第十一番歌:八雲たつ アダタラマユミ(二-一)
二
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日本文学国語学科の教員と学生には、家族に似たつながりが形成されるらしい。
「土御門先生、プリント、『ろ』の段につっこんでおきますねー。うそうそ、新発売の『どん左右衛門 かに玉味』がある! 売り切れ続出で入荷待ちなんですよ」
「できた会員を走らせたのや。持って帰ってええで」
「やったやった、それでは、ちょうだいします!」
日本文学国語学科、略して「日文」の四回生・額田きみえが、お手伝いしてお駄賃をもらった孫のように、小躍りしてカップ麺を取った。向学心があって、愛想が良くて、得をする女の子だ。きみえを嫌おうなんて、皆、罰ゲームでもしないだろう。
「唯音も、便乗しときなよ」
「……………………」
化学科の四回生・仁科唯音は、親友の誘いに乗るかどうか考えていた。
ただ、三限目「中古文学研究D」を聴講して、終了後、同じく聴講生だったきみえに「先生の荷物運びついてきて」と頼まれ、担当教員の研究室まで行っただけ。荷物を持ってはいなかったので、お礼を受ける資格は無い。よって、
「いらない……です」
はっきり断った。でも、きみえは納得いかなかったそうで、頬を膨らませていた。
「遠慮してるよね? 唯音はボディガード果たしてくれたよ。土御門先生、安心されているんだからね」
「かに玉味は、一個残しておくのですぞ。わたしのおすすめはな、『ザ・ヤング マッサマン味』や。よう食べへんちゅうこっちゃあらへんで? おすすめや、おすすめ」
「ほいほい、もらった、もらった!」
担当教員・土御門隆彬は、インスタントラーメンを蒐集するきらいがあるようだ。蒐集、きらい、は、最近読んだ娯楽小説で覚えた。唯音の後輩、大和ふみかに紹介されたのだ。用法が合っているか、きみえに訊ねたら、指で丸を作ってくれた。
「これ、いただく……です」
「『テラ盛り!! 塩焼きそばゲソマシマシ』、通なセンだ。イカ好きだもんね」
「マッサマンでも、ええんやがな」
きみえが、ころころ笑いだした。唯音も、土御門に背を向けて、桑を食む蚕のような音を発した。無の表情をしているが、面白いことには敏感なのだ。
「はー、おなか砕けそう。あ、私、卒論やらないと。共同研究室行くね。唯音は」
問いかけようとしたら、土御門が扇をサッと開いた。
「仁科とやらには、講義の感想でも聞かせてもらうとしますかな。そち、暇なんやろ?」
確かに、卒業研究は春に提出しており(理学部限定の特例だ)、ここの院での進学が決まっている。放課後のサークル活動は、まだ先だ。つまり、手持ち無沙汰であった。
「…………」
人形の方がよっぽど味があるだろう首肯をし、土御門の真横に並んだ。
「そちらは、バレーボール選手かや? 侍らせとると、わたしはガリバーか異星人ですぞ」
扉にかかっている御簾を上げたきみえが、噴き出していた。
「して、仁科や」
できあがった二人分の葛湯を教卓に据え、土御門は言った。
「家の事は、片付いたんかえ? 不仲なんやってな? お嬢が、流行り歌の文句ちゅうくらいに口ずさんどったわ」
お嬢とは、彼の元教え子、そして、唯音が所属するサークルの顧問・安達太良まゆみ准教授を指す。ある時は昼食を月見うどんか、カレーライス・青垣山盛りにするかで、またある時は、大御所(?)の「王朝文学講読会」の指南役対新鋭の「日本文学課外研究部隊」の司令官で争う間柄だ。傍からは「ユーたち、仲良くケンカしちゃいなヨ♪」と温かく見守られているのは、二人は気づいていない。
「…………………………」
