十二月十八日 午後九時頃
北川高校から一キロもない界隈。そこに、少し古びたアパートがあった。一階と二階を合わせても、部屋数は六部屋しかない。二階のリビングの窓を開けて、少女がサンダルを履く。寒空の下、冷え切った手すりに肘をかけて「つめたっ」と声を漏らした。吐き出される言葉は、白い息に乗って消えていく。
「凛ちゃん……ごほっ、ごほっ」
星の光も見えない夜空を見上げて、千春は亡き親友の名を呟いた。遠くから電車の走る音や、車の走り抜ける走行音が耳に届く。不安を煽るような犬の鳴き声も、パトカーのサイレンも聞こえない。住宅街は実に平生な夜だった。
只今、家の中は千春しかいない。少女の母親はプログラミングの会社に勤めていて、役職は部長である。その為、部署内で兼務する業務から、残業が多くなり帰りは遅かった。深夜の零時に帰宅することが殆どで、親子の会話も凛の家と比較して少ない。その反動から、凛や小町に対して千春は、稚気のような態度や行動を見せていた。衷心は寂しくて仕方ないのだ。そんな寂しさを埋めてくれる、心の拠り所だった親友を失った喪失感は、計り知れないものだった。
「会いたいよ……」
冷気に手足が曝される最中、少女は腕に突っ伏して顔を伏せる。深く、深く白い息を吐く。その時だった。寝間着のズボンに入れていたスマホが鳴る。
「メールかな?」
音は短かった。着信音とは違い、ピロンという音がメールを教える。この時間帯、千春のスマホにはヤフーショッピングや、スマホ会社からのサービス案内のメールが届く。画像を確認すると、やはりスマホ会社からのメールだった。
大半は中身を確認せず、ごみ箱に移すのだが、その最中にピロンと音が鳴る。メールが、もう一通、到着したのだ。
「はあ、うざっ。えっ、えっ……」
スマホに送られてきた一通のメール。それは見覚えのある、いや、覚えていたくもない内容だった。
差出人は文字化けしている。本文には、眺めるだけで気分の悪くなる漢字が累々と続いていた。黒い塊となって表示される集合体。襲い来る恐怖と悪寒に、千春の手が激しく震える。
「いやああああ!」
そう。少女のスマホに届いたのは、QRコード付きのメールだった。三田村、森の二人に届いた内容と、全く同じである。
「私、殺されるの? いやだ。いやだ!」
何故、このタイミングで? 理解不能のまま、急いで室内に戻り、ベランダの窓を閉めた。近場のベッドに潜り込み、頭から布団をかぶる。
「死にたくない。死にたくない! 助けて、小町さん」
すぐさま脳裏に浮かんだのは、母の姿ではなく、小町の姿であった。気が動転する最中、瞬時に悟った少女はズボンからスマホを取り出す。探偵のLineを開き、メッセージを打つ。恐怖から指先が震え、上手く操作できない。咄嗟に浮かんだ短文を三つ送った――助けて。殺される。メールがきた。
何度も送信したことを確認する。確かに小町の既読マークがついていた。間違いなく読んでいる。すると、一分足らずで探偵から返信がきた。――落ち着いて。大丈夫。今から行く。
小町が来てくれるというだけで、少しばかり安堵する。探偵に住所を伝え、到着を待つ。煉獄のような苦しみが続く。過呼吸に近い、荒々とした息遣いが治まらない。口元に手を押さえて、息を殺す。自然と呼吸が出来ず、頭が正常に働かない。加えて、心臓の高鳴る音は、早鐘を打つように早くなる。それゆえ、全身の血が駿足の馬並みに駆け巡った。襲い掛かる悪心。口を両手で覆いかぶせて、じっと不動を保つ。異常な身体の状態に、気が遠のきそうになる。
