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第七話「I wanna eat the stone of goblin 」

 日が暮れてきた。


 洞窟の空気は、外の森とはまるで別物だった。


 ひやりと肌を撫でる冷たさと、わずかに湿った匂い。鼻の奥に、石と土と苔の成分表でも叩き込まれているみたいに、情報だけがべったり貼りつく。


 入口から少し離れただけで、外の光はほとんど届かなくなっていた。代わりに、壁のあちこちで薄く光る苔が、ぼんやりとした緑の明かりを放っている。暗闇と呼ぶには優しすぎるけど、安心できるほど明るくもない、中途半端な薄暗さだ。


「ダンジョンの雰囲気は満点だけど……はぁ…」


 自分で言って、自分でため息を吐く。ダンジョンは本来、攻略する側でいたいのであって、避難所として使うものじゃない。


 それでも、背後にはさっきのフェンリルがいる。少なくとも、まだこの森にいるのは間違いがない。


 あれに比べれば、洞窟の中の未知のほうが、まだマシ……だと、思いたかった。


 壁際に腰を下ろし、例の拾ってきた赤い実たちを手のひらに転がす。さっきのリスが食べていたものと同じ種類だ。少なくとも、即死毒ではない。


「……いける、はず」


 ひとくち齧る。甘みは控えめだけど、散々走り回って減った満腹度が甘さのレベルを十倍増しにしてくれる。喉を通る感覚に、さっきまでの恐怖が少しだけ上書きされそうになる。


 横には、キノコもある。洞窟の入口近くで見つけた、白っぽい傘に茶色い斑点のあるやつ。これも、さっきウリ坊がむしゃむしゃ食べているのを遠目に確認してから採ってきた。


「猪が食べてたなら、まあ、人間も……たぶん……」


 理屈としては雑だけど、今の僕が持っている情報はそれだけだ。ゲームの攻略wikiもなければ、現地民の講義もない。ラベルも、栄養成分表示も、優しいおばあちゃんの知恵袋もない。あるのは、己の観察と、たまたま視界に入った獣だけ。


「……地球の常識は、一応、参考程度に」


 僕はキノコをひとつちぎって、舌の上に乗せた。独特の土っぽい匂いと、かすかな苦味。それでも、腹が軽く満たされていく感覚は、さっきの木の実よりも強かった。


 おかしいのは、そのあとだ。


 喉を通ってから、ほんの数十秒も経っていないのに、体の芯がじわじわと重くなっていく。


「……ん?」


 指先の感覚が、少し遠くなる。足先も、じわっと冷たいものに包まれたような、他人の脚みたいな違和感が出てくる。


「まさか、今の……」


 キノコのほうに目をやる。さっきまで「猪が食べてたから大丈夫」と言い聞かせていたやつだ。改めて見ると、傘の縁がわずかに光っているようにも見える。


 いや、光る苔の反射かもしれないけど、どっちにしろ毒キノコっぽさは増していた。


「消化器官の、ち、がい……なめてた……」


 冗談っぽく言おうとして、うまく口が回らない。舌まで重くなっている。心臓の鼓動は変わらないのに、体の外側だけがゆっくりスローモーションになっていくみたいだ。


 立ち上がろうとした。立てなかった。


「やば……」


 片膝をつこうとして、そのまま崩れる。肩が岩肌にぶつかり、鈍い痛みが走る――はずなのに、痛みの輪郭がぼやけている。目の焦点が合わない。光苔のぼんやりした緑色が、視界の中でぐにゃりと歪む。


「あー……これは、普通に……」


 毒か麻痺か、どっちにしろ良くないことだけはわかる。


 右手をつこうとして、フェンリルに殴られた甲の痛みが、ようやく遅れて襲ってきた。


 じん、とした痺れが、かえって「まだ感覚がある」と教えてくれる。それで安心してしまいそうになる自分がいるのもまた、どうかしている。


 すると、視界の端で、光苔の緑とは別の色がにじんだ。


 赤、朱、緋、紅。


 赫い眼光の群れが。


 最初は、気のせいだと思った。


 けれど、暗闇にじわじわと滲むように、点が増えていく。二つ、四つ、五つ――いや、視界が霞んでよくわからない。


 僕は、床に転がったまま、どうにか首だけを動かした。


「うそだろ」


 赤い光は、本当に目だった。


 僕をぐるりと囲む、小さな影。背丈は小学生くらいなのに、体のバランスは明らかに人間から外れている。


 曲がった足、長い腕、尖った耳。ぼろ切れみたいな布を身体に巻き付け、錆びた短剣や棍棒みたいなものを握っている。


 そして、その中心に一匹、他よりも少し背の高い個体がいた。肩から骨で作ったようなペンダントを下げ、ねじ曲がった杖を持っている。杖の先で、赤い光がぼうっと灯っていた。


