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十二月二十一日 真実の愛、異なる真実の愛

「うわああああ!」

 高玉警察署内の小会議室内で、女性の叫び声が木霊する。尻もちをついて腰を抜かす、鑑識官の腕章が、ずり落ちた。傳法谷の戦慄く姿を小町は、にやにやして眺める。探偵から見て、彼女の目の前には、誰もいない。しかし傳法谷には、いないはずの人物が見えているらしかった。怯えた様子で「くっ、来るな!」と喉を震わせる。次の瞬間、彼女は「うわっ!」と顔を背けた。

「はーい。傳ちゃん、もういいよ。大丈夫」

 小町の合図と共に、鑑識官は床に目を伏せたまま、指先を目元に近づける。そして、両眼からコンタクトレンズを取り外した。

 疲弊した様相で、血の気の引いた目顔をしている。ようやく苦笑しながら立ち上がり、小町に話しかけた。

「小町さん、これは凄いですね。確かに目の前に由里絵さんらしき人物が現れました」

 傳法谷が見ていたもの。それは青山が殺害の凶器として作った映像だった。数分前、鑑識官と探偵は、午前に話し合った小会議室に再び集合する。きっかけは、傳法谷から小町に「森が生前、着用していたコンタクトレンズを拝借してきました」と連絡したことだった。そうして、二人は会議室で落ち合う。

鑑識官が「小町さん、これがそうです」と透明な袋に入れた状態で提示した。この事件のことを知らない第三者が見れば、コンタクトが袋に入っているだけに過ぎない。探偵は傳法谷に「ありがとう、傳ちゃん」と感謝を伝えてから「それじゃあ、確かめよう!」と検証を促したのだ。

小町の言葉に鑑識官は「えっ?」と困惑を極めた様子だったが、遂に聴従した彼女は、両眼にコンタクトレンズを装着する。そのまま探偵のスマホからQRコードを眺めた。

直ぐには何も起きず、傳法谷が「何も起きませよ」と告げる。それから二分ほどが経過した際、それは現出した。突如として鑑識官が「あっ!」と叫び、前方に指をさす。そして、先ほどの悲鳴を上げて、腰を抜かしたというわけである。コンタクトを外した今も、傳法谷の足が震えている。普段は見せない、わなわなと震えた彼女の姿に、小町はおかしくなって笑いだした。

「あはは。やっぱり、怖い映像なんだね」

「もう、そんなに笑わないでくださいよ。小町さんが怖くて確認できないから、代わりに見てあげたっていうのに。あんまりです」

「あわわっ、ごめんなさい。でも、傳ちゃんのおかげさまで、このコンタクトレンズが、やはり端末だってことが分かったね」

 満足そうに探偵は笑みを浮かべる。しかし、傳法谷は映像が余程、怖かったらしい。笑顔が引きつっていた。

「流石に、これは怖すぎますよ。よく聞くVRのお化け屋敷とか、あるじゃないですか。多分、それに近い感じなんだと思いますよ。でも、それ以上に、ものすごく、リアルでした。これで、驚かない人はいないと思います。いきなり、由理絵さんが迫ってきましたからね。恨めしそうな表情で……。ううっ、寒気がします」