唯音は、美青年に誤られがちな容貌をぴくりとも動かさず、丸椅子にて固まるままだった。ちなみに、丸椅子は一番低くされていた。華族の土御門に、見下ろされたくないからなどと、心の狭い動機がおありだろうか、いや、決して……。低めに調整しても、唯音は姿勢が正しいので、徒労に終わった。
「熱いうちに飲みなされ。宮中の上等品や」
好かん類いの娘よの。源氏香の一覧がついた湯呑みをすすり、土御門は息をはいた。天然の甘味が、この学生のせいで、ひどく薄くなる。額田と安達太良嬢は、根がありますぞ。わたしは、超つまらへん。
「……が、…………」
耳を疑った。けれども、そこまで老いてはいなかった。娘の声だ。きまぐれに講義で当ててやっているため、聞き覚えがある。
「兄が、私に、話してくれた……です」
「ふん?」
安達太良嬢がわざわざご丁寧によこしてきた「聴講における紹介状」に書いてあった。
《……仁科唯音さんは、言葉を慎重に組み立てますので、お手数をおかけするかと存じます。お時間をいただきますが、どうか聞いてやってくださいませ。仁科さんは、来し方の私に限りなく近うございます。……》
「とことん、聞いたろうやないか」
翁の積もった眉の雪が、ゆるやかに下がった。
「二和陀すみ、を知っているか」
眠れなくて、家の実験室でテレビを見ていましたら、兄の伝志が話しかけてきました。十二歳離れた兄は、私が物心ついた頃から研究に一生を費やしていて、あまり関わることがありませんでした。遊んでもらったこともなく、亡き祖父に教えてもらうまでは、居候だと思っていました。
「知らない……」
二和陀すみ、どなたでしょうか。仁科研究所の職員ではないことは確かです。自慢をするものではありませんが、私は、この家で仕事をされている人の名前と顔は、全部覚えています。兄が訊いているということは、研究に関するものなのでしょうか。なぜ、私に訊ねるのでしょうか。自分で調べれば効率が良いですのに。
「駆け出しの歌人だ。妹なら詳しいと期待していたのだが」
兄が、化学以外の分野を口にしている。私は驚いてしまいました。それ以上に、私が韻文を勉強しているところを見ていたことに、動揺しました。
「リビングで小説を読んでいたら、いやでも目につく」
亡き祖父・弦志を、仁科家は「文学に現を抜かしている」と嫌っていました。特に母は、舅を憎んでおりました。そのため、文学作品を読んでいると、冷たい視線を投げられます。
祖父は、化学者と作家、二つの分野で功績をあげた素晴らしい人でした。私は、祖父に文学の世界を、展望させてもらいました。日本文学課外研究部隊に入り、祖父のように化学と文学両方の道を究めたくなりました。
「用は、何……ですか」
一人にさせてほしかったのです。三十過ぎて、シスターコンプレックスですか。事実上の同居人に対して、虫唾が走りました。
「二和陀の作品を、読んでもらえないか」
「……」
作業机に、三冊の本が積まれました。『塩素含む水』、『硫黄溶ける水』、『炭酸入りの水』と題された歌集でした。シリーズになっているのでしょうか。それぞれ、プール、温泉、青いクリームソーダの写真が表紙を飾っていました。
「私は、二和陀と婚約した」
「…………?」
「義理の姉となる人だ、妹」
世間のならわしに従い「おめでとうございます」と答えられませんでした。状況の整理に、十秒かかったためです。兄が、他人と、しかも異性とお付き合いしていた。交際する暇がどこにあったのでしょう。
「出会いは、ネット上にもある」
論文を打っているとみせかけて、相聞歌を贈り合っていたのですか。恋愛をするな、とは言える身の上ではありませんが、百パーセント喜んであげられなかったのです。
「唐突だったかもしれない。謝る。しかし、前もって話しておきたかった」
兄は、会話を面倒なものだと考えていたのではありませんでしたか。髪をワックスで固めて、五:五で分けていたでしょうか。白衣の胸部分に、イニシャルのワッペンを縫いつけていたでしょうか。私が記憶している兄は、いったい、いつのものだったのですか。上書きが、止まりません。