「ゴブリン、かよ……」


 言葉にして、ぞわりと背骨を何かが撫でていった気がした。


 ゲームでは見慣れた雑魚モンスター。けれど、現実のスケールで目の前に並べられると、話が違う。牙の生えた口元は獣のように歪んでいて、目には知性とは別種の、粘ついた悪意みたいなものが宿っている。


 僕の右足に、縄のようなものが食い込んだ。いつの間にか、足元にいたゴブリンが手際よく縛っていたらしい。


 弱々しい縄であるはずなのに麻痺のせいで、ほとんど抵抗できなかった自分に、後からじわじわと恐怖が増してくる。


「待った……話し合いとか、交渉とか……」


 かすれ声で訴えたところで、通じる相手じゃないのは、見れば分かった。魔術師(ソーサラー)のような個体が、僕を一瞥する。その視線には、「殺す前に少し遊んでやるか」という種類の、陰湿な楽しみが混じっている。


 杖の先に灯っていた赤い光が、ぐっと収束した。


「っ――」


 直後、空気が弾けた。


 透明な弾丸が、僕の頬のすぐ横をかすめて背後の岩盤に突き刺さる。岩がえぐれ、粉々になって飛び散る。耳の奥でキーンという音が鳴った。続けざまに、二発、三発。空気の塊みたいな何かが、見えない弾幕になって飛んでくる。


 そのうち一発が、左肩に直撃した。


「ぐっ……!」


 痺れているはずの体に、くっきりとした痛みが浮かび上がる。骨まで震えるような衝撃に、視界が一瞬真っ白になった。縄で固定されていた体が、床の上を転がる。


 その痛みが起爆剤になったのか、今度は感覚が鋭敏になった気がした。


 冴え渡るは目、醜悪な顔。触覚、痛み。匂い、腐臭

 ――耳!


 魔術師(ソーサラー)が、今度は別の詠唱を始めた。耳慣れない言葉。喉の奥で擦り合わせるような、湿った音が連なる。そのたびに、杖の先の赤い光がオレンジに変わっていく。


 嫌な予感が、脳みその奥を走った。


「おいおいおい、ちょ、ちょっと待っ――!」


 言い終わる前に、杖の先から火の塊が放たれた。


 弾丸というよりは、燃えさしをそのまま投げつけられたような、粗い塊。それが、僕の左手の甲をかすめて床にぶつかる。瞬間、皮膚が焦げる匂いと、鋭い痛みが脳まで突き抜けた。


「あああああっ……!」


 甲のあたりの皮膚が真っ赤になり、一部は白くふやけている。右手は土塊の打撃で腫れていて、左手は今度は火傷。両手がほぼ戦力外になっていく現実に、笑う余裕なんてなかった。


 ゴブリン達は、ケタケタと笑っていた。甲高い、耳障りな笑い声。目の前の人間が苦しむさまを、娯楽として消費している。



 ――()()()()



 ようやく、その事実が、言葉として自分の中に落ちてきた。


 麻痺していた脚に、少しずつ感覚が戻ってくる。戻ると同時に、痛みも増す。


 キノコの効能か、今度は感覚が鋭くなる。


 お陰で動く。縄で縛られていた足首を、地面に擦りつけるようにして少しずつ位置を変え振り解く。


 ゴブリン達の視線は、今は魔術師(ソーサラー)のほうに集中している。


 今撃たれた火の魔法が、もし胴体に直撃していたら、僕はもう喋れていなかっただろう。次は、外さないかもしれない。


 ――ならばどうする。


「……やるしか、ない?」


 僕にそんな気概はない。


 逃げて、逃げて、逃げ回る。


 僕に残された選択肢は一つしかなかった。


 ――逃げろッ!


