その34・そこが気になる
タイキーは雨上がりの道をトボトボと歩いている。
結局のところイラシュから言質は取れず、酒が抜けるまで休んでから宿を出た。
ただ、彼の心の声で本心を知ることは出来たと思う。
それが事実かどうかは、また別の話である。
どうせその声はタイキーにしか聞こえないのだから、それを証明しようとしても、イラシュ本人が否定して終わるのだ。
館の近くまで来ると湖の傍の家からミリーリが出て来る。
「あら、キーくんじゃない。珍しいわね」
ミリーリの夫は湖の漁師たちを束ねる網元である。
まだ暗いうちから漁師たちはすでに湖に出ていた。
彼女は漁に出た夫や息子たちの様子を見に出て来たところだった。
「ばーば、だれー」
「ばーばのお友だちだよー」
足に引っ付いているのは長男の娘、三歳の孫である。
「久しぶり、チビさん」
以前はミリーリと一緒によく畑に来ていたが、最近はテクスの姿を見ると恥ずかしがって逃げてしまう。
かなりの人見知りの女の子なのだ。
「キーくん、とりあえず入りなさい。服を乾かさなきゃ」
「あー」
羽織っていたコートも役立たずな嵐だった。
魚の解体作業場に引っ張られる。
服を脱がされ、魚の乾燥用の火鉢の前に座らされた。
生臭い魚の匂いが漂っているが、タイキーは別に嫌いではない。
土の匂いも家畜の匂いも、皆、生きているものたちの命を感じる。
「あら、おはようございます、タイキーさん」
「おはよー」
作業場にミリーリの三人の息子の嫁たちが解体の準備のために入って来た。
「まあまあ、いい男が台無しだね」
笑いながら服を干したり、代わりの服やタオルを渡したりしてくる。
タイキーが漁師の妻たちと一緒に大きな窓から湖を眺めていると、やがて船が戻り、一気に騒がしくなった。
「おや、若旦那。珍しいっすな」
「お邪魔してるよ、網元」
ミリーリの夫はこの辺りのガキ大将だった。
皆、顔なじみの幼馴染だ。
「若旦那はもうやめてくれよ」
「ぎゃはは。そうだなー、嫁でももらったら変えまさあ」
「ふう」と息を吐く。
昨夜の記憶が鬱々と込み上げてくる。
何も考えたくなかった。
「ほら、キーくん、お迎えだよ」
小さな孫娘がミリーリのスカートの影に隠れた。
「何してるんですか、師匠!。心配しましたよ」
誰かが遣いを出したのか、館からテクスがやって来た。
「あははは。おはよう、テクス」
タイキーは笑って立ち上がる。
生乾きの服を受け取り、「またね」と孫娘に手を振って作業場から出た。
館に着いて通用口から入ると、すでに朝食が並んでいる。
何故か、ササラーナが台所兼食堂の小さなテーブルに座っていた。
「今日から我も朝はここで食べることにした。広い食堂に一人は勿体無いからな」
「はあ」
テクスとタイキーと、三人で食べることになった。
シューサ夫妻は今朝方、ニーシス老が送って行ったそうだ。
ルリナの母は朝からカザンの世話をしている。
タイキーたちの食事の後、ルリナ母娘はアスィリアと一緒に朝食を摂ることになっていた。
「タイキー、大丈夫か?」
顔色が悪いとササラーナが心配する。
「ああ、昨夜ちょっと飲み過ぎて」
館を抜け出して友人と飲んでいたと話す。
「今日はおとなしく寝てるから、テクスも休んでくれ」
そう言って、タイキーは自分の部屋へ向かう。
風呂の用意はおそらくニーシス老が済ませていたのだろう。
ありがたく入浴し、ベッドに倒れると目を閉じた。
どれくらい眠っていたのか。
タイキーが目を覚ますと辺りは暗くなっていた。
ベッドの傍にはササラーナが椅子にもたれてウトウトとしている。
起こさないように起き上がろうとしたが、体が怠くて動かない。
「お目覚めになられましたか。今、医師を呼んでまいります」
アスィリアの声がした。
「む。目が覚めたか、タイキー」
ササラーナも起きたようだ。
「はあ。どうして、ここに?」
何故、むさ苦しい中年男の部屋に女性がいるのか。
「あのな、タイキー。そなたは熱を出して丸一日眠っておったのだよ」
「えっ」
あれから昼にも夕食にも起きて来ないためテクスが様子を見に部屋に入ると、タイキーは高熱を出していたらしい。
カザンの医師が薬を飲ませ、昨日は一日中寝ていたそうで、今は二日目の夕方だという。
「師匠!」「おじさま!」
テクスとルリナが入って来て、気遣われ、怒られ、さらに心配されて、ようやく静かになった。
「ササラーナ様もありがとうございます」
「いや、我は婚約者だからな」
照れたようにそっぽを向く。
案外可愛い人だと、タイキーはほっこりした。
しかし、寝てばかりもいられない事情がある。
「王宮から一度顔を出してほしいと頼まれた」
ササラーナがため息を吐き、タイキーはアスィリアから封書を受け取る。
国王からの手紙で近日中に婚姻の話がしたいと書いてあった。
「そうだよなぁ」
避けて通れない問題である。
「分かりました。体調が戻り次第伺います」
「うむ。我から返事は出しておくから、もう休んでくれ」
ササラーナとアスィリアが部屋から出て行くと、テクスが戻って来た。
「お腹空いてると思って」
温めのスープと柔らかいパンを運んで来てくれた。
「ありがとう、助かるよ」
早く体調を戻さなくてはならないので、しっかり食べる。
タイキーは翌日には起き出した。
王都へ行くための準備をしながら先日の裁定の後の話を聞く。
「イラシュ殿なら雨が上がってすぐにトリトスに帰ったようだ」
忙しい人だな、とササラーナは笑う。
カザンの症状については定期的に知らせるようにと言われたそうだ。
タイキーについては何も言っていなかったという。
「そうですか」
ため息を吐くタイキーをササラーナが心配そうに見ている。
「タイキー、何かあったのか?」
「いえ、なにも」
ササラーナを気遣うように微笑む。
「ならば一つ、我からのお願いを聞いてもらいたい」
「はい」
「そろそろ、サーラと呼んでもらえないか」
彼女の頬が少し赤くなる。
「……承知しました。では、私、俺のことはキーと」
婚約者なので当たり前である。