「祖父を、妬んでいた」
これが、暴露、というものですか。家でお祖父さんについて話すことは、避けられてきましたから。私は、続きを早く聞かせてもらいたくなりました。
「自由に仕事をしている祖父に、『そうなりたくてもなれなかった私』を見せつけられているようだった。跡継ぎのために、何もかも犠牲にして働いてきた日々が、無意味で無価値だと証明されそうだった……」
嘘をついている様子ではありませんでした。根拠を求められると、挙げかねます。正直さが、表情と言葉よりにじみ出てきていた……曖昧ですね。
「仁科は、時代の波に乗り遅れ過ぎている。私と二和陀が、新たな潮の流れを起こす」
「そう……ですか」
「妹も、仁科の型にとらわれるな。自由だ、と祖父に言われてきただろう」
「……………………!」
兄は、兄という役割を、捨てていなかったようです。関わろうとしていなかったのは、私の方でしたか。冷めた家庭、は、お祖父さんの詠んだ「しがらみ」、「心に出づる幻影」ということですね。
「コーヒー、飲むか」
私は、つい唇をゆがめてしまいました。飲むか飲まないかを問いかけているといいますのに、既に淹れていたのですから。私の分には、ミルクとお砂糖が多めに入っていました。
「親と研究員達のブラックを、律儀に飲んでいたな。実に、人間のできた妹だ」
「分かっていた……ですか」
兄は回れ右をして、片手をふわりと上げました。二和陀さんと、末永くお幸せになってもらいたくなりました。
「進歩やったな」
「どうも……です」
たまたま、葛湯をすする動作が、きれいに一致した。
「二和陀さんと、来月、会う……です」
「第三者の目は重要や。見定めなされ」
「視力は、二.〇、裸眼……です」
「内面を見定めるのや。覗きの依頼はしとらん」
肩を回し、土御門は「どっこい・正三位」の高度な冗談付きで立ちあがった。
「仁科や、起立」
扇を使って、指示をする。唯音は、素直に従った。
「そちを占うたる。めでたいもん聞かせてもらうたさかい、サービスや」
豪快に扇が開かれ、「雅」の文字があらわれる。
「寄物陳呪・禱扇興、巻十三・明石」
遊びの名を借りた、雅な道具が青々と光るやいなや、水の塊が唯音の胸のあたりに浮かんだ。
「重力に、逆らっている……?」
「理屈は抜きにせい。そちらが『スーパーヒロインズ!』やったら、わたしは『関白プロフェッサー!』や。海なし県の大学に海水を運んでくるぐらい超余裕ですぞ」
日本文学課外研究部隊の愛称である「スーパーヒロインズ!」であえて呼んだ。土御門は、隊員らが安達太良まゆみに関わる事で戦っているのを知る人物であった。無意識に「高位の呪い」を行使している彼女らへの嫌味も含んでいた。
揺らぎながら球形を保つ海の水を拡大鏡のごとく、学生を鑑定する。
「そちの漕ぐ路は、玉藻で阻まれとる。せやかて案ずることやあらへん。そちは、ええ目を天にもろとる。迷子にはならん」
「……ですか」
「信心の問題やがな。そこそこの運勢や」
土御門が小気味よく呪い道具を閉じると、水は素早く蒸発して散った。
やっとこさ一人になれたけれども、うたた寝すらできそうになかった。
「雅に『玉藻』ちゅうたものの、なんてもん映っとるんや」
青々とした藻どころか、吐き捨てられた墨ときた。恨みの象徴に解釈できたそれは、唯音に宛てたものにあらず、
「目当ては、安達太良嬢かいな……。あな、煩はしよ」
安達太良まゆみが引いた、五人の娘にまで墨が及びつつある。おおかた、外堀を攻める算段なのだろう。
「娘らの運は、かやうな黒雲で尽きるもんやないわ」
だが、念を入れるに越したことはない。土御門は脇息を寄せて、望月のような頭にもうひと仕事させた。




