第八話「さいきょうのまほう」
「森を攻略してやる」なんて、一丁前に宣言したものの……。
そのあと数分間、僕は壁にもたれたまま、何もせずにぼーっとしていた。全身が鉛みたいに重いし、両手は痛いし、喉もまだ乾いている。
さっき飲み込んだ魔石由来の熱だけが、身体の中心でじわじわと燻っていた。
「攻略宣言のあとに、いきなり省エネモードって……」
自分にツッコみながら、意識を内側に向ける。
さっき、掌に小さな炎を灯して、小石をふわっと浮かせたときの感覚。あれは確かに、自分の中を流れる“何か”を、特定の場所に集めて形にしたものだった。
魔力。
多分、名前はそれで合っている。
「まず、仕様確認からだな」
こういうとき、ゲーム脳は便利だ。新しいスキルを手に入れたら、まずは安全な場所で試す。暴発して死ぬのは、ヌーブのやることだ。
僕は浅く息を吸い込み、右手を胸の前に持ち上げた。握って、開いて、握って。腫れた甲がじんじん痛むのも、敢えて無視する。あのとき魔石を飲み込んだ瞬間に走った熱を、思い出すように追う。
胸の奥に、『魔力の炉』みたいなものがあると仮定する。
そこから熱が血管を通って全身を巡り、また中心に戻ってくる。循環。その流れの一部を、指先でひっかけ、掌へと引き寄せる。
――意識すると、確かに“流れ”が変わった。
光苔の淡い緑が照らす中で、僕の掌の周囲の空気だけが、わずかに歪んで見えた。暖かいものが、皮膚のすぐ下を走っている。血液由来ではない熱。
「薄く、細く、鋭く、効率的に」
魔力に話しかけるようにして、集めた熱を凝縮イメージを持つ。
線じゃなくて、点。
伸ばすんじゃなくて丸く燃やす。
前から僕は燃やす魔法である火球よりも熱の弾丸で貫く火弾のほうが効率的だと思っていた。
大きな火球を発生させて飛ばすのに比べて、小さいが鋭い熱線のほうが費用対効果が大きい。
僕みたいな効率主義者――にならざるを得ない状態にいる者なら、後者を目指すべきなのは必然。
そんなわけで魔法を自分の中で体系立てておくことにした。
「フレイム・極小弾」
次の瞬間、掌の上に、小さい火の点がすっと現れた。
それを僕の指先から五十センチほど先にある岩壁に打ち付ける。
「小さいけど穴が空いている……!」
思わず声が漏れる。
当然の如く、魔力の消費量も少ないのが肌で分かった。
――極小弾。
中二臭さと説明力のバランスが、ぎりぎり許せるラインだ。どうせ誰もツッコんでくれない世界なので、自分で満足しておく。
今度は左手を軽く握って、同じように力を集める。火傷の痕がズキズキするが、あえてそこから少し外れた位置――掌の中心に意識を集中させた。今度は、火じゃなくて、土だ。
さっき小石を浮かせたときのイメージを、少しだけ変形させる。
地面に広がる砂粒を、ざらざらと持ち上げ、別個に制御する。
「アース・支配統制」
自分で名付けながら、足元の砂塵にも魔力を流した。光苔の緑とは逆方向に、足元の陰が震える。砂粒が、わずかに波打つ。
続けて、意識を“分散”から“集中”に切り替える。延ばすのではなく、結集させる。
「出来た」
思うがままに大地を操ることはできているけれど――今はまだ、一握りの砂塵しか操れない。
たっぷり魔力をぶち込める才能型なら、「全部ドーン!」で済むんだろう。だけど、僕はどう考えてもそういうタイプじゃない。
だったら、有限資源の管理こそが生命線になる。ゲームでも、だいたいそういうタイプで生きてきた。
MP切れで全滅するケイタのパーティーを何度嘲笑ってきたか。
「とりあえず、温存型でいこう」
口元が緩む。ますます魔力操作へのモチベーションが高まった僕は、魔力を消費することのない『魔力操作』の修練を始める。
まずは掌から地面に向けて、蜘蛛の尻から射出される一本の糸みたいなイメージで魔力を広げる。
「おお、触覚が伸びた」
すると、足元の砂利に吸着し、微量ながらも持ち上げることができた。