しかし、気絶さえも許されない。そんな状況に千春は思えた。なぜなら、室内に、何者かの気配がしたからだ。何かが、そこにいる。それが、由理絵なのか、何かは分からない。恐怖心が生み出した、幻なのかもしれなかった。
(今、ここで声を出したら、まずいかも)
少女は、ただただ小町か母親の到着を待ちわびる。その間、風邪による症状なのか、昨日から出始めた咳を我慢していた。胸から湧き出るムズムズ感と闘う。声を出せば、室内にいる何かに存在を気付かれてしまう。まさに窮地に立たされていた。
(早く。誰か、来て。怖い、怖い、怖い……)
身震いが止まらない。正気を保てるか、どうか。千春は目を強くつぶって、時が過ぎるのを待った。静謐な寝室には、雨が窓にぶつかる音が響く。そして、風の鳴く声が室内に届いた。
次第に風は強くなり、不安が一層と募る。誰か来て、と思った途端、玄関扉を開ける音が聞こえた。心臓が止まりそうな衝撃が走る。しかし、小町が駆けつけてくれたと思うと、心なしか気が楽になった。ただし、室内にいよう何者かの気配は消えない。悪い妄想が頭に、まとわりつく。
布団の上から、亡き由里絵が見下ろしている映像が浮かんだ。震える少女を、じっと見つめている。凛と三人で一緒にいた、楽しい頃の笑顔ではなく、恨めしそうな表情で佇立していた。
「由里絵ちゃん、ごめんなさい、ごめんなさい」
怖くなって、一人呟く。何度、謝っても、頭の中の由里絵は許す素振りを見せない。ずっと、長い髪を垂らして、少女を見下ろしている。そんな映像が鮮明に見えて、段々と、謝る声は大きくなった。遂に「ごめんなさい!」と叫ぶ声が室内に木霊する。次いで。
「千春ちゃん」
寝室のドアを蹴破る音と共に、待ちわびた探偵の声が聞こえた。恐怖から解放され、少女は布団を跳ねのける。
「小町さん!」
目前に、いつもの赤いジレを着た小町が立っていた。
「千春ちゃん、大丈夫? さっき、ごめんなさいって聞こえたけれど。まさか、本当に由里絵さんが、いたの?」
探偵の問いかけを聞いてから、室内を見渡す。四方を確認しても、由理絵の姿は視界に映らなかった。由里絵は部屋に最初からいない。自身の恐怖心が作りあげた空想に苛まれていたのだと、千春は悟る。そして、溜息をついて気抜けした。
(良かった。本当に、怖かった)
小町の顔を見遣る。すると、どんな表情をしているのか分からないほど朦朧と、ぼやけて映った。恐怖から開放された安堵感と、探偵の存在する安心感に、自然と涙が溢れ出る。
「小町、さん……」
布団から抜け出して、寝間着の袖で瞼を拭く。とにかく彼女を感じたくて、急いで駆け寄る。慌てふためく探偵を尻目に、少女は強く小町の華奢な身体を抱きしめた。肩に頭を押し付け、次いで、子供のように泣き喚く。
「小町、さん。怖かった、よおお」
手足が震え、咳と嗚咽が止まらなかった。メールが届けば、亡き由理絵が迫り、命を奪われる。しかし、実際は、部屋に亡き彼女の姿がない。自身が助かったのだと気づいて、さらに千春は喉を、ひいひいと鳴らして泣いた。
探偵の肩に凭れていると、優しく頭を撫でる温もりが伝わる。この瞬間、自分はメールの呪いや犯人から命を奪われずに済んだのだと、生きている実感を覚えた。
「千春ちゃん、大丈夫。大丈夫だから。今日は、ずっと一緒にいるね」
「小町、さあん!」
