十二月十七日 白百合の真実を辿りに
お昼時の雑踏を抜けて、探偵は北川高校に足を運ぶ。校門を潜り抜けて、蜂の巣校舎に入ると、生徒達の賑々しい声が飛び交っていた。中央の広場まで歩み、一階から二階に続く螺旋階段を上る。その最中、教室からであろう食欲を刺激する弁当の芳しい香りが、小町の鼻腔を突っつく。お腹の虫が素直に鳴り、探偵は情けない声を漏らす。二階まで上り切った小町は、目の前に広がる教室から右に反れ、職員室に繋がる廊下を歩いた。
蜂の巣校舎は、真上から見れば八角形の図形をしている。校舎の中心に螺旋階段があり、全部で四階までの高さだった。その八の巣校舎の右側に四角形の建物がある。この校舎は旧校舎であり、職員室や美術室などを主に設けた別館となっていた。目下、小町の歩いている廊下は双方を繋ぐ渡り廊下であり、職員室まで辿り着く為には必ず通る通路である。
旧校舎に足を踏み入れ、少し進む。いくつか引き戸の並ぶ右側に、黒いプレートの上から白文字で職員室と書かれた部屋があった。小町は入口の前に立ち、左に引く。会釈してから「失礼します」と入室した。
新設された蜂の巣校舎の教室内とは対象的に、職員室の内装は古めかしい。壁面は、煙草のヤニで黄色く染まり、職員達が歩くと床がギシギシと鳴く。それだけ年季の入った校舎であった。
誰も探偵に対して声をかける者はいない。しかし、小町が最奥へ向かって歩むと、横目に窺う視線が束となって向けられた。中には、部外者が侵入してきたと言わんばかりに、探偵の動向を注視する教員もいる。しかし、小町は進んだ。事件の鍵を握っているであろう、青山あかりから、由里絵の情報を得る為に。
「あの、青山先生、ですか?」
突き当りの手前に置かれた事務机で、何か作業をしている彼女の後ろ姿を見つける。見下ろすと、どうやらテストの答案用紙に採点をしているらしかった。
小町の呼びかけに、一瞬、驚いたように身体を反射させる。茶色いショートカットを揺らしながら、あかりは振り返った。
「あっ、明智さん。どうも……」
前日、喫茶店「AME」で同席した時のような明るさは、全くない。むしろ俯き加減で、前髪を垂らしている。顔が目視しにくいほどだった。僅かに窺えた彼女の両眼は、赤く染まり、瞼は腫れている。
「青山先生、お忙しいところ、すみません。少しだけ、お時間よろしいでしょうか?」
鼻を啜りながら床に目を伏せていた。徐に頭を擡げて、探偵を見上げる。一日中、凛の死を悼み、泣いていたのだろう。薄く引いたアイシャドウは、ところどころ剥がれ、メイク全体が崩れていた。
「もしかして、水科さんの、ことですか? ごめんなさい、思い出すだけで、辛くなって……。ううっ」
両手で顔を覆い、泣き声を殺して嗚咽を漏らす。その様子に、小町は頭を下げて「申し訳ありません」と瞑目して詫びた。
「どうして……。ひくっ、どうして、水科さんが……。うぐっ」
いたたまれない心境から頭を上げると、ふと彼女の机に視界が入る。机上には数種類に色分けされたファイルと答案用紙の束が置かれている。次いで、どこかの風景を自身で撮影したらしい写真が、机の上に貼られていた。森林や山、海といった自然を背景にしたものが殆どである。緑色の写真立てに入れた写真は、彼女のお気に入りなのだろうか。
(これも、背景の写真)
その時であった。体格の良い中年の男性が、小町の元に近づいてくる。厳めしい面で、鋭い眼光を探偵に向けた。
「あんたが探偵か? うちの学校に何度も来てるらしいじゃねえか」
「あっ、は、はい」
鋭い語気に小町は気圧され、委縮して口ごもる。男は苛立たしい様相で、口早に話した。
「悪いが青山先生は、ご覧の通り気持ちの整理がついていない状態なんだ。それに、こちら側として言わせてもらえば、第三者にあれやこれやと詮索されちゃ困るんだよ。警察の見解では、亡くなった生徒は自殺らしいじゃないか。今回、亡くなった生徒も事故だってね。これ以上、何を調べてるんだ? 帰ってくれ。話すことなんてないよ。あんたみたいな者が来ると、殺人事件か何かだと思われるだろう? うちのイメージが悪くなる」