 決心の瞬間、ゴブリン達がわっとざわめき、棍棒や短剣を持って迫る。魔術師(ソーサラー)も、杖を鳴らしながらついてきているのが足音でわかった。


『遊びは終わった』


 暗にそう示していると、僕はそう解釈した。


 逃げた先――洞窟の奥は、思っていた以上に入り組んでいた。


 左右に枝分かれし、天井の高さもまちまちだ。光苔の明かりが少ない場所は、ほとんど真っ暗に近い。石の床は滑りやすく、何度も足を取られそうになる。


「行き止まりじゃないよな……」


 祈るように呟いた直後、最悪のタイミングで、それは現れた。目の前の通路が、唐突に途切れた。それ以上先は、完全な岩壁だった。ひび一つない、きれいな行き止まり。


「……あ」


 思考が、一瞬だけ固まる。すぐ背後から、ゴブリン達の足音が響いてきた。振り返ると、光苔の淡い緑色の中に、にやついた顔がいくつも並んでいる。


 分かりきったことだった。少し考えれば逃げ場なんてないとわかる。


 だってここはこいつらのテリトリーだから。


 微かな希望に縋って洞窟の奥まで来て――。


「ギィギィギギギギィ!!」


 光苔が、罪深いくらいに役に立っていた。あの緑の光がなければ、彼らの表情は暗闇に溶けて見えなかっただろう。見えなければよかったと、心の底から思う。


 黄色く濁った眼。歯の隙間に肉片を詰め込んだままの口元。ほお骨が突き出た、栄養状態の悪い頭蓋骨。人間のようでいて、人間からは決定的に外れている顔。それが、一様に『これから楽しみだ』と言っている。


「ここで、死ぬのか」


 口からこぼれた言葉は、驚くほど静かだった。


 生まれてから、これまでの十七年間。何度か「死にたい」とか、「消えたい」とか、軽く考えたことはあった。だけど、それはどこか安全圏から眺める「死」のイメージであって、いざ現物を目の前に突きつけられると、話はまったく違う。


『ヒタキ』


 母の顔が浮かんだ。

 病室で、いつもより少しだけ疲れた笑顔をしていたあの顔が。


『ヒタキくん』


 潮が笑って、僕の弁当を「美味しい」と言ってくれたときの顔も。


『おい、”主人公”!』


 相澤が呆れながらも、ゲームの話に付き合ってくれたときの顔も。


 ――全部、思い出にされて、終わるのか。


 心臓が、どくん、と一度だけ強く脈打った。


「嫌だな」


 思考より先に、言葉が出た。


 このまま、ただ殴られて、切り刻まれて、食われて終わるのは絶対に嫌だ。母より先に死ぬのも嫌だし、「何もできなかった奴」で完結するのも嫌だ。


「嫌だ」


 薄暗い洞窟の天井を見上げる。光苔が、かすかに瞬いた気がした。


 足元には、砕けた岩の破片がいくつも転がっている。さっき僕が避けた魔術師(ソーサラー)の魔力弾が壁を抉ったときに飛び散ったものだろう。そのうちのひとつ、手のひら大の尖った岩片に、視線が吸い寄せられた。


 右手は腫れている。左手は火傷でまともに握れない。それでも――挟むようにすれば、持てる。


「僕は……」


 ゴブリン達が、じりじりと間合いを詰めてくる。棍棒を振り上げているやつ。舌なめずりをしているやつ。魔術師(ソーサラー)が、また杖の先に光を溜め始めている。


「――僕はまだ死にたくないんだ!!」


 叫びと同時に、僕は前に踏み出した。


 迫ってくる棍棒を、ぎりぎりで頭を低くして避ける。反射神経というより、ほとんど勘だった。すれ違いざまに、両手で挟んだ岩片を、全力で相手の首元に叩きつける。


 ぐしゃり、と何かが潰れる音と同時に、ゴブリンの体表にひび割れのような光が走った。次の瞬間、その体はポリゴンが崩れるみたいに角張った欠片へと砕け、細かな光の粒子となって霧散する。さっきまで腕に触れていたはずの体温ごと、跡形もなく消え失せた。


「っ……!」


 吐き気が込み上げた。初見のゲーム的な演出も、今やそそらない。止まっている暇はないのだから。


 二匹目が短剣を突き出してくる。半身をひねってかわし、そのまま肩に岩を叩き込む。骨が折れる感触が、岩を通じて手に伝わった――かと思った次の瞬間、そのゴブリンもまた輪郭からざらつき始め、バグったポリゴンモデルみたいに形を崩し、きらきらとした破片と粒子の煙になって空中に溶けていく。


 三匹目が、背後から飛びついてきた。咄嗟にしゃがみ込み、その勢いを利用して前に投げ飛ばす。


「この……!」


 地面に叩きつけられたその頭に、上から岩を振り下ろした。二度、三度。音がしなくなるまで。そしてやはり、砕けた体は血肉ではなく、光とポリゴンの屑になって霧のように散った。