「そっ、そんなに?」

 探偵の問いかけに、鑑識官は黙って首を縦に振る。意地悪そうに「次は小町さんの番ですよ」と伝えると、全力で首を横に振った。

「やだやだやだ。絶対にヤダ! 夜中にトレイ行けなくなるよ」

 子供みたいな解答に傳法谷は面白おかしく哄笑する。

「お子ちゃまじゃないですかー」

「ううっ。もしトイレ行けなくなったら、今晩は傳ちゃんの家に泊まるから」

「それは勘弁してください」

 やんわりと鑑識官が断ると、探偵は「いいじゃん!」とつっこむ。

「嫌だって言っても、おしかけるから」

「いやいや。大人なんですから。ちょっと……」

「どうして、ダメなの? 小町が泊まったらいけない理由でもあるの?」

 目を床に伏せて、傳法谷は沈黙を貫く。

「はあん。傳ちゃん、あれですな。今日は彼氏さんが泊まりに来るんですね。それで、甘い時間を過ごして、最後は……きゃっ! 傳ちゃんの、えっちい」

 瞬間湯沸かし器の如く、顔を真っ赤にして傳法谷は反論する。

「違いますよ! 自分、彼氏なんていませんし、小町さんが来ると寝れ……。やめときましょう」

「えっ? なになに? 小町が来ると何だって」

「やっ、やめましょう! 本題に戻りましょう」

 頬を膨らませて探偵は「ぶーっ」と悪態をついた。

「話を戻しまして。時に、小町さん。森さん達の事件を担当していた刑事課の方に、小町さんの推理を伝えましたら、再度、事件を見直すとのことでした。コンタクトレンズや論拠も揃っていますから、ほぼほぼ青山氏と間宮氏に捜査のメスが入るでしょうね」

「本当に! それなら、良かった。それじゃあ、千春ちゃんにも一報入れておこうかな。きっと安心するだろうし」

 そう言ってから、探偵はスマホを取り出し、連絡先を開く。サ行から四十川千春を選び、発信ボタンを押した。スマホを右耳に当て、コール音を聞く。四回、五回と鳴るが、千春は出る様子がない。

(体調が悪くて、眠っているのかな……)

 スマホの左上時刻を確認すると、午後六時五十分を指していた。何かいやな予感がする。小町のことが好きな少女が、連絡を寄越さないということがあるだろうか。冷静に考え直すと、仮に今、眠っているということは決してあり得ないことだった。というのも、千春の家から学校までの距離は三キロほどある。いつも、学校が終わる時間帯は、パソコン倶楽部の活動も併せて午後六時半くらい。この時間帯なら、まだ帰宅していない可能性もある。

(スマホの充電が切れたか?)

 否、それもあり得なかった。スマホの充電が切れているのなら、コール音は続かない。コール音がせずにプーッ、という音が始まるはずだからだ。では、なぜ少女は小町の連絡に出ないのだろうか。

(まさか、何かあったんじゃ……)

 QRコード付きのメールが届いた時分は、二日前。もし、千春が生きていることを青山が間宮氏に報告し、彼が少女を抹殺しようと企んでいるのだとしたら。

「まずい!」

 これは小町の手抜かりだった。千春の元にメールが届いても、QRコードさえ見なければ殺害トリックの陥穽から逃れられると、探偵は目論んでいた。

それと昨日、小町が少女の家に泊まった際は、件のコンタクトレンズが殺害のトリックかもしれないと千春に伝えていたのだ。その為、レンズを着用している間、メールが届いても怖いから見ないと少女は言っていた。またパソコン倶楽部のLineグループも、メンバー四人が夭折しているので、在籍メンバーは千春だけである。誰もいないグループにいても仕方がないということで、少女はLineグループを脱退した。実質、パソコン倶楽部のLineグループは自然消滅したのである。そうなれば、コンタクトレンズを着用中に誤ってQRコードを読み込んでしまう可能性は、殆どない。以上のことから、探偵は千春が襲われることはないだろうと心積もりをしていた。青山達の犯行手段は、いくつもの条件が重ならないと相手を籠絡させることができないからである。

だが、そのトリックが小町を盲目とさせた。青山先生と間宮氏が共犯なのは事実。ただし、それが――森、三田村を殺害するまでの間だったとしたら? 

青山と間宮は由里絵の復讐の為に犯行に及んだ。しかし、二人の復讐の範囲は最初から異なっていた。間宮は娘が同性愛だとLineでバラしてしまった凛や、庇うことをしなかった千春まで恨んでいたとも考えられる。そうであれば、彼女達も殺害の計画に含んでいた可能性は否定できない。

顧問の青山は、凛の死を痛く悲しんでいた。これは彼女が犯行に関わっていなかったからではないか? その件で、二人の関係に亀裂が走り、彼女は千春の殺害には肩入れしなかった。それに業を煮やした間宮氏は千春にメールを送ったが、少女がレンズを付けていなかった為、殺害は失敗に終わる。遂に、彼は強行的な手段に走り、それが行われていとしたら……。

