09 Last chance saloon
ディーが紅茶のお店【チャチャ】を発ったあと、ローレルは呆然としていた。
ほう……と溜息を吐きながら、冷めきった紅茶をすする。カルダモンに似た爽やかさが鼻を抜ける。
空は既に橙色から濃紺色に染まりつつある。
「嬢ちゃん、そろそろ店終いだからね、準備しといてね」
店主の声もいまのローレルの心境にはそよ風にしか感じない。
紅茶のように冷めきった頭で考える。
あの少年はなんだろう。警吏から庇ってくれた紳士と思いきや、依頼失敗から希少素材で浮かれきったところを遠慮なくボッタクくる商売人へ。オマケに平原ではなく“死の森”近くまで採集に行き、予定通りに依頼を遂行できる誠実さと実力。
年は今年で十一と言っていた。
(つまりまだ十歳!?)
衝撃の事実に気づいて、またもや驚く。
自身の人生の半分程度しか生きていない少年が、大の大人しかも魔術師である自分よりも強かに生きているのを実感し落ち込む。
(うぅ……それに比べ私と来たら……
魔術師だからと調子こいて依頼受けて殺されそうになって漏らして、
それを助けてくれた人を信用して、騙されて、強姦されるのは防げたけどお金は盗られて、
商売しようとしたら届け出の存在すら知らなくて警吏に捕まりそうになって、
子どもに助けられてボッタクられて……
……どうして私はここまでダメダメなんだろう。この二十二年何をしてきたのだろう。情けない。)
「……うぅ」
涙が出てきた。数粒だけ流れ溢れたが、ローブで乱暴に拭って顔を上げる。
ここが人通りの多い道でよかった。
涙も、情けなさも、雑踏が薄れさせてくれる気がする。
底に薄く残った紅茶を飲み干し、席を立つ。
「ご馳走様でした、また来ます」
「あいよ」
優しい声で応えてくれた店主を背後に、ローレルは雑踏の流れに入る。
ご馳走様でした、は、少年が言っていた言葉だ。食材やそれを調理してくれた者への感謝を表す言葉だと謂う。いい言葉と思いローレルも使ってみた。ありがとう、よりリスペクトが多く含まれている気がする。
少年は異国の者なのだろうか。聞き慣れない言葉を知り、街の住人として立派に街に貢献している。異国から独りでこの国へ渡り、生き続けているならあの強かさも納得できる。
かの孔子曰く、齢三十にして立つ。らしいが、自分がこの年になってようやく経験し苦労してることを、あの少年はとうに乗り越えているのだ。
「でもボりすぎだよう……これじゃまた黒パン生活だよお」
地面に深い溜息をもらす。返ってくるのは土埃の匂いと非常な現実だけだ。
よく自然は怖いと言うが、あれは間違っていると思う。自然はそこに在るだけだ、自然に恐怖という概念はない。ただ現実のみが存在してる。
ローレルは明日からの食事を想像して気落ちする。歯が欠けないか心配だ。
黒パン。別名鋼鉄パン。日持ちだけを考えられて作られた安い庶民の味方。
主にライ麦粉で作られグルテンや天然酵母・イースト菌が使われていない、いわゆる無発酵パンのためフワフワにならず冷めると恐ろしく固くなる。
噂では食事中に奇襲された兵士が黒パンで弓矢を防いだとか、武器代わりに黒パンで敵と戦ったとか。
(師匠の家で食べたふわっふわの白パンが懐かしい)
白パン。高級品である真っ白な小麦粉で作れて、更に酵母が使われているためフワフワである。当時の貴族や上級国民の食べ物である。黒パンと対象的に日持ちはしない。黒パンは平気で月単位あるいは年単位で持つ。
「うまいんですよねえ。白パンをクリームシチューにつけて、Wホワイトな食卓で天使のご馳走ですう」
意味の分からないことを呟くローレル。
独り言からヨダレがこぼれ落ちるのではと思わせる魅力的な提案に、彼女の声が聞こえていた人々の腹も空いていき口の中で唾液が分泌される。しかし皆ハッと表情を戻す。そんな贅沢は中々できないご時世だ。
ブールストリームが所属してる国は、現在不景気真っ只中である。
昔、黒死病が国中に蔓延し、数百万人が亡くなった。
現実の黒死病による世界全体の死者数は推計7,500万〜2億人。当時のヨーロッパでは当時の人口の約3分の1から4分の1が死亡したとされる。
想像してほしい、あなたの周りの家族や友人・同僚を。その3人に1人が亡くなるのだ。想像すら苦しいものになる。
その余波はあまりにも凄まじく、回復にはあまりにも長い時間を必要とした。
やがてその余波が終えようとした頃、次は寒害が。そして立て続けに干害が襲った。
なんとか国中の魔術師と、国外から暴利でタカられながらも魔術師を雇い、魔術師総動員で首の皮一枚で乗り切る。
そんなところに突如、北の蛮族の国が現れ進軍を開始。
文字通り後がない状況下、背水の陣から狂気の応戦で挑んだことにより、奇跡的に退けることに成功。
しかしその代償は重く、大量の死者を出したことにより大幅に国の国力が低下。