怖い、死にたくない、生きていたい。胸にこみ上げる感情が綯い交ぜとなり、涙となって爆ぜる。気持ちが落ち着くまで、少女は探偵に身を委ねていた。優しい声音と、手のひらから伝わる温かみで、落ち着きを取り戻していく。ようやく、嗚咽も治まり、まともに話せる状態に戻った。
「千春ちゃん、落ち着いた」
「はい。なんとか……」
少女のベッドに腰掛ける小町は心配そうな面持ちでいる。頭を向けて、探偵の顔を眺めていると、胸が熱くなった。好きな人が自分の部屋にいる。その嬉々を噛みしめるが、ふとメールの恐怖が襲ってきた。
「でも、小町さん。私、今日、死ぬんでしょうか? やだ! 怖い、死にたくない」
投げ出していた足を引っ込め、体操座りをして、顔を隠す。視界が暗くなると、悲しげな表情の由里絵の姿が浮かぶ。今は、不思議と怖くなかった。ただ、由理絵以外の何者かに、命を狙われている。その現実に慄いていた。その時、母親が子供をあやすような、再び温かい温もりが千春の肩に伝う。隣から小町の「大丈夫だよ、千春ちゃん」と優しさに溢れる声音が聞こえた。
「千春ちゃんは、小町が守るもん。だから、今日は一緒に過ごすって、決めたから」
少女の心が揺れる。すると、胸のときめきが生じて、心臓が高鳴る。先ほどは生死の掛かった恐怖から生じた緊張だった。今は喜びからきている緊張に、嬉しさを感じる。恋人に甘えるような形で、探偵の右腕に身体を絡ませて、安らぎを求めた。この一時、この瞬間が最上の至福である。
千春は小町を慕っていた。いや、これは好意ではなく恋慕を抱いている。由里絵が女性を愛したように、少女もまた、探偵を愛していた。以前、凛がデルーズを離れてバイトから喫茶店「AME」に行き、小町と二人きりになった際のこと。千春は探偵に冗談まじりで、好きだと伝えていた。それは冗談ではない。性別を超えて、本当に好きでいたのだ。そして、今は隣に彼女がいる。恐怖の緩和と高揚が胸の中を渦巻き、一人の女としての幸せを少女は堪能していた。
(小町さん、好き。愛してる。このまま、ずっと、こうしていたい)
左耳を探偵の腕に押し当てて抱きついていると、その体の空洞から、くぐもった声が腕を通して聞こえる。
「ところで、千春ちゃん」
小町の方へ顔を見上げた。呼びかけられ、怪訝な声で探偵に呼応する。
「なんですか?」
「いや、千春ちゃんって、家では――眼鏡をかけているんだなーっと思って」
小町の指摘する通り、少女は赤く塗装された眼鏡をかけていた。
「そうなんですよ。どうですか? 似合ってますでしょう?」
クイっと眼鏡を持ち上げて、仕事のできる女を装う。その姿が面白かったらしく、探偵は高笑いした。
「あはは。千春ちゃん、なんか知的キャラっぽいよ」
「ちょっと、ちょっと。それって裏を返せば、普段は、おバカキャラだ、って言っているようなもんじゃないですか! もう」
そっぽを向いて、頬をぷっと膨らませる。腕組をしながら尻目に小町を窺うと、おろおろした態度で、手を左右に振っていた。
「ああっ、いや、違うよ。そのっ、眼鏡一つで、こんなにも印象が変わると思っていなかったから……。うん?」
困惑していた様子から突然、探偵は黙りこみ、下顎に手を当てる。ぶつぶつと「眼鏡、眼鏡……」と言葉を反芻していた。ふと、床へ落としていた視線を、中央に置かれた机へと向ける。机上には、白いビニール袋が置かれていた。怪訝そうな面持ちで、小町が少女に質問を投げかける。
「千春ちゃん、そういえば。三日前に眼医者さんに行ったよね。その後、コンタクトレンズって、どうしたの?」
(コンタクト?)