「傳ちゃん! ごめん。ちょっと、出かける!」

「えっ? 小町さん、どちらへ?」

「まずいかも。そうでなければ、それでいいんだ」

 傍目から見ても分かるほどの周章ぶりで、探偵は部屋を飛び出した。勢いあまって、机の角に太ももをぶつける。鈍い音と共に「アウチ!」と叫んだ。

 高玉警察署のロビーを駆け抜けて、小町は戸外に飛び出す。駐車場に停めていた白色の軽自動車まで走り、リモートキーでロックを解除する。ドアを開けて、鍵を回した。シートベルトを引っ張ると、途中でガンガンと音を立てて引っ掛かり、苛立ってしまう。カチッとベルトを締める音がすると、探偵はアクセルを踏み、乱暴な運転で発進させる。

「多分、いるとしたら、間宮クリニックだ」

 嫌な予感が外れてほしいと、懇願しながら車を走らせた。焦燥感、恐怖心、綯い交ぜになる感情が顕著となる。それは運転に現れていた。追い越し車線を走行し、エンジンをふかす音と共に、何台か車を敏捷に抜いていく。順調にクリニックまでの距離を縮める。しかし、国道八号線に合流した時、探偵の進行を邪魔する枷が現出した。

「なに、この渋滞……」

 この時間帯は、まさに帰宅ラッシュのピークを迎えている。遠目から見ても、水平線に車が吸い込まれて消えていくように、どこまでも続いて見えた。

「どうしよう。どうしたら」

 青信号に変わり、車の列は徐に発進する。前進するが殆ど、のろのろ運転で動いているように感じられない。もし千春の身に間宮氏の魔手が伸びていれば、最悪の結末を迎える危険性があった。

「どうしたら……。うん?」

 ふと、左側を見ると左折できる小道を発見する。ビルの間の道で、軽自動車なら入れそうな幅であった。

「行くしかない」

 痺れを切らした小町は、雑居ビルとビルの合間を縫うように、車を突っ込む。人気のない細道を慎重に進んだ。こんなところで人を撥ねるわけにはいかない。人身事故を起こさないように、注意を払う。そして、小道を抜けると、探偵の目指していた旧八号線に到着した。

「うっそ、ここに着くんだ!」

 驚きを隠せないまま、ハンドルを左に切る。道は八号線よりも空いていて、渋滞も起きていない。難なく快適に走行ができた。

 道なりに進み、右にデルーズが見える。間宮クリニックから、そう遠くはない。祈りながら小町はアクセルを吹かす。

「千春ちゃん。どうか、無事でいて」

 自らの粗相で凛を失った以上、千春まで死なせるわけにはいかない。できる限り車を飛ばすと、間宮クリニックまであと五キロと書かれた広告看板が見えた。

「あと、あと少し」

 運よく信号に足止めされず、直進する。すると、右側に間宮クリニックの建屋が目に飛び込んだ。

「ここだ。千春ちゃん!」

 道路から駐車場に進入して、探偵は気付く。

「誰も……いない」

 駐車場は無人の状態だった。営業時間が終わったのか、それとも休業日だったのか。誰も車を駐車していない。がらんと空車スペースだけが広がり、車は小町の軽四のみだった。

 適当に空いたスペースに停車して、窓越しから院内の様子を窺う。明かりは無点灯で、人気を感じさせない。一度、車から降りて、建屋を確認して回る。間宮氏が自宅兼医院にしている可能性を見出したが、全ての部屋の電気が消された様子で、人煙を感じさせなかった。

 探偵の予想は外れる。帰宅途中の千春を間宮氏が拉致し、クリニック内で監禁していると考えた。しかし、当の医院内から物音は全くせず、千春の声も聞こえない。

「どこにいるのだろう……。いやっ、小町の勘違い?」

 疑心暗鬼に陥れば、正しい判断はできない。探偵は辺りを見渡す。何か手掛かりはないだろうか。両隣の建屋を確認する。すると、クリニックの左隣に立地するガレージで車を発見した。目を凝らして注視しなければ、気付きにくい黒い車である。

「あの車は」

 確かに小町は見覚えがあった。軽自動車で、プレートのナンバーが塗料で発光している。一、二、二、二……。喫茶店「AME」の駐車場で見かけたナンバー。それは間違いなく、青山あかりの車だった。