――魔力は物理に干渉できる。
――魔力糸は知覚に作用する。
その事実によって閃いた発想を試すべく、僕はしばらく洞窟で作業を続けた。
◇
一通り魔法の開発を終えた僕は、減った魔力に配慮して瞑想を進めていた。
魔力が魔石を摂取しないと回復しない――という条件ではなく、時間をかけて再び再生するものであるという事実に遅れて気がついた時、僕は自分の迂闊さに絶望した。
もっと慎重になるべきだった――が、結果的に悪い方へ進んでいないから良い。
正当化していると魔力が復活。
30分ほどの瞑想で回復し切るというのはなかなかコスパがいいのかもしれない。
そして、次の作業に取り掛かることにした。
「ビフォーアフターが楽しみだ」
この洞窟をホームベースにする、と決めた以上、まずは“縄張り”を整えなければならない。現代的に言うなら、インフラ整備。原始的に言うなら、巣作り。
「まず、ここが拠点」
ゴブリンと死闘を繰り広げた一角は、正直あまり居心地は良くない。血の跡と、吐いた痕がそのまま残っている。それでも、光苔の密度が高く、洞窟内では比較的明るい場所だった。
壁際に、木の実と“安全圏キノコ”を並べておく。
『一度麻痺状態にするがその後感覚が鋭敏になるキノコ』――名付けて『鋭鈍茸』で痛い目を見たぶん、食べられるやつとダメなやつの見分けには注意を払うようになった。
色だけで判断せず、主にリスが食べていたものを基準にし、少量を試して時間を置いて経過を見る。
「食べて良い木の実、赤い果実。ちょっと渋いけどOKの紫の実。キノコシリーズは……今のところ、鋭鈍と苦キノコだけ」
自分なりの分類名をつけながら、洞窟の壁に小さな傷をつけて記録代わりにした。石のかけらで「〇」「△」「×」を刻む。原始時代のエクセルだ。
そして僕は『絶対に死なないためのルール』なんてものも作っていた。
一つ、正体不明のキノコは絶対に一気食いしない。
一つ、フェンリル圏内には不用意に近づかない。
一つ、魔力残量が三割を切ったら絶対に戦闘しない。逃げに徹する。
一つ、選択に迷ったときは“安全側”に寄せる。
ルールを口に出すことで、意識のどこかに貼りつける。
守るべきものをはっきりさせておくと、不意打ちを食らったときの行動選択が早くなる。ゲームでも、勉強でも、大体そうだった。
拠点から少し離れた通路に目を向ける。
あそこに、仕掛けを作りたい。
「落とし穴……まではいかないけど、足場崩しとか」
アース・支配統制の出番だ。
僕は通路の中央あたりにしゃがみ込み、両手を床に当てた。左手の火傷と右手の打撲が抗議してくるが、無視する。魔力を、足元の土と石に流し込む。
砂粒がざわざわと震え、石と石の間の隙間が微妙に広がる。
ちょうどいい場所だけ、内部を少しだけ空洞化させるイメージ。表面はそのままに、中だけくり抜く。
「……っ」
額にじわっと汗が滲む。
ナノ単位で精密加工しているわけでもないのに、魔力の消費がエグい。「さっきのゴブリン戦より、むしろこっちのほうが消耗しているのでは?」と言いたくなる。
それでも、何度かに分けて魔力を注ぎ込み、休み休み、また掘る。減ったら瞑想して、増えたら使って。また瞑想して、大地を動かし――寒くなれば火を灯して、熟練度を稼いでいった。
四時間か五時間か、それ以上なのか。洞窟の中では時間の感覚が曖昧だ。ただ、何度も立ちくらみを起こしては壁際に座り込み、赤い実の甘い汁を舐めて糖分を補充し、それでまた掘削を続けた。
「あれ……?」
栄養の欠如のせいなのか、それとも別の理由なのか。
とにもかくにも瞑想の効果が低くなっていることに気がつく。僕は原因を究明するため、まずはじめに自分の『魔力の炉』を俯瞰してみた。
力がやや強まっている――気がした。
「魔力が増えた……?」
訓練で魔力を伸ばす。魔石を得て成長するだけでなく、『魔力の炉』は伸びる性質がある。筋肉と同じように――?
