その33・酒の力を借りる
夜半になると雨は益々ひどくなり、稲妻まで轟き始めた。
二階の部屋ではシューサ夫妻がササラーナの話し相手をしている。
タイキーは酒は得意ではないので、ササラーナの相手は彼らに任せた。
祖父からは「酒のことならシューサに」と言われていたほど酒には詳しいらしい。
彼女とは話が合うだろう。
今夜はルリナ母娘ともに館に泊まってもらう予定だ。
一階では、雨で帰れなくなった医師とルリナ母娘が今後の治療について話し合っていた。
「良かったらここに住み込むといい」
後で知ったことだが、ササラーナはタイキーに相談もなく勝手にルリナの母を雇うことにしたらしい。
「カザンの世話をしたいと言っていたぞ」
あれだけ迷惑を掛けられたにも関わらず、彼女はカザンを憎んではいなかった。
そういう優しい女性だからこそ、カザンは離縁に承諾し、タイキーの祖父は知り合いに預けたのかもしれない。
タイキーはそっと南の通用口を開く。
「お出かけですか?」
ニーシス老が声を掛けてきた。
「後は頼む」
終活もほぼ終わっている。
必要な書類も、テクスの身の振り方の指示も、タイキーの執務室に保管されていた。
「お気をつけて」
深く腰を折るニーシス老に、タイキーはただニヤリと口元を歪めただけだった。
裾の長い雨避けのコート、深くフードを被り、暗闇の中を雨に打たれながら歩く。
時折り大音響と共に稲妻が走る。
明かりの役立たない夜道には、その光はありがたい。
人の気配のない街をタイキーはゆっくりと進んだ。
宿の離れに着くと客の馬車がまだあることを確認する。
雨風が強いせいか、外に見張りはいない。
タイキーは建物に入る前に、ずぶ濡れのコートを脱いだ。
水の染みたブーツは一度ひっくり返して溜まった水を捨てる。
それからゆっくり扉を開き、人の気配を避けながら目当ての部屋へ向かった。
部屋の前には見張りはいなかったが、中には必ずいる。
雨音でも聞こえる程度に扉を叩く。
タイキーは、少し開いた隙間に顔を見せ、酒瓶を持ち上げて微笑む。
大人が寝るにはまだ早い時間。
小さな明かりだけが点いた室内を伺う。
「ぜひ、祝杯をご一緒していただきたくて」
そう言うと、しばらくして「どうぞ」と招き入れられた。
「遅くにすみません、イラシュ様」
「なんの、タイキー殿。私も飲みたい気分でしたよ」
専属の使用人がタオルを渡してくれる。
グラスと肴が用意されるまで、雑談しながら水気を拭いた。
「お疲れのところ、押し掛けて申し訳ありません」
「いやいや。わざわざ来ていただき恐縮ですよ」
グラスを持ち上げて軽く乾杯する。
「早急にお願いしたいことがありまして、ササラーナ様のことなんですが」
タイキーはチラッと使用人たちを見る。
「お前たちは下がって良いぞ。タイキー殿は古い友人だ」
「はい」「しかし」
領主ともなれば護衛も優秀である。
渋々ながら主人に逆らわずに退室して行った。
「えっとですね。婚約といってもまだ承認されたわけではなくて。王宮からの公布が出るまで内密にしていただきたいのです」
「ははは。そういうことなら、勿論だよ」
「ありがとうございます」
タイキーはイラシュのグラスに酒を注ぐ。
「それだけではないのだろう?」
「ええ」
タイキーは自分のグラスの酒を一気に飲み干した。
飲めないわけではない。
タイキーの場合、髪を黒く染めていた頃、酒を飲むと『神眼』が異様に鋭くなるのを感じ、恐ろしくて人前では飲まないようになったのだ。
今は地である白い髪のまま。
この状態で酒を飲むことは、タイキーにとって賭けだった。
「本日の裁定はお見事でした。ただイラシュ様、私にはまだ疑問が残るんです」
「うむ、何かね?」
「カザンは子供の頃から私に対抗意識があって、とにかく何事にも張り合ってきました」
小さな明かりはユラユラとタイキーの顔を照らす。
「そうらしいな」
「でも、それには何か理由があったのではないかと」
イラシュは黙って先を促す。
「誰かが俺とカザンを対立させようとした。祖父がイガリスの領主を返上したのに、俺の代になったら元に戻すという話でも耳に入れたのでは、と」
「何故、そのようなことをする必要が?」
「誰かがイガリスを欲しがったのではないでしょうか」
豊富な観光資源があり、王都から近いため客は絶えない。
『騎士の恥』事件で祖父は領主は辞めたがイガリスの名主であり、住人からの信頼も厚い。
このまま恥の噂が消えた頃に息子が帰って来れば、また領主に選ばれる可能性がある。
「だから、父の居場所を探していた連中に教えた」
イラシュは顔を逸らした。
「私が分からないのは、誰が父を襲わせたかなのです」
イラシュは「さあ?」と首を横に振る。
「父は身を隠し放浪していた。居場所を知っていたのは援助していた貴方だけですよね?」
タイキーはじっとイラシュを見ていた。
狼狽えるイラシュの心の声がガンガンと頭痛のように頭に響く。
(私は悪いことなどしていない!。悪いのは駆け落ちしたお前の父親だ。そのせいでイガリスの領主を辞めたくせに手放さなかった爺さんのせいだ!)
(襲ったのは私ではない。『神眼』の力を失ったことを知り、男と赤子のせいだと恨んでいる者がいたんだ)
(あの女も、もっと早くに実家に帰っていれば力を失うことはなかった。『神眼の占い師』を待っていた人々はたくさんいたのだから)
イラシュが言葉として何一つ口から出さなくてもタイキーには全て聞こえてくる。
「カザンに投資を教えたのは貴方でしたね」
「頼まれてな」
故意か偶然か、カザンに勧めた投資先はことごとく失敗し借金を背負わせた。
(あの爺さんが優秀なタイキーを連れて来たから、カザンを使って一族の信用を落とさなければならなかったんだ)
イラシュは険しい顔をしながらも、一切声には出さない。
タイキーは、これまではイラシュ自身が何もしていないため行動を読めなかった。
祖父が信頼するイラシュを疑いの目で視ることもしなかった。
カザンを壊したのは自分かもしれない。