「青山先生の車……。ということは」

 小町は駐車場を出て、ガレージに向かう。

 建屋の大きさは医院より高く、ガレージというよりは物流倉庫という印象である。正面にトラックの搬出入のできるシャッターが設けられ、その右隣りに、磨りガラス付きのドアがあった。ガラスの向こう側は電気が点いている。探偵はドアの前で、しゃがみ込みノブをゆっくり回す。僅かなドアの隙間から内部の様子を窺った。

 倉庫内は間宮氏の所有物が置かれているらしく、高級そうな外車が数台ほど並んでいる。その中心に青山がいた。彼女は身体を左に向ける。そして、誰かと口論をしている様子だった。恐らく、間宮氏だろう。小町は彼女の話に耳を傾ける。

「間宮さん、お願いします。四十川さんだけは助けてあげてください。彼女は、由理絵を追い詰めた人じゃない」

 反響する青山の問いかけに、優しそうな男性の声が返ってきた。

「そうかもしれません。しかし、青山さん。それでは、由理絵が可哀想だ」

「違います! 由里絵は、そんなこと願っていないはずです。四十川さんには、きっと私の分まで生きてほしいと、天国から思っているはずですよ」

 言下、優しかった声が一変、舌鋒鋭く。

「偉そうに話すな!」

 間宮の憤然とした声音が建屋内に反響する。

「あんたと、わたしでは違いすぎる。愛情の差が。青山さんは恋人同士。付き合いも一年くらいだろうけれど、わたしは彼女が生まれた時から死ぬまでの間、十六年間ずっと寄り添い続けてきた! 離婚した時も、由理絵は妻でなく私を選んでくれた。それだけ、わたし達の親子の絆は深かった。それなのに、その大切な一人娘を亡くした、あんたにわたしの何が分かる! 由里絵をどれほどまでに、愛してきたか……。由里絵は寂しがり屋だ。友達も、誰もいない世界に、ぽつんといるのは、可哀想に思えないか?」

「だから、あなたは、水科さんに試作のレンズを渡した。私に内緒で!」

 室内に異様な空気が漂い始めた。探偵の推理通り、青山は凛を手にかけるつもりは、なかったみたいだ。その怒りからか、彼女は間宮氏を鋭く、睨めつける。

「あなたは、彼女のことをよく知らないから、手にかけようとした。あの子は、本当に母親想いの、心優しい子だった。それなのに……。ひどいっ」

 顔を押さえて、青山は咽び鳴く。しかし、間宮氏の非情な優しい声が投げ込まれる。

「青山さん。わたしには、あなたが理解できない。どうして泣いているのです? 娘を死に追いやった生徒ですよ。もし、水科凛がLineで娘のことを話さなければ、由理絵は死ななかった。娘を死なせた一人なのに、どうして泣いている? あなたは由里絵の恋人だ。教えてくれ。由里絵と水科凛。いったい、どっちが大事な存在だったんだ? 聞かなくたって、それは自分が、よくわかっているはずじゃないか?」

 この質問に、彼女は腕を下ろして、かぶりを振った。アイシャドウが滲み、頬に黒い涙が線を引いている。

「間宮さん、私は由里絵を愛していました。それは間違いありません。でも、水科さんは大事な生徒でした。どちらも大事な生徒である点では、同じです」

「何を言っている? あんたは由里絵が一番大事じゃないのか?」

 睨む眼差しを向けたまま、青山はスーツの内側に手を入れた。

「由里絵は大事。でも、水科さんも、とても大事な存在です。そして、そこで眠る四十川さんも、大事な存在なんです。間宮さん。私は、本気です。四十川さんを、離してください!」

 語気を鋭く言い放つと、彼女は先ほど忍ばせた手を前にかざす。差し出す両手には、折り畳み式のナイフが握られていた。鋭利な刃先が照明に反射する。

 間宮の怯む声を聞き、愈々、我慢できず小町はドアを勢いよく押し出す。蹴破って二人の会話の間に割った。

「青山先生!」

 突然の第三者の乱入で、二人は瞠目する。驚愕を顕わにした表情で、青山は「明智さん!」と叫ぶ。しかし、小町も驚愕を隠せないでいた。対峙する間宮氏の背中越しに、椅子に座ったまま紐で括られている千春を見つけたからだ。

