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036_やはり虚構であるから、

 やはり虚構であるから、罪悪感を感じないというスタンスであるのであろうかな?創造神というものは。いや虚構というか、作り物であるということではあるのか、本物を作るならそれは虚構じゃないんじゃないかという、気もするな。


 だけどもそれは確かに、舞台の演出とか演目とかそれに近いものであるわけで、物語とかとも同じカテゴリではあるわけだな、こう、その中では現実感があるというか現実そのものだと錯覚するわけではあるけれども、それが終わったら、出し物であるとそれに出演していた役者であったという意識が戻るような感覚なんじゃないかなとか思うんだけども。


 いやそれは本当に役者なのであろうかなとか、そのまま物語がエンドを迎えたり、舞台の幕が降りたりした瞬間に消え去ってしまうというものであるならば、それに対しての悲しみというか罪悪感が湧き上がってくるわけではある気がする?


 それを感じてしまうことがすでにおかしいというか、創造神としては変ではなかろうかなとか、不具合があるのではないかなという疑問も生じるわけではあるけれども、その辺りの不平とか不満とか、居心地の悪さもまた、設定で消し去ることができるとなると、それ以前、この今の状態がどうして生まれているのかという話になるのかな?


 つまり創造神というものは完全ではあるから不完全をなすことができるということではないか、などと推測するわけではあるな、なんでもできるのであるのであるならば、失敗することもできる、迷うこともできる、後悔することもできるわけであり、同時にそうしない完璧に行動することも思考することもできるわけであり。


 つまるところ可能性を全て内包している上に、同時に展開することが可能であるという、時系列に囚われないからこそできる万能ということになるのではなかろうか、なんて予想できるわけで。


 最高の結果だけをいきなり提示することも可能であり、舞台の上で生きている対象にとってはそれが最適解であるわけなんだよね、幸せになりたいのであるならば、幸せであることをそのまま設定して仕舞えば良いわけなんだから、それ以外では、大なり小なり、わざと不幸にしなければならないということであるのだから。


 本当は最初から幸せにできたのに、こちらの都合でそれをしないでおくということに対しての罪悪感は、その対象は虚構であり、神様が楽しむために存在しているのであるから問題ないとする、で良いのだろうかな?


 いや、その良いか悪いかもこちら側で設定できるということではあるのだけど。


 理不尽ではあるけれども、誰も気が付かなければそれは無いのと同じである、のかもしれない、いやまあ、創造神自身が悩んじゃダメなんじゃないかとも思う。


 悩ましいなぁ。

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