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043_演技だと知っていて、

 演技だと知っていて、物語を楽しめるのかというならまあできるんだろうなぁと思う、いやだってフィクションだと知っていてのめり込んで楽しんでいる人々は確かに存在するわけであるし、こう夢中になっている最中はそれが本物かどうかなんか気にしないのだろうなぁと。


 こう名俳優が劇をしているような心もちで見ていれば良いのであるかなとは思うわけではあるけれども、自分が物語の登場人物で、その役割を演技しているという意識があるまま世界が構築されるというのは、どういう気分なのであろうかな?という心配はあるね。


 台本があって、それに沿って演技しているならまあ、なんとかなるのであろうかな?いや先がどうなるのかわかっているのに、それを気にしないで暮らすというか、演技することはできるのであろうか?できるんだろうなぁ、劇とかまんまその通りではあるし。


 逆に先のことを知らないで、周囲の状況に対して上手にリアクションをとるとか、アドリブしかない演劇になるようなやり方は、どうなんだろう、どこまで自分の意思があるのかというあたりを、探りながら行くのだろうか?


 いやまあ、自分自身の設定に沿って、ふさわしい思考をしてみる、演技をしてみるということもできそうではあるけれども、嫌な気分にはならないのだろうか?


 というか判断基準はどうするのだろう、その役になりきってすることは確かではあるけれども、基本、観客を楽しませることができるかどうかという点に重きを置いているのが演劇というものであるはずではあるし。


 誰に対して演技をするのかという問題があるんじゃないかなとか、いやそれはまあ、観客なんだろうけれども、その観客に誰を想定しているのかというあたりまで踏み込まなければならない、のかな?いやそこまで考えて、演技というか、行動できるのであろうかな?できるんだろうな。基本創造神の分身というか、一人芝居なのであるから。


 一人芝居ではあるけれども肉体は複数あるような感じではあるのか、こう、臨場感というか、ライブ感とかが、果てしなくあるような出し物に近い?のかな、観客の対応を見てとって、次の展開を考えるとかになるのだろうか?この場合の観客というか視聴者というか読者とかは、どこにいるのだろう?そもそもいるのかな?


 観測者はどこかにはいるのであろうなという予想はできるし、神様としての権能から、確実にいることが分かるわけではあるけれども、いやそれはそれとして、見せる意味があるのかという話に立ち返るわけではあるか?


 なんのために世界を作るのかというところが、はっきりしていないだよね。

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