「千春ちゃん!」

 少女は身動きせず、項垂れた状態で黙座していた。今、助けに行こうとしても、距離の近い間宮氏が千春を襲うかもしれない。探偵は退っ引きならない状況に立たされた。

「明智さん、どうして、ここに」

 刃先を小町に向けたまま青山が問いかける。

「青山先生、落ち着いて。すみません。話は聞かせてもらいました。やはり、青山先生。あなたが、この事件の犯人だったんですね。そして、由理絵さんのお父さんも……」

 困惑気味に間宮は「あなたは?」と尋ねた。

「こま……。いえっ、私は明智小町という探偵です。今回、亡くなった水科さんから、事件の調査を依頼されました。呪いのQRコードが届き、パソコン倶楽部の部員二人が亡くなったと。でも、その謎は既に解き明かしました。あなた方の共犯による殺人だったと」

 話を遮るように彼女は「明智さん、一体」と問う。

「青山先生。亡くなった森さんや三田村さん、今、眠っている千春ちゃんにメールを送ったのは、あなたです。恐らく、彼らが間宮さんの病院に来て、受付時に記入したメールアドレスを、あなたは間宮さんから教えられた」

 青山、間宮の表情が強張る。

「犯行当日、青山先生は計画を確実に成功させる為、あの黒い車で彼らの自宅まで向かった。次に被害者がリビングにいることを確認して、車内からメールを飛ばしたんです。その計画は見事に成功し、森さんまで転落死させることができた。けれど、一つだけ誤算だったのが、水科さんの死……ですね」

 探偵の言葉に、青山は反対することなく、黙って頷いた。その様子に「青山さん!」と間宮が叫ぶ。小町は話を続ける。

「先生、あなたの復讐相手は森と三田村さんだった。そして、間宮さんと協力して、由里絵さんを罵った彼らを消すことができた。それで、あなたの心は満足だった。けれども、共犯者の由里絵さんのお父さんは、違った」

 悲しい眼差しで探偵は、由里絵の父親に視線を投げた。

「先ほどの会話から察するに、間宮さんは天国で寂しがっている由里絵さんの為に、水科さんと四十川さんを殺害することを。当初から計画していた。加えて、Line内での出来事を知っていたあなたは、彼女達に恨みをかかえていた。そこで、青山先生には内緒で水科さんと四十川さんに、北川高校の眼科検診で軽度異常と偽り、病院に来るように仕向けた。そして、処方箋と称して青山先生から幾つかもらっていたプロトタイプのレンズを、彼女達に渡した」

 小町の言葉に間宮が「そうだ」と優しい声音で話す。

「君の言う通り、わたしは青山さんと協力して、復讐を果たした。しかし、わたしの復讐は終わらない。娘を死に追いやった人間であることに、変わりはないからだ。本当に、娘の友人ならば、なぜ誰も庇わなかったんだ! そんなのは娘を見殺しにしたのと変わらない!」

 気が狂れたように叫び出し、すぐさま床に顔を伏せて、ぼそぼそと喋る。

「娘は、実に寂しがり屋だった。いや、私と妻が共働きで、家に一人でいさせたからだろう。彼女は高校生になっても、私の側にいてくれた。離婚した時も、妻ではなくわたしを選んでくれた。それだけ寂しくて、わたしを愛してくれたからだろう。だからこそ、娘を失った時の喪失感は、計り知れないものだった」

 探偵は父親の言葉をじっと耳にする。

「或る日。由里絵から学校の先生と交際を始め、自身が同性愛者だと知らされた時は、正直に言って驚かされたよ。しかし、それは必然かもしれないと思った。彼女は母性を求めていた。実の母親とは死別したからね。それに、前の妻とも折り合いが悪かった。だから、別の女性に母性を求めて、同性を好きになるのも、あり得なくはないとも思ったんだ。それも、寂しがりやの彼女の生得からきているのかもしれないと納得していた。由里絵から青山先生を紹介された時は、とても嬉しく思った。淑やかな方で、信頼できると思ったからだ。だから、わたしは心から二人の幸福を祈っていた。しかし……」

