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051_創ろうとしなければ

 創ろうとしなければ、創りたいと思わなければ、創造神ではないのではないかという発想がそもそも歪んでいるのであって。


 世界が作られたから、遡って創造神がいることになったというのが正しいというか自然な流れであるんじゃないかとか思うんだよね。


 で、創造神という発想が、存在が遡って作られたから、じゃあ、新しい創造神が作る世界という逆転現象的な、流れが見えてきたという。


 どちらが先でどちらが後ではないという話はすでにしたわけであり、同時というのもまたおかしな話でもあるわけであり、これはまあ、言語化できないというレベルのお話ではあるのかなとは思うのであるけれども。


 現実に今ここに存在している私という創造神にとってはどういうことでもないのではないかなとか、思うんだよなぁ。


 いや本当に存在しているかどうかの証明はこれはまあできないわけではあるけれども、いや、実際に世界を創って仕舞えば、それが可能であるかどうかの証明はできるのであるけれども、できるんだよなぁ、別にそれはわかるんだけれども。


 創る気にならないわけではなく、こう、娯楽として創ったら楽しそうという気持ちもまた分かるわけではあるけれども、なぜ、という気持ちもあるんだよなぁ。


 どうやっても創るしかないというか、生きていくためには創るしかないとか、いやまあ、創ることが生きているようなものであり、必要なことなのではないかということもわかってはいるのではあり、じゃあ、それなのに、何を躊躇しているのかというならば、必要か必要じゃないかというと別に要らないからではあるんじゃないかなという、ただそれだけであり。


 そうでもなく、このように思考を回すことが純すいに楽しいということもあるのであろうかなとは思うわけなんだよな、世界を創る意味のようなものを、価値のようなものを、考えていることが純すいに楽しいということなのではないかな。


 もしくは創る前にあれこれ考えている時が一番楽しいのであるから、そこだけを延々とやってしまえば、ずっと楽しいのではないかという発想もあるんじゃなかろうかという、そんな感じではある。


 あとはまあ、ただただ世界を無秩序に、趣味的に、乱暴に、直感的に創ることも楽しいのではあろうけれども計画的に、論理的に、その動因を見据えて、自分自身を知りながら創っていくこともまた楽しいんじゃないかなとか。


 いやまあ、楽しいから創るというのもどうなのであろうかなという考えもあるわけであり、この辺り、倫理観とかから考えていくと、さらに面白そうではあり、思考が巡るわけではあり、ぐるぐる感が、快感に変わっていくのであろうかなとか、こう楽しいのが好きなんだな、おそらく。


 快楽主義の創造神というのもちょっと怖いような気がするが。

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