不思議なことを聞くものだと思った少女は「ああ」と内実を話した。
「いやー。実は、家では眼鏡をかけているので、基本的に付けていないんですよね。目に入れるのって面倒ですし、違和感があって、嫌なんですよね。だから、本当は付けないといけなんですけど。ただ、学校に行くときは付けているんですよ」
探偵が「どうして?」と首を捻る。
「だって、私の席から黒板が離れていて、ノートを書く時、見えないんですよ。だから、その時は他の人のノートを借りて写してましたけどね。ただ、やっぱりコンタクト付けると、ホント見えます。今は、ちゃんと写せてますよ。でも、家では付けてないです」
「そっか。基本的に眼鏡で済ませているんだね」
「そうです。でも、お医者さんでもらったコンタクトは使っていませんけれど、目薬は使っています。私、元々ドライアイなので、結構効いている感じなので、重宝してますよ」
そう言ってズボンの中から目薬を取り出す。それを見せると、再び探偵は考えこむ素振りを見せる。眼科医でもらったビニール袋を見つめたまま、今度は別の質問を千春に投げかけた。
「もし知っていたらでいいんだけど、亡くなった二人も眼医者さんに行った?」
「うーん。あっ、そうです、そうです。確か前に部室で二人とも視力が落ちたと話していました。それで、病院が、という言葉を聞いたので、多分ですけど、行ったんじゃないんですかね?」
「なるほど……」
言い終えると、小町は口角を上げて、にやりと笑う。何かを納得したような満面の笑みを湛えていた。
「そうだったんだ。そういうことだ。そうだ、そうだ」
「えっ? 小町さん、何がですか?」
「いや、大丈夫。何でもないよ」
笑顔で応える探偵を見て、少女は小町が何かを隠している。悪く言えば欺瞞的な態度だと思えた。どうも作り笑顔に見えて仕方ない。眼鏡の位置を正してから、ジト目で探偵を眺める。目を逸らす小町。さらに見つめる。きょろきょろ目を動かす探偵。
「まあ、いいや。それより、ごほっ、うう。小町さん」
「なっ、なんでしょうか?」
不敵な笑いを浮かべて千春は話を続ける。
「にひ。今日は言質を取らせて頂きました」
「げっ、言質? それは一体」
「自分で言っておいて、白を切るとは。言い逃れはできませんよ。探偵さん。さっき言いましたよね?『千春ちゃんは、小町が守るもん。だから、今日は一緒に過ごす』って」
少女の言葉に、小町は顔を伏せた。下卑た笑みで、立て続けに話す。
「ということは。私がこれからシャワーを浴びに浴室に行っても、小町さんは私を犯人から守る為に、付いてきてくれるって認識でいいんですよね?」
「そっ、それは……」
探偵の頭から蒸気が蓬々と天に伸びる。そのくらいに擡げた顔が赤く染まっていた。
「だから、小町さん。これから、私と一緒にシャワーを浴びてくれますよね?」
探偵の顔に、グッと近づいて千春は、もう一度だけ念を押す。
「来てくれますよ、ね?」
「はっ、はい……」
「やったー。小町さんと、一緒にお風呂に入れる。裸が見られるぞ!」
恥ずかしそうに「やめてよ!」と顔を隠す。
「ぐへへ。では、さっそく参ろうぞ」
「ええっ! 今から!」
露わにした小町の顔は、驚愕に満ちていた。
「では、行きますぞ。小町殿」
「ひええ。千春ちゃん、目がマジだよお」
小動物のように怯える探偵を、少女は半ば強引に肩に手を回して、浴室まで連行する。心が色めく欲望の声に聴従して赴く。さきほどまで戦慄くほどの恐怖や緊張は、既に消え失せていた。
シャワーの水滴が弾かれる。まるで白魚のような、きめ細かい小町の肌の上で。胸を隠す仕草で探偵は両腕を抱えていた。小声で「恥ずかしい」と呟く姿を、千春は舐め回すように目を走らせる。上唇を舌舐めずりし、赤いジレの下に隠された、探偵の裸体に目を曝す。へその形、腰回りのくびれ……。何くれと無く、眺めやって小町の恥じらう姿を楽しむ。抑えきれない衝動から、少女は探偵の肩先を触り始めた。