 徐に顔を上げて、二人を見遣ってから間宮は続きを話す。

「由里絵は、親友から同性愛者だとバラされ、彼らに傷つけられた。それをわたしに相談してきた。話を聞いて、すぐに青山先生に打ち明けたよ。先生は由里絵に会いに来てくれた。話も聞いてくれたし、慰めたりもした。それでも、由理絵の状態は酷くなるばかりだった。学校内で噂されているのではないかと疑心暗鬼に陥り、遂には学校に行かなくなった。さらに、わたしとの接触まで拒否するようになったんだ。同じ家の中にいても、もう生きているのか、死んでいるのか。分からないくらい、物音を立てない時もあった」

 皺の入った彼の頬に、雫が滑り落ちた。目じりから涙を流して、間宮は娘の最期を語る。

「そして、忘れもしない十月五日の夜中。わたしは青山先生の電話で目が覚めた。仕事で疲れ切っていたのか、熟睡していたらしく、まどろみの最中、電話に出た。すると、第一声で『由里絵が』と聞かされた。慌てて、わたしは娘の部屋に駆けつけた。部屋の中を確認すると、由里絵の姿はなかった。彼女は、先生と良く行った雨晴海岸に向かっていたんだ。きっと、私が寝落ちした際に、こっそりと電車で氷見に向かったのだろう」

 青山に小町が目を向けると、彼女は声を殺して、ナイフを持つ反対の手で顔を押さえていた。

「眠い頭を叩き起こして、車を走らせたよ。雨晴海岸に到着すると、複数のパトカーのランプが見えた。あの赤い光を見て寒気が走り、ああ、頼む。夢であってくれ。と心からそう願ったよ」

 話の途中、間宮は目頭を押さえて、天を仰いだ。再び、当時の状況を述べる。

「現場に到着すると、由理絵の姿はなかった。後で警察の方から教えられたが、既に娘は雨晴病院に運ばれていたんだ。そして、浜辺で泣き崩れる青山先生の姿を見つけて、事情を聞いた。そこで分かったんだ。由里絵は亡くなる直前『わたしって変かな?』と問いかけたらしい。全く変じゃない。むしろ、何故、同性愛というだけで、娘は彼らから非難を受けなければならなかったのか。どうして、娘は死ななければならなかったのか。未だに、わたしには、分からない……」

 彼の涙声で語る内容に、小町の顔が赤くなった。顔を伏せ、嗚咽を漏らし、両手を握りしめている。

「間宮さん……」

 探偵は、彼に身上を打ち明けることにした。由里絵と同じ、自身の抱える悩み。

「実は、小町も、娘さんと同じです。女の人が好きなんです。あそこで眠っている凛ちゃんが大好きなんです」

「明智さん……」

 青山が少し驚いた表情で探偵を見つめる。すぐに。

「だから、由理絵さんの苦しみや、青山先生の辛さも、分かるんです。小町も、思います。どうして、同性が好きってだけで、非難されなくちゃいけないんでしょう。堂々と、愛し合えない、世の中なのは、何故でしょう。人が人を好きになるのに、性別は関係あるでしょうか。それなのに、後ろ指さされるのは、辛いですよ……」

 熱くなる目頭を袖で小町は抑えた。泣きじゃくる探偵の隣に佇立する青山は、間宮を呼びかける。

「間宮さん。さっき、あなたは私に偉そうに話すなと仰いました。確かに、間宮さんから見れば、私と由里絵との付き合いは浅いかもしれません。でも、これだけは言えます。私は彼女を心から愛していました。明智さんの言う通り、私達が非難される必要性なんて、あるわけがないんです」

 間宮も小町も、彼女の訴えに賛同するように、深く頷いた。青山は話を続ける。

「由里絵がLineグループで、同性愛を揶揄われたと聞いた時、実は彼らから直接に話を聞こうと思い、三田村君達を呼びました。どうして、由理絵のこと、そんな風に言うの? 同性愛の何がダメなの? と。そうしたら、彼らは悪魔のようなことを言い出したんです」


――同性が好きというのは、遺伝子として欠如している。


「こんな、バカげたことを言われて、私は絶句しました。言葉を見失いました。本当なら、愛している人を傷つけた、バカにした彼らを、思いっきり叩きたい。バカにするな! って言いたかったです!」

