042_全部私が担当すれば良いのか
全部私が担当すれば良いのか、いやつまり、登場人物を全て自分で演じ分ければ問題ない、んじゃないかなと。自然な反応ができないのではないかという心配は、それはもう神様であるので、問題なく自我を分裂させたような演技ができるという。
言っては何だけれどもできないことはあまりないのが創造神というものであり、であるならば世界の意思持つ全てを自分で担当することも可能なのではないかなとか思うんだよね。
自分自身であるならば、何をやっても許されるわけであり、悲劇も喜劇も作り放題なのではないかなと思うわけですよ、こう、他人の意識とか運命とかを理不尽に捻じ曲げるようなことをしなくて良いわけであり、いやまあ、それが本当の運命であるように作ることもできるのが、創造神ではあるけれども、それはそれ、基本全部自分であるなら、納得ずくで物語を進めることができるわけなんだよね。
盛大なごっこ遊びのようなものであるわけであり、もしくは人形劇とかに近いのではないかなと。
テーブルトークRPGのソロプレイに近いものではあるのだろうかな?いや規模はかなり壮大なものになるとは思うけれども。
数千万とかの人格を全て自分自身で再現できるのかというならば、まあ、余裕ではあるのではないかなとは思うよ、処理能力はそれこそ桁が違うというか、次元が違うのであるから。
劇場型であるならば、実際のところ私が担当する役者というか登場人物は、数人から数十人程度であるだろうから、さらに楽ちんではあるか?
役に没頭することもありそうではあるけれども、全て終わったら、元通りということになるので、物語の途中で冷めないように工夫が必要ではあるかな?
いや神様だからそのくらいの塩梅はどうにでもなるのではあるけれども。
このような一人遊びが楽しいのかどうかということにはなるけれども、実際に楽しそうではあるかなとは思うんだよね。
なんでもできる神様が何もできないというか、かなり制限された舞台で、色々と工夫をして問題を解決していく、とか、のんびりと、豊かに生きるとか、スリルを感じるような展開につぐ展開で息を吐かせぬくらいの勢いがある、劇をしてしまうとか、やり方たは色々であるわけだけども。
心置きなく好きなことができるという点では、やはり自分自身がキャラクタを動かす、分身として操ることが必要なんじゃないかな?
ただそこに意外性は生まれるのか?
とか、
そもそも意外性が必要なのか?
というような疑問もまた浮かんでくるなぁ。