名も知らぬ男性職員に苦言を呈される。何も言い返せず、探偵は男性に背中を向けた。出入口まで踵を返し、退出の意を示して頭を下げる。冷厳な雰囲気から逃れ、戸を閉めて、退室した。
蜂の巣校舎に繋がる渡り廊下を、気の進まないまま歩き、一階まで下りる。その間、小町は男性教師の言葉を反芻していた。全く納得できない。亡き凛の為に、探偵は解決に向けて動いていた。それが、完全な邪魔者扱いされていることに、悔しさが湯水のように湧き上がる。
「あんな、あんな言い方しなくても……」
目くじらを立てる教師の強面と言葉が心中を掠め、指先で目じりから零れる涙を拭いた。玄関まで歩く間、とめどなく悔しい想いが雫となって溢れる。
外に出ると、生徒達の楽しそうな声が微かに聞こえてきた。段々と自分が惨めに思えてくる。しかし、瞼を閉じれば喫茶店で働いていた生前の凛の姿が浮かぶ。守れなかった笑顔。元気な姿を思い起こすと、自己憐憫に陥っている場合ではないと心が叫ぶ。拳を握りしめて、決然と小町は無理に気持ちを切り替えた。
「しっかりして、小町。涙目で物事を見てはいけない。凛ちゃんの為にも、へこたれてなんかいられない。強くならなきゃ」
青空を見上げて、水科凛を偲ぶ。瞼に薄く溜まる雫を拭って、車の走る公道に目を向けた。少し冷静になった頭で、道路に沿った歩道を歩みながら、これからすべきことを考える。
探偵が青山に問いかけようとしていたこと。それは、由理絵の旧姓についてだった。小町が藤沼由里絵の名前をネットで調べても、市内の図書館で今年の地元新聞を片っ端から目を通しても、一切の情報が得られなかったのである。
しかし、数時間前に傳法谷と通話をしていた際に、親友から『いえ、そうではなくて、苗字のほうです』と藤沼由里絵の苗字について質問をされた。その時に、探偵は気付いたのである。なぜ今まで、彼女の名前が、どの媒体にも表れなかったのか。それは、この藤沼という名前から、別の苗字に変わったからではないかと。
今の彼女の両親が離婚していれば、どちらかの旧姓を名乗っている。もしくは、離婚後にすぐ再婚していれば、まるで異なる苗字に変わっているはずだ。そうであれば、どちらにせよ藤沼という苗字ではないのだから、情報を得ることはできないのである。
その為に、小町はパソコン倶楽部の顧問である青山の元を訪問した。由里絵の両親が離婚していたのかどうか。何かしらの関連性のある情報を引き出そうとした。しかし、学校側から事件の詮索を拒まれてしまい、調べる術がなくなったのである。
「でも、どうしよう。青山先生から由里絵さんの情報を得られない以上、どうやって彼女の苗字を調べたら」
問題は苗字だけではない。彼女の生存も、また不明である。
「由里絵さんは、既に県外にいるのか、国外なのか。それとも、もうこの世にはいないのか……。何か、何か調べられる方法は、ないかな」
いつの間にか探偵は市街の中まで歩いていた。あてもないまま足を進め、横断歩道の前で待つ。昼餉の時間帯のせいか、往来は人で溢れていた。スーツ姿のサラリーマンや、大学生のグループなど、あちこちで見かける。信号が青になり、雑踏を縫って進む。
人込みを抜けても、探偵は由里絵の苗字を知る手段を思案していた。謎を解決させる為には由里絵の苗字を知る必要がある。頭で分かっていても、手元の情報が寡少である故に、ただただ閉口していた。貴重な時間が無聊に過ぎていく。
「ただ、何かを見落としている気がする。事件、解決に至る大事な何かを」
北川高校を出てから、小町は大きな違和感を抱いている。しかし、その違和感の正体が掴めない。幾つか自問自答するが、その正体は掴めずにいる。煩悶とする頭を抱えたまま、ひたすら雑踏の中を、探偵は穿つのみだった。