 由里絵を思う気持ちが高ぶったのだろう。青山は語気を荒げて、自身の想いを告白した。

「私たちは人間なの! プログラミングされた情報体じゃない! 遺伝子が、プログラムが、情報体が、関係ない! 私は、由理絵が好きだった! もっと、側に、いたかった……ああっ、由理絵……。由里絵!」

 ナイフの柄を握る指がほぐれ、コンクリートの床に落ちる。自身の腕で身体を抱きしめる青山は、頽れた。彼女の横にしゃがんで、探偵は声をかける。震える背中を優しく擦って。

「青山先生、あなたの苦しみ、辛さは、分かります。だけど、だからといって、あなたは間宮さんと一緒に、人として行ってはいけないことを行った。それは、厳しい言い方ですが、彼らが由里絵さんに行ったことと、同等。もしくは、それ以上の過ちです。どんな理由があっても、他人の命を奪い取っては、いけないんです。青山先生が辛くて、辛くて、たまらないほどに。彼らを失った両親や友達も、酷く辛い想いをされているんです」

「明智さん、私、ううっ。ぐううっ、うああっ、ああああっ、ゆり、え。ううっ」

 一緒になって、小町は涙を流した。青山が犯罪に手を染める気持ちが、痛いほどに分かったからだ。大切な人を傷つけられた悔しさ。失った悲しみ。それらを背負い、何もできなかった青山の気持ちを慮ると、憐れでならなかった。

 突然、何か大きな倒れる音が聞こえる。その物音に小町が目を向けると、間宮がうつぶせに倒れ込んでいた。

「間宮さん!」

 慌てて彼の元に駆け付ける。膝をついて間宮の身体を起こすと、青紫色の唇から白い泡が噴き出していた。

「どうして!」

 小町が叫ぶと、彼は目の焦点を定めることなく、とつとつと打ち明ける。

「いい、んだ。四十川さん、を殺したら、わたしも、由理絵の元に、逝くつもりだった」

 虚ろな瞳を青山に向けた。苦しそうな呼吸音を発して、目尻から涙を流す。探偵は立ち上がりスマホを取り出した。救急センターに架電して、搬送をお願いする。その間、青山が彼の側にいて、話を聞いていた。

「青山さん、さっきは申し訳、なかった。あなたがいたから、わたしの、復讐は、果たせた。由里絵は、あなたと出会えて、幸せだったと、言っていた。申し訳ない」

「間宮さん、しっかりして!」

「先、に。由里絵の、ところへ。逝く、よ」

 彼の両目から光が消える。呼吸で上下に繰り返す腹部が止まった。

「間宮さん!」

 青山が必死に叫んでも、彼は不動を保っている。切電した小町が彼女の元に駆け寄ると、事切れた間宮に気付く。

「そんな……」

 酷く慟哭する青山を心配した。しかし、間宮の倒れる先に、縛られたままの千春がいる。紐で縛られている少女を解放しようと、椅子まで近づいた。意識を失っているのだろうか。背もたれに体重を預け、俯いている状態でいる。

「千春ちゃん、しっかりして!」

 探偵の言葉に少女は返事をしない。

(千春ちゃん、まさか、いや、そんなはずは!)

 少女の肩を激しく揺する。生きていてほしい。まだ生きているはずだと。

「千春ちゃん! 千春ちゃん!」

すると「ううん……」と少女の目覚める声が聞こえた。

「あっ、れ。小町さん?」

「よかった! 千春ちゃん」

 少女に抱きつく。そこから身体を離し、千春の寝ぼけ眼を見つめる。

「なんで小町さんが……。えっ! ここどこ! 私、先生と一緒にデ……」

 千春がファミレスの話をしようとした途端、探偵は少女の言葉を唇で塞いだ。

「んんっ!」

 突然の出来事に、千春の顔が真っ赤に紅潮した。小町が接吻を終えて唇を離す。

「こっ、こま……」

「千春ちゃん!」

 そのまま少女は気絶してしまった。騒然とする現場で探偵が狼狽えていると、遠くからサイレンの音が耳に入ってくる。それらはパトカーと救急車の音に聞こえた。恐らく、先ほど小町が要請した救急車が来たのだろう。それと、探偵に呼ばれた傳法谷と。


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