都の大市場。荷馬車を引く商人たちの怒号が飛び交っている。

 原因は、王都へ続く主要な街道の「液状化」だ。

 

 先日、アラルリック王子が強行したパレードで、舗装材の在庫が枯渇し、新たに生産された舗装材が、市場の街道の修繕に充てられた。無理な負荷がかかった路面は、もはや修復不可能なほどにボロボロになっていた。


 穴を埋めるために、近隣の川からかき集めた砂をいくら注ぎ込んでも、結合材としての強度が足りず、舗装材そのものが作れない。できる物はすべて、粘土のような耐久性しかない代物ばかりだった。


 馬車が通るたびに舗装は四散し、重い荷馬車は泥濘に足を取られるように沈み込む。

 

「街道が塞がって、南からの肥料も穀物も届かねえ! このままじゃ、王都の食料が倍の値段になっちまうぞ!」

 

「建設局は何をやってるんだ! 砂を固める魔法使いを増やしたって聞いたが、何も変わってないじゃないか! これじゃあ商売どころじゃない!」

 

 現場の魔法使いこそが一番の被害者だった。

 

「無理です……! 恐らく、素材の質がゴミ同然なんだ! いくら魔力を込めて固めようとしても、舗装材同士が反発し合って、まるでマグマを無理に氷で固め続けようとするようなものだ。」

 

 本来、エルネスタの砂であれば、一度魔法で「噛み合わせ」を固定すれば、少々の重量ではびくともしなかった。

 だが、丸い普通の砂は、魔法の拘束が解けた瞬間にバラバラとなる。

 結果、街道は一日持たずに崩壊し、工事は無限ループに陥ってしまっていた。

 

 さらに、崩壊は軍部にも及んでいた。

 

 王立軍の演習場。

 アラルリック王子は、軍部の士気を崩さぬよう、自慢の精鋭機甲師団を前に、演説を行おうとしていた。

 

「見よ、これこそがアルカディアの誇る、不滅の機甲部隊に投入される新兵器だ! 聖女ミラベルの祈りを受けた加護と共に……――」

 

 アラルリックが、騎士に合図を送ると、騎士が新型の魔導兵器を起動した。しかし エネルギーが不安定なのか、小爆発を起こし、 地面に崩れ落ちた。

 

 破裂音が、静かな演習場に響き渡った。


「……なっ!?」

 

 アラルリックの思考が止まる。

 騎士たちの間に、動揺が走った。

 

「な、何だ!? 貴様ら、手入れを怠ったのか!?」

工兵に詰め寄るアラルリック。

 

「ち、違います! これは昨日、厳重にメンテナンスしたばかりの新品でして……!」

 

 アラルリックは騎士たちの同様、聖女の加護の軽薄化に戦慄していた。

 


新型兵器は見た目だけは勇ましく美しいが、中身はスカスカの、まさに「不良品」だった。

 

「王子……。他の兵器も、魔道具も、すべて同じ状態なのでは……。鋳造に使う砂が、どうしても魔力の熱に耐えられず、型が崩れてしまうと、聞き……」

 師団長の声は、絶望に震えていた。

 アルカディアの誇る魔導兵器は、今や子供の玩具以下の強度しか持ち合わせていない。

 

 道は塞がり、食糧難が迫り、国家の武器は鉄くずに。

 この国の基盤そのものが、砂が指の間からこぼれ落ちるように、取り返しのつかない速度で失われていく。

 

「う、嘘だ……。こんなはずはない。エルネスタのような無能がいなくなっただけで、な、なぜ……!?」

 

 アラルリックの叫びに応える者は、誰もいなかった。

 傍らで、ミラベルは震える手で兵器の破片を取り、「光の魔法」をかけていたが、空虚な光が舞うだけで、鋼の傷跡など埋まることはなどなかった。聖女の空想の加護や傷を少し癒やす程度の魔法など、物質の前には、何の意味もなさなかった。

 

────

 

 夜、ハルシュタット王国の要塞内の砦。


「では、ゼノン様。そしてエルネスタ様、いえ、聖女エルネスタ様。失礼致します」


 私は専属の助手に別れを告げ、ゼノン殿下から贈られた新しい作業用の特注の手袋を嵌め、明日精製する砂の配合を考えていた。もっと品質を上げられるかもしれない。


 ふと窓の外を見ると、遠くアルカディアの王都が、かつての煌びやかさを失い、どんよりと沈んだ闇の中にあった。光が失われつつあったのだ。

 

「……やっと気づき始めたでしょうね、殿下」

 

 私は、自分の指先をそっと唇に寄せた。

 

 砂は、叫ばない。

 砂は、文句を言わない。

 ただ、そこにあるべき質で存在しなくなるだけで、一国を死に至らしめる。

 

 私が毎日、あかぎれを作りながら、心や魂、そして人生を犠牲にして守ってきたあの国の「当たり前」

 それがどれほど贅沢で、どれほど危うい奇跡の上にあったのか。

 

「次は、魔石の出力不全で、王宮のシャンデリアが消える頃かしら」

 

 私は、静かな愉悦と共に、闇に沈みゆく祖国を眺めていた。

 隣で、ゼノン殿下が私の肩を抱く。

 

「アルカディアが沈むのを、特等席で見せてやろう。……エルネスタ、お前はもう、一人ではない」


私が唯一心残りだったのは、アルカディアの民達だった。

 

 鋼の鼓動を刻む王国。

 砂上の楼閣と化した王国。

 

 二つの国の運命が、一粒の砂の重みによって、決定的に分かたれようとしていた。

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