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ハルシュタット王国の地下深く、魔石精製所。
そこは、この国の「生命維持装置」とも呼べる場所だった。
厚い鉄扉の向こう側から漏れ聞こえてくるのは、巨大な粉砕機が岩石を砕く低い唸りと、剥き出しの魔力が大気を焦がす、独特の焦げたラズベリー臭。アルカディアの王宮で見かける美しく磨かれた魔石は、すべてこのような無骨な現場から生まれるようだ。実際に見たことは……見せてもらったことは、あの国では一度もなかった。
「……はぁ、悪化しているな。酷い。これでは効率が悪いのも無理はない」
ゼノン殿下が、眉を顰めて精製槽を指し示した。
槽の中では、不純物を多く含んだ灰色の砂が、魔石から溢れ出す荒々しいエネルギーに耐えきれず、激しく沸騰し、黒い煤を吐き出している。
「我が国で採れる魔石の原石は、アルカディアのものより含有魔力量は多い。だが、それを『安定』させるための媒体が脆弱すぎるのだ。砂が魔力に焼かれ、フィルターとしての機能を失えば、抽出されるエネルギーは不安定になり、最悪の場合、精製中に事故を起こす引き金になりうる」
ハルシュタットの技術者たちが、防護眼鏡をかけ、必死に計器を睨んでいる。彼らの表情には、いつ「暴走」が起きるかわからないという死線に立つ者の緊張が張り付いていた。
「私が、その『フィルター』を整えます」
私は、精製槽の横にある砂のストックへと歩み寄った。
ハルシュタットの砂は、鉄分などの鉱山物質が多いため、導電性が高すぎるはず。それが魔石の魔力と干渉し、ショートを起こしているはず。私は砂の山に手を沈め、目を閉じた。
――余分な鉄分を分離し、中心に集めなさい。
――表面を絶縁性の高い珪素で覆い、滑らかな多孔質へと組み替えて。
――魔力の奔流を、その小さな穴で受け流し、穏やかな小川に変えるの。
私の指先から、冷徹な青白い光が放たれる。
砂の一粒一粒が、私の意思に従って再構築されていく。
もともと高い潜在能力を持っていたハルシュタットの砂は、私の魔力という「調整役」を得たことで、その真価を覚醒させてくれた。アルカディアの砂より、自身への負担が少なかった。
数分後。
精製槽に投入された私の砂は、魔石の激しい拒絶反応を瞬時に鎮めた。
黒い煤は消え、槽の中には澄み渡った翡翠色の液体魔力が、静かに、そして力強く溜まり始める。
「……おい、嘘だろ!? これは神の御業か!? 出力が、従来の二倍を超えている……! なのに安定度は過去最高だ!」
「不純物吸着率九十九・八パーセント。これは……伝説の『最上級魔石』に匹敵する純度を構築できる値だぞ!」
技術者たちの驚愕の叫びが、精製所に響き渡る。
ゼノン殿下は、手袋を嵌めた手で、精製されたばかりの魔石を一つ拾い上げた。
濁りのない、透き通った結晶。それはハルシュタット王国の未来を照らす、力強い光を宿していた。
「エルネスタ。貴様がもたらしたのは、単なる『砂』ではない。この国の限界を規定していた『壁』そのものを破壊したのだ」
ゼノン殿下の声には、深い賞賛と、それ以上の「独占欲」にも似た響きがあった。
彼は、私の荒れた手をそっと取り、その指先の感覚を確かめるように包み込んだ。
「アルカディアの愚王は、この、君の手が生み出す価値を、ただの『砂遊び』と断じたのだな。……笑わせる。奴らはいずれ、自分たちが何を捨てたのか、身を以て知ることになるだろう」
────
その頃、アルカディア王国の南部。
華々しく開通式を迎えるはずだった「王室大街道」は、地獄絵図と化していた。
前座として、アラルリック王子の婚約破棄を祝し、着飾った貴族たちの馬車列が、新設されたばかりの美しい舗装路を走る。
先頭を行くのは、アラルリックとミラベルが乗る、金装飾を凝らした豪華な魔導馬車。
「見て、アラルリック様! 素晴らしい眺めだわ。お姉様がいた頃よりも、ずっと早く道が完成しましたね」
ミラベルが窓の外を指差して微笑む。
だが、その笑顔が凍りつくのに、時間はかからなかった。
――ズズッ。
馬車の底から、嫌な感覚が伝わってきた。
何かが沈み込み、横に滑るような、不気味な感覚。
「何だ? 今の揺れは」
アラルリックが顔を顰めた瞬間、前方で悲鳴が上がった。
「路面が……! 路面が溶けていくぞ!」
見れば、昨日敷き詰められたばかりの美しい石畳が、まるで粘土のように歪み、下から湧き出した砂が液状化して溢れ出していた。
原因は明確だった。
エルネスタの高品質な砂であれば、粒子のエッジが互いに「噛み合い」、魔導馬車の重量と駆動魔法の負荷をがっしりと支えることができた。
だが、代わりにかき集められた「丸い粒の普通の砂」には、その噛み合わせが自体が一切存在しない。
魔導馬車の激しい振動と魔力の負荷を受けた砂は、一瞬にして結合力を失い、ただの「流動体」へと成り下がったのだ。
「うわあああ!」
後続の荷馬車が、液状化した路面に車輪を取られ、横転する。
積み荷の食料や酒が散乱し、パレードの列はパニックに陥った。
「おい、建設局長を呼べ! 何だこの脆い道は! 手を抜いたのか!」