「小町ちゃん、いいよ。きれいな肌だね」
「ちっ、千春ちゃんもきれい。だと、思うよ」
「いやん。小町ちゃんのえっち。でも、嬉しいですう」
柑橘系のシャンプーが甘く香る。生まれたままの探偵に、居ても立っても居られない少女は、一つの提案をした。
「小町ちゃん、今日は、いつものお礼ね。身体洗ってあげる」
手のひらで泡立てたシャンプーを広げて見せる。
「いやっ、大丈夫。というか、千春ちゃん、今まで小町ちゃんって言ってなかったよね。さんって敬称だったのに、急に、なんで? どうしたの?」
怯えた相好の小動物に女豹が鋭い眼光を放つ。
「大丈夫。綺麗に洗うから。心配しないでください。じきに気持ちよくなるから」
鋭い野獣の目つきで、探偵を見定める。恐怖心からか、小町は口を震わせていた。
「ひやあ、助けて!」
お構いなしに少女は泡まみれの手で、シャンプーのボトルを押して、手のひらで受ける。不安と欲望を掻き立てる生々しい泡の音が室内に響く。しっかりと千春は、執拗に泡立てた。
「大丈夫。リラックスですよ、リラックス。では、参る」
泡まみれの手で、探偵のお腹に触れる。いきなり、へその穴をほじくるように、丁寧に指の腹で洗う。そして、手のひら全体で、腹部を洗い始めた。
「ああっ、ダメ。くすぐったい、から」
「はあ、はあ。それじゃ、上も」
「ひやああ。だっ、だめええ」
凛の果実を揉んでいた経験が、ここで活きたと少女は悟る。手のひらに収まる、まんじゅうのような小町の胸。その二つを、女豹はじっくりと、こねくり回した。
「んっ、あっ、んんっ!」
「はあ、小町ちゃん。気持ちいい?」
荒い息遣いの千春は彼女に問いかける。
「だっ、だめっ、だよ。千春、ちゃん」
「げほっ、げほっ。にへ。まだだよ。小町ちゃん、次は……下の」
突如、女豹は探偵に凭れるように頽れた。
「千春ちゃん!」
「しっ、しあ、わせ」
小町の心配する声が朦朧と耳に入る。そのまま、意識が遠のいた。
少女が目覚めると、見覚えのある天井が視界に入る。上半身を起こして、辺りを見回すと、そこは自室だった。どうやらベッドに横たわっていたらしい。右側に頭を向けると、ベッドの上で腰掛ける探偵の横顔が映った。
千春の用意したフリースに着替えている。猫をイメージした寝間着で、猫耳の付いたフードを頭から被っていた。細い指先でスマホを触っている。フードの横からはみ出る黒紫色の長髪は、うっすらと濡れていた。もやは、探偵という存在ではなく、ひとりの女の子が目の前にいる。猫の姿をした小町が可愛くてたまらない。今すぐにでも抱きしめたくなる愛おしさに、千春の胸が、ときめいた。
「小町さん」
少女の声に振り向いた探偵は、驚いた様相を見せる。スマホを脇に置く。ベッドに上がり、四つん這いのまま、千春に近づいた。
「ちっ、千春ちゃん! 大丈夫? 具合はどう」
気持ち半分、目を潤ませて問いかける彼女に、千春は決然と頭を下げる。
「大丈夫です。それより、小町さん。すみません。迷惑かけちゃいました」
大人一人を浴室から引っ張り出す。そして、着替えさせ、ベッドに横たわらせる。考えるだけでも、とんでもない労力だと千春は直感した。
「本当に、ごめんなさい」
もう一度、頭を下げると、小町は「全然!」とかぶりを振る。むしろ、母性溢れるような優しい笑顔で、少女の頭を撫でた。
「とんでもないよ。それよりも千春ちゃんが倒れたから、風邪が悪化したのかと思って心配したんだ。何事もなさそうで、良かった」
「本当ですね。私、今も普通に生きてますもんね。メールが来たのに、小町さんの手を感じています。はあ、良かったです。私、生きてますね!」
