052_結論を出さない、
結論を出さない、うろうろと行ったり戻ったりする、どっちつかずで、非生産的な話し合いとか会議とか、仕事をしているふりができる状態が、好きなのである、とか言い切ってしまうと、これはこれでクズっぽいのですね。
ですが実際、どうしようかな、どうすれば良いのだろう、なんとかしなければならないね、誰か良い考えが浮かばないかな?ちょっと調べてみよう、横道にそれるのも意味があるよね、とか、右往左往することが楽しいことは確かではあるのでありますよ、なにしろ決定しなければならないとなると責任が生じてしまうので、それはともてもしんどいことになるから。
楽ができるなら楽をしたい、楽をしようよ、というスタンスであるのでしょうね、それはまあ、生き物の本能的に正しいわけであり、最後まで、何も決定せずに、もしくは何か決まるなら、自分以外の誰かが責任を取る形でそれを決めてほしい、むしろ何も考えたくはなく、ただただ快楽だけを享受したい。
けれども、無能だとは思われたくはない、侮られたくはない、プライドだけは維持したい、とかなんとかになると、さらに、思考というか、嗜好が歪んでいくのであろうかなとかは思うのだけれども。
歪んで何が悪いのかというと、これはまあ、全体の利益を損なうことになるから、自分を含めて、不利益を被ることになるからであり、いやまあ、資源の浪費が止まらないからであるわけではあるけれども。
逆に資源の無駄に使わなくて済むというメリットはありそうであり、なにしろ会議は何も生まないけれどもあまり消費しないわけであり、問題が大きいのは特に意味がない仕事で大量の資源を浪費することであるからして。
世界を創ることは大量に資源を消費することになるのであるならば、何かしらの理屈やら理由をつけて、それを先延ばしにするか、計画を立ち消えさせた方が、実のところ全体の利益になるのではなかろうかという考えもまた成立する、のではないかなとか思ったりもする。
やるやる詐欺のどこが楽しいのかという問題はあるものの、要は、いつかはやるけれども未来永劫の後でも、いつかはいつかだよねというスタンスの、どうしようもない創造神を見て楽しむというコンテンツなのではなかろうかなという、感じなのかな?
こうダメなやつを見てどうしようもねーなこいつはと、下に見ることで、優越感に浸ったり、あるよなぁとか、同感を誘ったりすることで楽しむようなものであるならば、実はありなのではなかろうかとか。
いやまあ、神様が提供するコンテンツではないような気がするけれども、怠惰に過ごして楽しむなら、ありといえばありなのか?
ないんじゃないかなぁ?




