第十一番歌:八雲たつ、アダタラマユミ(二-二)
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「んだ、なっちゃん、また明日ね~!」
「おうよっ、またなっ、とこよ!」
のっぽでくせっ毛のお友達とさよならを交わし、夏祭華火は大学構内へ折れた。
「……スポ専か」
スポーツ選抜、縮めて「スポ専」。お友達は、先月に空満大学のスポ専を受験して、今月朔日に合格した。来年の卯月は、空満大学体育学部の一回生というわけだ。
「ちんたらしてらんねえな、あたしっ」
来たる如月の、空満大学前期一般選抜に、華火は臨む。空満中学から高校へは内部進学だった彼女にとって、初めての受験だ。
「あいつらを、震天動地させてやるぞっ!」
活発な、ちっちゃいポニーテールのセーラー服少女は、空大生の間では、わりと有名だった。文学サークル「日本文学課外研究部隊」で活躍する高校生は、彼・彼女らに初々しく、微笑ましく映るのである。
「はなびちゃああああん!!」
袖をぶんぶん振り振りして、左側から女性が疾走して近づいてきた。信号は置いていなく、滅多に車が通らないといえど、横断歩道に全身全霊をかける人がいると、口をあんぐりさせてしまうのが一般の反応だ。
「ひろこじゃねえか。速いよなー」
「取り柄ですから!」
研究棟前で合流できた二人は、体を動かしたばかりでも息は滑らかである。
呼び捨て、かつ、くだけたしゃべり方をされた女性は、一応、教員だ。日本文学国語学科の専任教員、宇治紘子。度のきつい丸眼鏡、きっちり一番上までボタンを留めたシャツ、漆黒の上着とひだスカートでどこもかしこも大柄な身を鎧ふている。
「腕のやつ、安全ピン外れかかってっぞ」
「わわわわ、いけません! すぐ直します!」
戦では弓を持つ方にはめた、臙脂色の腕章を正す紘子。「教員は学部毎に指定された腕章を須く佩用せよ」緩和されゆく服務規程を「伝統」として遵守しているのだ。金の糸で縫われた「文学部日本文学国語学科」が、彼女の教職員を務めることにおける誇りを代弁している。学生達は、彼女に、畏敬(ユーモアも加えて)を以て「腕章の女史」の異名を奉った。
「課外活動ですか?」
「いんや、文学PR活動はナシだけど、屋上に集合だって」
「息抜きに天体観測されるのですか?」
「十六時だかんな、晴れてるつっても、星はビミョーだろっ。まだ余裕あるし、共同研究室であったまっとこっかなって」
ド真面目な紘子と、基本は奔放な華火は、水と油のような間柄であった。紘子は「不良少女」と決めつけ、華火は「四角四面カタブツ金時」にとらえていた。ところが、縁は異なものであって、ある戦闘を経て、友情が芽吹いたのだ。子細は、「ものぐるほしきこと」になりて語られるであろう。
「わわわわ、私の研究室は、どうでしょうか!?」
梅干しが白旗を振るぐらいにあがって、紘子が誘った。
「そーだな、お邪魔しまっす」
ヤなやつじゃねえんだから、仕事中にもかわいげを出しゃいーのに。華火は肩をすくめた。
研究棟二階、二〇六教室は手作りの物がいっぱいだった。フェルト、キルト、パッチワーク、だんつう。縫う・刺す・織る、ここは被服部なのか。
「濃茶みてえなやつ、あ、モスグリーンってーのか。そいつと黒の組み合わせばっかしだな。ひろこっぽい。まさか全部ひろこなのか?」
「はい! 日曜手芸です! 教育チャンネルで勉強したのですよ!」
「『小粋にハンドメイド』かっ。ハイスクール講座の『世界史』の前にやってる」
紘子は、マグカップを電気ケトルの湯で温めながら、大きくうなずいた。
「録りだめて、一気に見るのですよ! ハイスクール講座、懐かしいですね! 私『日本史』と『物理』を中心にビデオ学習していました! はなびちゃん、世界史を選択しているのですか!?」
「んー、受験でいるからなっ。必須の国語と二教科で勝負っ!」
当然のように言ってから、華火は口を長方形にして、頭をかいた。