そこへ戦争を傍観していた諸外国からの干渉が入る。これがチェックメイトになった。
もはや国境が十分に機能していなく、スパイや無国籍者の移民など大量に入ってきており、治安も悪化。様々なことに国目線で金がかかる事態。
それならば市民はどうか、文字通り火の車である。
まず資産である家や土地を売る。
それでもどうしようもない場合、闇市場を使う。違法業者やブローカーと名乗る怪しい者達も、他国から大量に流入していたが、怪しいと思っても使うしかない状況だったのだ。
次に行う手は、飯喰らいの子どもから成人の子どもを、売るか・捨てる手だ。
五歳未満から奴隷屋に売るか捨て、次に一〇から一五の成人を迎えた子どもを売る。年齢が上がるほど手元に残る金が増える。五歳未満は正式な子どもですらないため、奴隷屋にすら安値で買い叩かれる。
それでもどうしようもない場合は、妻や自身つまるところ家族を奉公人として出すしかなかった。
奴隷と奉公人には明確な差がある。
奉公人は現代の日本の江戸時代や、一三世紀のイスラムで見られた雇用体系の一つだ。
奉公人は奴隷と聞いてイメージしがちな大西洋奴隷貿易(アメリカの黒人奴隷など)の過酷な搾取とは大きく異なり、実質的に「住み込みの丁稚」や「家族の一員」に近い性質を持ってた。
更に平和が当たり前な現代人にとって驚きなのは、法律で奉公人の義務や衣食住の保証が課せられていたところだ。
当時のイスラム法において、奴隷の「所有権」と同時に主人側にも厳しい「扶養義務」や「道徳的制限」が課せられていた。
奴隷と聞いて鞭で叩くようなイメージがあるが、実際は奴隷を過度に酷使したり、虐待したりすることは法的に禁じられていた。
そして 教育をして価値を高める投資対象として、奴隷商人が学者の家で学ばせ賢く仕立てればより高値で売れると、育てられていた経緯すらある。
単なる肉体労働者ではなく、教養・高度な事務能力・芸術の才を持たせることで「高級な人材」として市場価値が上がるため、主人が進んで教育を施す【徒弟(奉公人)】のようなシステムが成立した。
そして社会的に出世や解放が約束されていた。奉公人でも有能ならば主人の代理人として商業を任されたり、重要な官僚・軍人に登用されたりして、一般の平民以上の権力や富を得ることも珍しくない。
いまのブールストリームは幾ばくか景気が回復したが、依然厳しいままである。
現在ストップ安からの立ち直しはできたが、既に入国した者達から他国への見えない導線は確かに存在し、毎年少なくない不法移民者が渡ってくるのが現実だ。
それならばなぜローレルはこの街へ移住したのか。引っ越すなら王都でも問題ない筈だ。
その理由は薬草である。“死の森”が近くにあるためか、近くの平原ですら採れる薬草の質が高く王都では取れない種類が多い。それが目当てだった。そのため移住までしてきたのだ。
ローレルは魔術師であり、薬師である。
薬師といっても幅広いが、主にポーション製薬に人生の大半を注いできた。魔術師としては並であるが、ポーション造りに限るのならば相当の自信がある。
しかしそれは甘かった。
ブールストリームでの冒険者活動は厳しく、この街で完全に自走したポーション売りをするには魔術師としての腕が、ハンターとしての腕が足りなかった。
勇み立って薬草採取目的に依頼を受けるも失敗。女としての尊厳は最後のところで死守できたが、違約金による出費だけでなく手持ちすら失った。達成可能な安依頼で食いつなぎながら、ポーションを作って売りたいものの材料のストックが底をつきた。
そして、その背景を見透かされたディーに、相場より二割ほど上乗せでボッタクられたのだ。王手一歩手前、チェック宣告され内心冷や汗が止まらない状態だ。
つまり、何が言いたいか。
「赤字ですうぅぅぅ」
ローレルはディーから受け取った薬草を思い浮かべる。
(あれでポーションを作るのに丸一日……あっ。その前の明日のゴハンのために以来受けないと、いや! その前に商会で届け出出さないと……。あれ、届け出って無料ですよねえ?)
視界が縦に、暗く狭ばっていくような不安を飲み込める。
この薬草でポーション売りとして成果が出ないと、ローレルの今後は暗い。
拳をキツく握りしめ、契約してる安宿に向かいあと数十分ほど歩く必要がある。
次のポーション販売が正念場だ。
ディーがライフワークへと着手するなか、ローレルはライスワークから抜け出せないでいた。
ここまでお読み頂きありがとうございます。
作中で出てきた「奉公人」のイメージが掴みにくい方は、絶賛アニメ放送中の「天幕のジャドゥーガル」をご覧頂ければ腑に落ちるかと思います。
作者のトマトスープさんの漫画はどれも面白く勉強になりますので、お子さんにもオススメです。
人生初執筆の本作ですが、少しでも面白いものに成るよう努めます。これからもよろしくお願い致します。