 四匹目と五匹目は、ほとんど勢いだけだった。


 喉元を狙う余裕はなく、顔面、こめかみ、目のあたり、届くところに何度も何度も叩きつけた。血が、光苔の緑の光を反射して、いやに鮮やかに見えた。だが、限界を超えた瞬間、彼らの輪郭は一斉に崩れ、ピクセルの塊を撒き散らすみたいに洞窟の空間へと飛び散って消える。


「なんだ、弱いじゃないか……」


 魔術師(ソーサラー)が杖を構えるより早く、その胸ぐらを掴んで岩ごと押し倒す。杖の先に溜まっていた光が暴発し、天井に小さな火花を散らした。


 転がった魔術師(ソーサラー)の顔面に、ためらいなく岩を落とす。数度叩きつけた後、魔術師(ソーサラー)の身体も他と同じようにポリゴンの山に砕け、光の粒となって霧散した。


 ひとつ、ふたつ、数えるのを途中で忘れるくらいには叩いた。最後には、もう何も残っていなかった。


 気づいたときには、洞窟の中は静まり返っていた。


 僕の荒い息と、どこからか聞こえる滴りの音だけが、空間を満たしている。手の中から、岩片が滑り落ちた。指先が震えて、まともに力が入らない。


「っ……う、え……」


 堪えきれず、胃の中のものを吐いた。さっき食べた木の実とキノコが、酸っぱい液体と一緒に床に広がる。鼻に戻ってきた胃液の匂いと、血の匂いが混ざって、さらに吐き気を呼ぶ。


「……うぅ……」


 膝を抱えて、小さく震える。右手も左手も、痛みと震えでぐちゃぐちゃだ。掌には、さっきまで握っていた岩片の感触が、まだ残っている。硬さと、滑り具合と、ぬめり。


 さっきまで、生きていたものを壊した感触。



 ――殺した。



 ゲームの中で何百何千とやってきた行為が、現実で、初めて、現実のスケールで、僕の手を汚した。


「……っ、は……」


 声にならない声が漏れる。泣いているのか笑っているのか、自分でもよく分からない。涙は出ていないのに、胸のあたりがひどく痛かった。


 それでも――生きている。


 さっきまでゴブリン達がいた場所には、死体の代わりに、きらめく細かな粒子の残滓と、ところどころにはじけ飛んだ血の跡だけが残っていた。


 壁にもたれ掛かりながら、荒い息を整えた。しばらくして、ようやく、周囲を見る余裕が生まれる。


 足元には、ゴブリン達の『持ち物(ドロップアイテム)』が散らばっていた。錆びた短剣、棍棒、骨のアクセサリー、ボロ布。どれも別段、欲しくなるような代物じゃない。


 その中に、ひとつだけ、異質なものがあった。


「……何、これ」


 床の上で、ビー玉くらいの大きさの何かが、ほんのりと光っていた。光苔の緑とは違う、淡い青白い光。手を伸ばし、指先でつまみ上げる。


 固い。けれど、完全な鉱石とも違う、どこか有機質な感触。中に、濃淡の違う層が幾重にも重なっている。飴玉、という単語が自然に浮かんだ。


 妙なことに――美味しそうに見えた。


「……は?」


 自分の感想に、自分でツッコむ。


 さっきまで胃の中身をぶちまけていた人間の感想じゃない。けれど、確かにそう見えた。飢えとは別のところで、「これを取り込め」と本能が囁いているような感覚がある。


 視線を動かす。


 魔石を拾い上げた位置の真下、床の岩肌には、さっきまでゴブリンの胸があったあたりをなぞるように、うっすらと黒い焦げ跡が残っていた。


 さっきまで、そこにあったものが抜け落ちた痕。


「……もしかして、これが、心臓……的な?」


 心臓なのか、魂なのか、魔力の核なのかは分からない。ただ、なんとなくそういう「命の中枢」が凝縮されたものだという直感があった。


 魔物が稀に――今回ならば、五匹に一つ――落とす魔石。

 それを摂取したり、魔力を吸収することで強くなる世界。


 そんな設定を持ったゲームを、僕は何本もプレイしてきた。


「いやいや、さすがにね……」


 口で否定しながら、手はその石を持ち上げていた。


 食べ物ではないのに、ヨダレが垂れる。さっきまで胃の中のものを全部出したはずなのに、体の奥がこの石を欲しがっている。空腹とは違う――もっと直接的な欲求。


「……試す価値は、あるのか」


 ここで死んだら、それまでだ。


 だったら、少しでも生き残る確率を上げたい。


「やるしか、ないか」


 自分に言い聞かせるように呟いてから、僕は魔石を口に含んだ。


 硬い感触を想像していたのに、歯を立てた瞬間、意外なほどあっさりと砕けた。味は……うまく表現できない。甘いような、しょっぱいような、金属の味のような、そもそも味覚というよりは、電流が舌から脳に直撃する感じに近い。