「廉頗負荊っ! 藪から棒だった。あたし、日文受けるんだ」
「そそそそ、そうなのですか!!」
いちいちたいそうな受けをしてくれる。
「まゆ……あー、安達太良先生らと文学やっててよ、もっと学びたくなったんだ」
紘子の前だ。いくら親しくなったとはいえ、最低限度の礼儀はわきまえておく。
「如月の入試通って、ふみからの直・後輩になるっ! んで、教職課程取るっ!」
教職、で女史は目をむいた。
「はなびちゃん、先生になりたいのですか?」
「……ひろこ、言ってたじゃねえか。あたしが先生だったら、三千世界の生徒を救えるって。あたし、バカだけど、できなくってしんどいとか焦る気持ちは分かってやれるからよ……」
「三千世界」は拡大した解釈だった。でも、訂正はさせなかった。将来の道をゆかんとする風を、せき止めてはなるまい。教員だから? 違う、ひとりの「大人」だから。
「教師は、頭脳明晰、完全無欠の人しかなっちゃいけねえ、って決まりはねえよな? あたしにもチャンスはあるっ、国語克服すんのに困ってる生徒に、あたしもニガテだったんだって、一緒になって考えてやれる先生に、なりてえっ!」
ありあまる勢いで、少女は椅子のひじを叩きつけた。紘子は、スタート地点に着きたての彼女に、今からする話が酷にならないか不安だった。
よく見て。はなびちゃんを、信じるのですよ。
「はなびちゃん。社会はですね、競争の世界なのですよ。いくつもの大会があって、いくつものルールがあります。共通しているのはひとつだけ、速い者勝ちということです」
華火の眉がつり上がる。期待に添わなかったのかもしれない。そうだとしても、終わりまで聞いてほしい。
「速い者勝ちだということは、どれだけ練習を重ねても、人望があっても、遅ければ負けだということです。ろくに努力していなくても、嫌われていても、速ければ英雄になれるということなのですよ。ルールには、抜け道がいくらでもありますから、いわゆる『ずるい方』には有利なのです。正攻法で勝利を収められることもありますよ? ですけどけど、残念ですが、一の位よりもはるかに小さい確率なのです…………」
制服にかけていたジャージをつまんで腕を抱いていたので、ミルクココアをさっと出してあげた。冬は、温もりを欲する。
「私、社会で遅い部類です。地道にコツコツ型ですけど、少しずるくなって、勝っています! 『使えるものは使う』、悪そうな印象かもしれません。しかしですよ、使って勝ちやすくなるのでしたら、拒むわけないじゃないですか! 違反行為じゃないのですから!」
「使えるもんは使う、ソレも実力のうちってか」
「そうです! 合格、就職の競争には、資料コーナーや対策講座を活用するのがいいでしょう。はなびちゃんには、日文の現役生がついています、物・人、なんでも、力を借りるのですよ! そのようにして、人事を尽くすのです!!」
華火の頬が、血気で盛んになっていた。ココアが、効いたのもあるだろう。
「抹香くさいことは、終わりです! おやつにしましょうか!」
簡易冷蔵庫を開け、切り分けて皿に乗せておいた菓子を持ってきた。
「ガトーショコラ、焼きました! 召し上がってくださいね!」
「喜躍抃舞っ! いただきますっ!」
フォークでひとくち大に切って、そっと口に運ぶ。女子高生は、甘味への欲望に忠実だ。
疲れを帳消しする甘さ、お安く止まりませんわよ、と媚びない苦さ、焼いているはずなのにしっとりな食感。お店に並べても文句なしだ。
「黒豆を入れて、和風にしてもみたかったのですけど、基礎を極めてからですね!」
「ダントツにおいしいっ! 極楽級っ! ひろこ、天才だよなっ」
「修行の賜物です! わわわわ、私、うっかりしていました! ココアとガトーショコラ、同じ系統でした!」
はあああー、と息をついて、紘子はご立派な身体を机に伏せた。
「安達太良先生のようには、いきません……!」
「おいおい、灰心喪気するこたねえだろ。あたし、チョコ系好きだぞっ」
