十二月十八日 午後十二時頃
予鈴のチャイムが教室に響き、授業が終わる。黒板に埋め尽くされた文字を、ノートに取ることもせず、四十川千春は漫然と字面を眺めていた。授業内容が頭に入るはずもない。一日中、親友の水科凛を偲んでいた。
彼女とは違うクラスである。だから、いつものように授業の間の休憩時間中、凛のいたクラスを覗きにいく。そこには、彼女が使っていたはずの机の上に、活けられた綺麗な花が飾られていた。ドラマでしか見たことのない光景に、最初は何かのドッキリではないかと疑う。心なしか、千春は、凛の死を信じられなかった。
目頭が熱くなる。慌てて近場のトイレの個室に駆け込み、瞼を押さえた。ふと、彼女に電話をしてみようと考える。もしかしたら、繋がって「千春、ごめん」と詫びる声が聴けるかもしれない。そうなれば、いつも叱られているので、ガツンと叱り返そうと決め込む。
思い立って、こっそりと凛の連絡先に電話をしたが、繋がらない。Lineを開いて「凛ちゃーん」「おーい」とメッセージを送っても、未読のままだった。換気扇の音が、虚しく胸の内に差し込む。
これは現実なんだと再認識すると、胸の奥から悲しみが溢れ出てくる。快活な声で「こら、千春!」と叱ってくれる凛が愛おしくてならない。嗚咽が止まらず、泣き崩れてしまう。少女もまた、小雨や小町と同じく、苦しみの渦中にいた。
「凛、ちゃん。あっ、会いたいよ。またっ、しかっ、てよ。凛、ちゃん。だいすき、だよ、今でも、ずっと。あいたい、あいたい。ぐうっ、ううぅ」
どれだけ泣いても、会いたいと願っても、大事な友達は返ってこない。十一時頃に、小町と電話をしていた際は、泣かずに堪えていた。コップに溜まった一杯の水が、表面張力で零れず、僅かに持ち堪えているような心の状態を保って。十六年という生涯の中で、少女は一番に泣いた。目が痛くなるほど、涙が溢れ出る。身体に力が入らず、立ち上がれない。今まで見てきた凛の喜怒哀楽の姿が、いつまでも胸に往来する。暫くの間、千春は悲しみに身を委ねて、落涙し続けていた。
このままではいけない。そう頭では分かっていても、少女は気持ちを切り替えられなかった。不思議と、泣くだけ泣いた後は、寡少な冷静さがある。漸く千春はトイレの個室から出た。さらに気を落ち着かせる為に、蜂の巣校舎と旧校舎を繋ぐ、渡り廊下に向かう。向かう間、すれ違う普段通りの生徒達の声が、不思議と全く耳に入らないでいた。歩いてすぐ、拠り所に着く。その廊下の窓から街並みを漫然と眺め、心の状態を内観する。
(泣いてばかりじゃダメだよね。きっと、今の自分を見ている凛ちゃんなら、呆れたと言って文句を言うんだろうな)
心は萎れ切っていた。悩んでも、どうにもならないことだと分かっていても、考え込んでしまう。堂々巡りに陥っている最中、突然、背後から「四十川さん?」と声をかけられた。見下ろす窓の景色から、慌てて振り返る。後ろに立っていたのは、顧問の青山だった。疲弊し切った表情で、目の下はメイクで隠し切れないほどの隈ができている。どうやら、彼女も凛の事で眠れなかったようだ。少女の隣に並ぶと、青山から口を開く。
「水科さんが、こんなことになるなんて……」
「先生、私は、犯人が許せません。大事な親友の命を奪ったんです。いっそのこと、この手で……」
怒りで震える両手に目を落とす。その様相を顧問は黙って見つめていた。街の風景に目を向けて「きっと」とか細い声で千春に問いかける。
「犯人も、同じ気持ちだったのかもしれない」
青山の言葉に、少女は目を瞠って、彼女の顔を注視した。
「どういう、ことですか?」
「これは私の憶測だけれど、犯人は復讐の為に、あのメールを作り上げた。由里絵……。いえ、藤沼さんが傷ついたことに対して、恨みを晴らす為に。けれど、それだけで犯人は人の命を奪うだろうかと。そこで考えられるのは――藤沼さんは、既にこの世にいなくて、その原因が彼らのせいだとしたら? 殺戮に至る動機に繋がるんじゃないかって」
「だからって、凛ちゃんまで、殺さなくたって……」
青山の言うことは、確かに一理ある。 ただ、それで凛まで手にかけられたことだけは、納得できない。少女は地上に目を伏せた。
「私だって」
震える声が聞こえ、千春は青山に顔を向ける。綺麗な頬が濡れていた。
「私だって、四十川さんと同じで、犯人が許せない。彼女は大事な生徒だもの。人としても、本当に素晴らしい人だった。なのに、どうして……」
瞼を閉じて、瞑目するように、口を噤む。顎先から落ちる涙は、本物だと少女は感じる。
(絶対、青山先生は、この事件の犯人じゃない。もし、人を殺して、ここまで嘯いて涙を流せるのなら、それは人間じゃない。悪魔だ。でも、先生は違う。青山先生は、本当に凛ちゃんのことを大事に想っていた先生だ。そうに違いないよ)
自然と彼女の竦めた肩先に千春は、手を伸ばしていた。そっと手のひらで触れて「先生」とできる限りの笑みを見せる。
「少し前に、小町さんと話していたんですけれど、彼女も凛ちゃんがいなくなって、本当に悲しんでいました。それだけ、凛ちゃんはみんなから愛されていたんだって、思ったんです。今、私達にできることは、何か事件に関係することが分かれば、それを小町さんに教えて、協力することだと思います。先生、小町さんを信じましょう。必ず、事件は解決するって。犯人は捕まるって。亡くなった凛ちゃん死を無駄にしない為にも」
少しでも前向きな言葉を投げかけた。それに応えるように、青山は千春の手に、自身の手を重ねる。悲しい瞳のまま、僅かに口角を上げて「うん」と力なく答えた。少女が口を開く。まっすぐに顧問の目を見つめながら。
「私は青山先生のことを信じています。先生が犯人だなんて思っていませんし、先生にだって生きていてほしい。私も犯人に命を狙われているかもしれない。だから、お互いに何かありましたら、きちんと連絡を取り合いましょう。そして、小町さんに報告して、少しでも身を守りましょう」
「四十川さん……。うん、そうだね。お互いに身を守ろう。ありがとうね」
重なる先生の手は温かい。そのぬくもりに、千春の心は少しずつ癒されていった。凛のいない悲しみや苦しみは拭えない。けれども、今ここに感じられる人の温かみや愛が、少しでも心を前向きにしてくれる。そのことに少女は感謝していた。亡くなった凛の為にも、できることをしよう。そう決意を固めて、再び街の風景に目を向けた。