馬車から降り立った。アラルリックが、泥まみれの路面を見て激昂する。が、アラルリック自身も足を抜かるんだ泥に足を取られ、両手を、顔を、泥まみれに染めてしまった。屈辱な姿勢のまま、怒りをがこみ上げるアラルリック。
だが、駆けつけた局長は、真っ青な顔で首を振るばかりだ。
「ち、違います! 仕様通りに、最高級の砂を使って固めたはずなんです! なのに、なぜかすぐに、このような事態に……」
彼は知らない。
砂の「物理的な形状」がいかに強度を左右するかを。
そして、それを選別し、整えていたエルネスタという存在の重みを。
さらに追い打ちをかけるように、王都から早馬が到着する。
「報告します! 王都魔石精製所にて重大な不具合が発生! 新しい砂を投入したところ、精製槽が耐えきれずに破損。爆発してしまいました。現在も消火作業中ですが、次々に誘爆しており、もはや手が付けられない状況です。現在、魔石の生産が全面的にストップしております!」
「な、何だと……!?」
「さらに、先日出荷された魔石の一部が、使用中に異常発熱を起こし、王立図書館の照明器具も爆発したとの一報が。貴重な資料が大量に焼失したとのことです!」
アラルリックの顔が、怒りと困惑で赤黒く染まる。
ミラベルは、自慢の「光の魔法」で周囲を照らそうとするが、足元の液状化した砂を固める術は、彼女の魔法体系には存在するしていなかった。
「お、お姉様なら、いつも何か魔法で砂をシャキッとさせていたはずですわ。私がやってみます! えいっ!」
ミラベルが眩い光を放ち、砂に魔力を注ぎ込む。
だが、それは火に油を注ぐようなものだった。
不純物だらけの砂は、ミラベルの荒い魔力を受けて魔法を弾き返すように、泥が周囲に飛散した。動けないアラルリックや馬車、そしてミラベルに泥が襲いかかる。
「いやあああ! 私のドレスが!」
泥を被り、叫ぶ聖女。
その光景は、アルカディア王国の凋落を象徴する、喜劇のような惨状だった。
────
一方、ハルシュタット王国の夜。
精製作業を終え、心地よい疲労感に包まれていた私は、ゼノン殿下に案内されて、要塞のバルコニーへと向かっていた。
テーブルの上には、王国の名産である少し癖のある香草茶と、素朴な焼き菓子など、今まで見たこともないような異国の料理が数多く並んでいた。
ゼノン殿下は椅子を引くと、私を座らせ、自らもお茶を口にした。
「……少しは、落ち着いたか?」
「はい。……私のしたことが、すぐにこれほどの結果として現れるとは思っていませんでした」
「同じことを考えていた。まあ、座れ」
私は、精製所での熱気を思い出す。
自分の力が、誰かの命を繋ぐエネルギーになり、誰かの振るう剣の強さになる。
それは、ただ黙々と責任を果たすだけだったアルカディアでの日々とは、全く違う手応えだった。
「エルネスタ。お前はこの国の英雄にすらなりつつある。……だが、それを面白く思わない連中も、当然出てくるだろう。お前の技術を盗もうとする者、あるいは、お前をアルカディアへ連れ戻そうとする者など……」
ゼノン殿下は、茶器を置くと、真剣な眼差しで私を見つめた。
「俺が、お前を守ると言ったら、信じるか?」
その言葉は、甘い誘惑ではなく、鉄のように重い「誓約」だった。
「……信じても、よろしいのですか? 私はただの、追放された無能ですよ。それにスパイかもしれません」
「無能などという言葉を二度と口にするな。……お前が望むなら、俺はアルカディアを地図から消し去っても構わん。お前を正しく評価せず、その手を泥で汚したツケを、奴らには骨の髄まで払わせてやる。疑惑については、時間が解決してくれると、今のところ信じている」
ゼノン殿下の手が、私の頬に触れる。
冷たい風が吹く夜だったが、その手のひらだけは、驚くほど熱かった。
私は、そっと目を閉じた。
アルカディアでは、私は「砂女」という資源を管理する、ただの歯車だった。
だが、ここでは。
この男の瞳に映る私は、意志を持った一人の人間であり、共に未来を築くパートナーなのだ。
「……復讐は、私の手でやり遂げたいのです。殿下には、そのための『場所』を貸していただければと」
「ふっ、強情な女だ。だがいいだろう、望むままにしろ。好きなようにな。……だが、疲れた時はいつでも俺の影に入れ。お前が磨いたこの王国の礎は、お前を守るためにこそあるのだからな」
遠く南の空。
アルカディアの方角に、どんよりとした黒煙が立ち込めているのが見えた。
街道が死に、兵器が腐り、光が消える。
そんな経済という巨大な歯車が、一粒の砂の目詰まりによって、ギチギチと悲鳴を上げながら止まっていくようでもあった。
あちらにいた頃、私がどんなに願っても手に入らなかった「休息」
それを、今度はあの国の王族が、嫌というほど味わうことになる。
すべてが止まり、闇に包まれた絶望の中で。
彼らはようやく思い出す。
足元に転がっていた、あの「無価値な砂」こそが、自分たちの命そのものだったということを。
「……さようなら、アルカディアの王族達。砂上の楼閣の終わりを、楽しみにしていてくださいね」
私は、月明かりの下で、静かに微笑んだ。




