047_倫理観とか道徳とか
倫理観とか道徳とかを考えて世界を創造する必要があるのかないのかというならば、まあ、ないんだろうなぁという答えが浮かんでくるわけでして。
と言いますか、そのような倫理観とか道徳とか社会通念とか文化とか、共通認識とかコモンセンスとか、その辺りも自由に設定できるわけであり、受け止める人の持つそれらと全然違うような、もしくは少しずらしたようなそれを創ることはそれほど珍しいものではないのではないかなとか思うんだよね。
評価を左右する可能性はあるわけではあるんだけれども、コンプライアンスとか呼ばれているものがあるらしいわけではあるが、そもそも、好き勝手に世界を創造できる存在がそれを気に掛けるのかというと、ちょっと違うのではないかなとも思うのですよね。
誰にも見せることなく、評価も気にすることもないのであるならば、この辺りも適当で良いのではということになるし、そもそも誰にも見せない世界を作る意味があるのかというと、いやこれはまああるのか、自分自身で楽しむというか、創るの楽しみそのものがあるからであるという、答えがどこかに出ていたような気がするのでありまして。
そもそも世界を創造することは道徳的にありなのか?という話ではある、こう試練とか言って艱難辛苦の道のりをクリアしてくれるような世界を作ったとして、わざわざそれを作ることによって虐げてしまうことは、それは良いことであるのか?となるわけで。
成長を促すために圧力をかけることは実は良くないのではなかろうか、とかいや精神的負荷はともかく、課題を積み上げることは妥当な行為ではあるのではなかろうか、しかし、結果をそのまま創り出せることができるのであるならば、過程に置いて障害をわざわざ作ることもないのではなかろうか。
最初から完成している世界をいきなり作り上げてしまえば、葛藤やらなんやらはいらなくなる、わけではあるが、そこには感情を動かしてしまう何かが存在しないのではなかろうかとは思うわけではあり。
つまるところ好きに世界が作れる創造神であるならば、最終的に目指すそれをいきなり作って仕舞えば良いのではないかとか思うわけでして。
それがなぜやらない方が良いのかというと、別にやっても良いのではなかろうかなということでもあるわけで、一つの理想を描写するようなコンテンツというか世界になるのではないかなとか、思うわけではあるけれども。
山も谷もない、平坦で変化しない、平和な世界が、ずっと続き続けるという、退屈な世界に需要があるのかというと、どうなのでしょう?好きな人は好きなジャンルであますかね?
ただ楽しくダラダラするだけの創生神話とか、面白そうではあるね。




