069_逆に考えよう
逆に考えよう、世界なんて作らなくてもいいんだって、そういう創造神が一柱ほどいても問題ないんじゃないか?と。
待ってくれ、言いたいことはわかる、世界を創らないなら創造神ではないのではないか?ということだろう?
けどね、人間だって、何かをしなければ人間ではないというわけではないだろう?あれは人間という生き物であるから人間なのであって、または人間であるからできることはあるということであって、何かができなければ人間ではないという事はないはずである、いやまあ、根源に関わることができないのであるなら、それは人間ではないとか言えたりするのか?それはそれで差別につながりそうではあるけれども。
創造神という生き物であることは創造するから創造神ではなく創造することもできるかもしれないけれども、しなくともそれは創造神であると言えるのではなかろうか?特別な何かがあるから創造神ではなくそれはただただ、創造神であるだけの存在であり、それが何をなすか、できるかは、その存在そのものの本質とはまた別個に考えることなのであるとか何とか、言えないであろうか?
ちょっと何言っているのかわからない気もするが、まあ言わんとすることはわかるような気がする。
じゃあ、創造しない創造神は何をしているのかというならば、何もしていないをしている、もしくは何もしないをしていると言えば良いのではなかろうか?いや社会に疲れた人が諦念するようなもしくは心を救ってくれるような思考方法にたどり着くような感じにして良いのかという疑問はちょっとあるけれども。
別に頑張る必要はなく、使命とかで追い詰められる必要もなく、義務感とかもなく、ただただそこにあるだけで良いとする神様で、何が悪いのかという話であり、まあ、世界を創ってくれないと存在できないものが多いのでそれらにとっては悪いとなるのであろうか?
存在を否定されるというよりは、存在をさせてくれない、始まらないから、困っているということもありそうではあるけれども、いや待て、そもそも存在していないのであるならば、そこで思い悩む事はないのではなかろうか?となるわけであり、ううむ誰からも文句が出ないのであるならば、創らない方が正解なのではなかろうかという論理になる、んだろうかな?
この創造神というか今の、この場所に存在しているものが作らなけくとも誰かがどこかでいつか創ってしまうということでもあるのであるから、ここで別にわざわざ創造する必要はないのではないか?という結論も出てきそうではある。
いやいつかどこかで作られるなら、今ここで創ってもなんら問題ではないのではなかろうかということでもあるのか?
できるかな?