 飲み込んだ瞬間、胃のあたりが熱くなった。


「っ……!」


 熱はすぐに全身へと広がっていく。血管の一本一本を、熱い液体が駆け抜けていく感覚。


 心臓が、さっきよりも少しだけ強く脈打つ。頭の中で、ぼんやりしていた霧が晴れていく。


 特に、胸の奥と、両手のあたり。


 右手の腫れも、左手の火傷も、痛みそのものは消えていない。でも、その奥に、別種の感覚が差し込んできた。そこに、何かが流れている。


 浮かぶイメージは『炎』と『大地』だった。火を吹く山の雄大さと暴虐性が頭に過ぎる。


「これって……」


 試しに、左手のひらを、目の前に掲げてみる。深呼吸をひとつ挟み、さっきから胸の中を巡っている熱を、意識して掌に集めようとした。


 集中する。


 ゲームでスキルボタンを押すなんて白けるもんじゃない。


 己の身に宿る力の奔流。


 捩れ。

 逆らい。

 暴れ。

 乱れる。


 混沌の力をひとつひとつ丁寧に征圧していく。荒れるエネルギーは心の揺らぎと連動するのか、波を平くしていくと自然と僕も落ち着きを取り戻していた。


 いわゆる瞑想。

 力と向き合い、制御する。


 集中して、集中して、集中する。


 考えるのは得意だった。自分を俯瞰するのも得意だった。どうしようもなく疲れた時に瞑想をやってみたことがある。その経験が生きたのか、然程苦労せずに――コツを掴んだ。


 ほんの数秒のあと掌の上に、ぼうっと小さな灯が灯った。


「火の魔法。魔術師の使っていた凶暴性はないけど――」


 ――それでも、魔法を扱えるようになった。


 ろうそくの火よりも小さい。ライターの火花が、勢いよく出たときくらいの大きさ。それでも、間違いなく、本物の炎だ。ゆらゆらと赤い舌を揺らし、掌をくすぐるように熱を伝えてくる。


 打撲した右手のほうに意識を向けると、そっちでも同じように熱が集まりかけた。火は危なそうだったので、今度は別のイメージを試す。


「土も」


 足元の小石に意識を向ける。熱を、下に、下に流し込むイメージ。地面ごと掴んで持ち上げる感覚。


 すると、足元の小さな小石が、ぴくりと震えた。


 ほんの数センチだけ、ふわりと浮き上がって、すぐに落ちる。


「だよね」


 笑いが漏れた。


 火も土も、出力としてはしょぼい。これでゴブリンを倒せる気はまるでしない。それでも、何もなかったさっきまでと比べたら、天地の差だ。


 物理的に殴る以外の選択肢が、生まれた。負傷した両手を補完できるのではなかろうか。


「魔力、だよな……これ」


 さっき飲み込んだ魔石の感触と、今体の中を巡っている熱が、同じ系統のものだと直感する。魔物が持っていた魔力の核を取り込んで、自分の中の「何か」を底上げする。


 ――経験値を得て、レベルアップする。


 数値もエフェクトも、レベルアップのファンファーレも鳴らない。けれど、体は確かにさっきよりも“マシ”になっている。


「強くなったんだ」


 思わず、口に出していた。


 フェンリルから逃げて、ゴブリンに捕まって、恐怖で足がすくんで、どうにか殺して、それでも生き残った。その結果として、手に入った力。


 ゲームだったら、チュートリアルの終わりに流れる一連のイベントシーンみたいな流れだ。


「だったら――」


 壁にもたれかかったまま、僕は天井を見上げる。光苔が、またかすかに瞬いた気がした。


「ここを、僕のチュートリアルにしてやる」


 魔物を狩る。魔石を集める。食うか、吸うかして、魔力に変える。火と土の魔法を鍛える。乱獲と検証の日々。


 倫理観がどうとか、人間性がどうとか、今は言っていられない。


「生きるために殺す」


 そう決めるしかない世界なら――このルールに、全力で乗っかるしかない。


 僕は、まだ震えの残る両手を、ゆっくりと握りしめた。


「森を攻略してやる――」


 幼き頃に捨てたゲーマー魂が息を吹き返した。

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