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轟音と共に王宮の尖塔がゆっくりと傾いていく。
かつては天を衝く権威の象徴だったそれは今や自らの重みに耐えかね、無様に泥を跳ね上げて地面を叩いた。
「助けて……助けて、アラルリック様!」
ミラベルが泥濘の中で這いずり、婚約者の足にしがみつく。けれど、アラルリック様は彼女を冷たく振り払った。彼自身、腰まで泥に埋まり、もがけばもがくほど沈み込んでいく「物理の檻」に囚われていた。
「ま、待て! 私が悪かった! エルネスタ、公爵家へ戻してやる! 聖女の地位も、贅沢も、望むままに……! だからせめて私だけでも助けてくれ!」
「すべて殿下のせいよ!」
「黙れ、ミラベル! た、頼む、エルネスタ!!」
私は、その惨状を静かに見下ろした。
私の周囲には、武器を捨てた衛兵たちと、救いを求めて集まった民の人々が寄り添っている。
「エルネスタ。……ここから先は君の『意思』だ」
ゼノン様が私の肩に手を置く。
彼の軍靴は一歩も沈んでいない。私の魔力が、彼の足元の砂を岩盤のように凝集させているからだ。
「ええ。……すべてを壊しに来たわけではないもの」
私は深く息を吸い込み、意識を「地面」へと沈めた。
視界が魔力の波長に切り替わる。
王都の地下を走る砂の層。劣悪な天然砂が魔力の逆流で熱を持ち、ドロドロの液体と化して地表を蝕んでいる。その無秩序な混沌の中に、私の意思を、細く、鋭く、楔のように打ち込んでいく。
――善良な者たちの足元を、繋ぎなさい。
――家族を守ろうとする者、隣人の手を引く者、その者たちの下にある砂だけを、私の『秩序』で満たして。
私の指先から放たれた青白い光が、波紋のように広がっていく。
その瞬間、奇跡が起きた。
阿鼻叫喚の泥沼の中で、一部の地面だけが、まるで島のように隆起し、カチリと固まったのだ。
怯えていたパン屋の夫婦が、泣きじゃくる子供を抱えた母親が、自分たちの足元が不自然なほど安定したことに気づき、顔を上げる。
「歩ける……? 地面が、硬いぞ!」
「見て、泥が退いていくわ!」
私の「砂の加護」を受けた範囲だけが、安全な地平へと一時的に変わる。
対して、そこから一歩外れた場所――略奪を企てた不逞の輩や、民を見捨てて逃げようとした高官たちの足元は、より一層激しく波打ち、彼らを深淵へと引きずり込んでいった。
これは神による審判。
「エルネスタ! 待て、私も……私も助けろ! 私は王子だぞ、この国の主だぞ! 聞いているのか!!」
泥まみれの顔でアラルリック様が叫ぶ。
彼の指先が、私が固めた「安全な領域」の端に触れた。けれど、私が意思を込めた砂は、彼の指を冷たく弾き飛ばした。
「殿下。……あなたが『無価値』だと笑った砂たちは、もうあなたの命令を聞くことすらありません」
「おのれ……! おのれ、おのれぇぇ!」
アラルリック様は、自暴自棄に腰の魔導銃を引き抜こうとした。
けれど当然、その銃もまた、砂の叛逆に遭っていた。
銃身に充填されていた「不安定な魔石」が反応して膨張。引き金を引く間もなく、魔導銃は彼の掌の中で虚しく破裂した。
「ああ……あああ……っ!」
手が焼かれ、崩れ落ちる王子。
その傍らでミラベルもまた、自分の光が誰の目にも届かないことを悟り、泥の中に顔を埋めて震えていた。
そして二人や高慢な貴族達は泥に飲まれ、見えなくなっていった。
「エルネスタ様……ありがとうございます、ありがとうございます!」
助かった民たちが、私に向かって手を合わせる。
彼らの瞳に宿っているのは、偽りの聖女に向けられていた盲信ではなく、自分たちの命を繋いでくれた者への、本物の敬意だった。
私は彼らに向かって優しく微笑んだ。
「心配いりません。……この国の土台は私が作り直します。もう二度と、あなたたちの足元が揺らぐことのないように」
振り返るとゼノン様が満足そうに頷いていた。
「選別は終わったようだな。……エルネスタ、これで君の『復讐』は完遂か?」
「いいえ。……本当の復讐は、ここから。……この瓦礫の山の上に、かつてのアルカディアよりもずっと強固で、美しい『砂の王国』を築いてみせることです」
王宮が完全に崩壊し、立ち上る土煙が空を覆う。
けれど、その煙の向こうには、冬を越えた太陽の光が差し始めていた。
泥に沈んだ過去。
砂で結ばれた未来。
私はゼノン様の手を力強く握りしめ、新しい時代の最初の一歩を、かつての祖国の土に刻みつけた。