目を輝かせ、探偵を見つめる。小町も笑みを浮かべていた。
「うん! それで、あのメールなんだけど、今回のことで分かったのは、呪いのメールじゃないってこと。今、目の前に千春ちゃんがいるんだから、それが立証されたよね」
「はい。うん? 立証? 立証された? それって、どういうことですか」
「あのメールにはいくつか共通点があって。一つ目は森さんや三田村さん、凛ちゃんが亡くなったのは、メールが届いてから十分以内ということ。二つ目は、死因の場所はベランダということ。この二点を踏まえると、千春ちゃんの元にメールが届いてから、既に十分以上は過ぎている。そして、今もベランダから離れている。共通する二点に反しているから、千春ちゃんは今も生きているんだよ。ということは、犯人が肉体のない霊体であるならば、ベッドの中で千春ちゃんは息を引き取っていてもおかしくないんだ。霊体でなく肉体をもつ人間が仕組んだことだから、計算通りにならなければ、殺人は実現しない」
その言葉に千春は、感嘆の声を漏らす。そのまま探偵に話しかけた。
「なるほど。ということは、この事件もメール自体も、由理絵さんの呪いや幽霊の仕業でもなく、誰かが仕組んだことだったんですね」
「うん。もし、この一件が全て由里絵さんの呪いによるものならば、こんなメールとか寄越さずに直接、千春ちゃんの前に現れて首を絞めるとかベランダから突き落とすとかするはずだよ。こんな手の込んだことをするということは、警察に足のつかないよう、犯行がばれないよう、気を張っていると思われるね」
「ふーん。でも、それなら許せないです。どんなトリックか知らないですけど、由里絵ちゃんを使って、三人も殺したんですよ。こんなの死者への冒涜ですよ」
犬のように唸り声を上げ、少女は犯人に対して、憤懣を募らせる。その姿に、小町は少し寂しそうな表情で話を続けた。
「うん、そうだね。ただ、犯人は、由理絵さんを愛していたからこそ、こんな犯行に及んだと思う」
「えっ? つまり、犯人は、由理絵さんの恋人ってことですか」
ゆっくりと探偵は頷く。
「そう。犯人の目的は、由理絵さんを死に追いやった彼らの復讐だったんだよ」
「ええっ! ちょっと待ってください。由里絵さんは、亡くなっていたんですか」
千春の驚愕した言葉に、小町は「うん」と答えた。
「実は、その裏付けを取れたんだ。それは、今は言えないけれど……」
「どうしてですか?」
「それは、ね」
突然、探偵は少女を襲う。押し倒して、両手首を押さえ、顔を至近距離まで近づける。
「千春ちゃんが、悪いんだよ。小町を、こんな気持ちにさせたんだから」
「こっ、小町さん」
「にひっ。今度は、小町の番だからね」
そう言葉に乗せて吐息を少女の顔に落とすと、探偵は千春の頬に軽くキスをした。次に、その身体に覆い被さって、重なり抱きしめる。少女も小町を抱き返す。
「小町さん、えっ? あっ」
「えへへ。気持ちいですかー」
「あっ、すごっ」
千春の二の腕を、探偵は揉みほぐしていた。少女の身体全体に、マッサージからくる快感が走る。だらしなく口元から涎を垂らし「へええ」と声にならない声を漏らす。
そして、その時は訪れた。崩壊した顔面の千春に小町は顔を近づける。ふいに「千春ちゃんには、本当のこと言えない」と探偵が呟いた。少女が「どういう……」と唇を動かした途端、その口を封じるように、小町の唇が重なる。塞がれる言葉。二人の呼吸音が室内に充満する。探偵の柔らかい感触に、千春の頭は痺れていた。そのまま、彼女は絶頂に達して「あはっ」と気絶する。
「うわっ! 千春ちゃん、千春ちゃん!」
垂れさがる髪の先が鼻に当たり、甘いシャンプーの香りが鼻腔に進入した。それでも意識が薄れていく。柑橘系の香りより甘くなるはずの少女の一晩は、無下にして終わった。