啓示を得た僕はそこから寝ずに作業を進めて熟練度稼ぎに精を出した。
やがて、通路のその部分の床が、ほんの少しだけ柔らかくなった。足で軽く踏むと、表面がわずかに沈む。これなら、重量のある何かが乗れば、支えきれずに抜けるだろう。
「落ちた矢先に火弾を打ち込めば」
極小弾では致命傷、とまではいかないかもしれない。でも、侵入者の動きを一瞬止められれば、それでいい。その一瞬で逃げるなり、距離を取るなり、選択肢が増える。
魔力はすっからかんに近かった。しかし二十回ほどの魔力枯渇を経て、僕の魔力容量は格段に向上していた。現に極小の炎弾すら五発しか打てなかった僕が、二十発は打てるほどに拡張されている。
そしてさっきより精度が上がった気がする。特に土属性に比重を置いて練習したおかげか、大地をただ持ち上げるだけじゃなく、構造をいじって形を変えるような細かい作業が実行可能となっていた。
「もう少し凝ってみるか」
◇
気がつけば朝になっていた。
ある程度、洞窟の中に“自分の領域”ができてくると、心の余裕がほんの僅かに戻ってきた。
光苔の位置。通路の分岐。天井の低い場所、高い場所。
ゴブリンに襲われた一角も、今では“過去に危険だった場所”というラベル付きで記憶の地図に組み込まれている。
「次は……索敵だな」
僕は昨夜から今朝にかけて磨いた技の筆頭となる魔力操作の技名を叫ぶ。
「『網膜』」
魔物を狩るにしても、フェンリルを避けるにしても、“どこに何がいるのか”が分からないのは致命的だ。
僕は目を閉じ、洞窟の中心付近に立った。
右手を前に出し、今度は“形を作らない”魔力の使い方を試す。
「広げる」
線にするのでもなく、面にするのでもなく。
ただ、自分を中心にして、魔力を薄く、細く、全方向に、外側に、伸ばす。
水面に小石を落としたときの波紋。
それを、逆向きにイメージする。自分が石で、そこから波紋が広がっていく。
胸の奥の熱を、少しだけ削って、周囲の空間に溶かすイメージで散らす。
すると、何もなかったはずの空気の中に、ごく薄い膜が生まれた感覚があった。
見えはしない。音もしない。匂いもない。
ただ、“増えた”と分かる。
世界の情報量が、微妙に上がった。
「洞窟内に何かいる……」
存在の正体を探るように、意識を広げた先へ向ける。
洞窟の壁に触れたところでは、魔力の波がすぐに返ってくる。
穴の開いたところや、通路の続く方向では、返ってくるまでにわずかなタイムラグがある。空間の形が、輪郭だけ浮かび上がる。
さらに、その“波”に引っかかる異物があると――そこだけ、感触が違った。
拠点から少し離れた暗がりのほうに、ぬるっとした塊が一つ。おそらくは、小型のスライム的な何かが床を這っているのだと分かった。
別の方向には、天井付近に、小さな影がぶら下がっている。蝙蝠の群れだろう。
目を開けてみる。
当たり前だが、光苔と岩と闇しか見えない。スライムも蝙蝠も、視覚にはほとんど映らない位置や暗さだ。
けれど、さっき広げた魔力の膜を意識すると、“いる”と分かる。
「慣れないと気持ち悪い」
鳥肌が立った。
ゾッとするほうじゃなくて、背筋が冷たくなるほどの興奮で。
もう一度目を閉じて、同じことを試す。今度は、もう少し範囲を広げてみる。
波紋は、洞窟の外れまで届いた。
岩の折れ曲がり方や、通路の分岐までが、ぼんやりと脳裏に地図のように浮かび上がる。
その地図の片隅に、一瞬だけ、ざらりとした感触が走った。
重くて、荒くて、硬い。
さっき感じたスライムや蝙蝠とは、明らかに違う“圧”がある。
距離はある。でも、同じ森のどこか。
「フェンリルだ……」
声に出してみて、ぞくりとする。魔力の波に触れた“何か”が、こっちを見た気がしたのだ。慌てて魔力の膜を引っ込める。胸の奥で、熱が一瞬だけ乱れ、すぐに元の循環に戻った
「魔力を逆探知されたらバレるのか……?」
索敵はできる。
ただし、対象もこちらの存在に気づきうる。強い魔物ほど、その“返ってくる圧”が強くて、反応も鋭い。
それでも――これは、使える。
視界に頼らなくても、敵と地形をぼんやり掴める能力。
味方が増えたときには、これで位置を把握して連携を取ることができるかもしれない。
……そこまで想像して、ふっと笑いが漏れた。
味方。パーティ。
そんな存在が、この世界でちゃんと手に入るのかどうかも分からないのに、もうそこまで考えている自分が、少しだけ滑稽だった。
「いや」
白い少女との誓いを守るために。帰れるかはわからないけど、母の元へ戻るために。
そして、ここから先の森を、本気で“攻略”するために。
地図も、レーダーも、全部、自分で用意するしかない。
光苔が照らす洞窟の天井を見上げながら、僕は掌をぎゅっと握った。