それを聞き、恐るべき背筋(?)で身体をまっすぐに戻した。頭脳派なのか体育会系なのか、いまいち判別しがたい先生である。
「なんで、まゆみにこだわんだよ」
つい本音がすべってしまった。言う前に三秒数えるのも忘れて。
「のわっ、ごめん」
「構いません、疑問に思いますよね……。私、安達太良先生をお慕いしているのですよ」
空いたお皿に、おかわりをよそってあげる。少女はポニーテールをはねさせて喜んでくれた。
「去年の春、先生が赴任されて、私に新しい風が吹きこんだのです! 年のうえでは後輩ですけど、仕事は一年先輩でしたから、教えられるだけのこと、お伝えしました! それがですね、先生は飲み込みが早くて、私を追い越してゆかれたのです!」
夏、秋、冬、新年……現在。安達太良まゆみは、たちまち空満大学、日本文学国語学科になじんでいった。
「同僚、学生、安達太良先生にはいろいろな方が集まっているのですよ。惹かれてしまうのですよね、相手が誰であれ公平に接するじゃないですか、私の欠けているところでした!」
「ひろこ、だいぶ丸くなったけどな」
「そんな風に思っていただけると、ありがたいです! 安達太良先生に『なる』ことはできません、先生のお言葉をお借りするなら『私とあなたは、別の人間』なのです! ですから、先生のいい所を『私なりの方法で』やってみるのです!」
腕章を巻いた方で、ぐっとこぶしを作った。
「今のひろこ、燃えてるっ。あたし、元気わいちまったよ」
おんな同士、へへへ、ふふふ、快く声を投げ合った。
「んじゃ、行ってくるっ」
出口までお見送りしてくれた紘子に、華火はめいっぱい手を振り、走り去った。廊下は歩く所だが、華火はのんびりしていられない性格なのだ。
「次は、ダグワーズです!」
お片付けしたら、休憩がてら作り方のおさらいでも。この後したいことを考えていたら、
「ひと休みはお預けですよ、宇治先生」
同僚が、窓にもたれてクスクス笑っていた。
「真淵先生!?」
「いい加減、慣れていただけます? 仮にも日本文学国語学科なのですから、呪いごときで腰を抜かされては、業務で組んでおり、訓練に付き合わされている僕が無能だと認められるではありませんか」
「失礼致しました……!」
やけに長い前髪を払って、真淵は事務連絡をした。
「任務です。貝おほひ弐の壇は、安達太良先生を尾行します。意味は、わざわざ説明しなくとも、お分かりですよねえ?」
相方の冷ややかな態度には、慣れきっていた。自分があまりにも「使えない」からだ。
「安達太良先生が、神無月から相次ぐ件の、行使者なのですか……!?」
「不確定な事柄ですよ。真偽を確かめるために、調べるのでしょう」
「ですけどけど……!」
神無月に始まった、国原キャンパス周辺の「呪い」騒ぎ。学内の時が止められた、限定して大雨が降った、人々が幼児化した(これは紘子もかかってしまった)、人格を入れ替えさせられた、など、日常ではありえない事が起こった。日本文学国語学科の教員七名は、これらの呪いの行使者を捕まえる業務を任されたのである。
「安達太良先生を監視する、のみに留まるに越したことはございませんが。万が一、戦わざるをえない場合が訪れましたら……」
真淵の姿が見えなくなったかと思いきや、紘子の背後に、至近距離でまわっていた。
「あなたの寄物陳呪が、命運を握るのですよ」
わざを圧をかけるようにささやき、紘子の腕章を指さした。
「…………あってほしく、ありません……!!」
輪廻腕章。紘子が呪いを行使するための道具であった。六道の効果を発揮する術は、攻撃に長けている。
行使者が身内でも、逃がしてはならない。生かして、が難しければ、命を刈り取ることも……遂行のため。
「お仕事ですよ」
「了解、なのですよ…………!」
安達太良先生、違いますよね? 先生がこのようなこと、されるわけありませんよね? 私は、先生が行使者ではないのだと、信じています!!




