脱獄②
トンが獄を破る一時間ほど前。
シルビアは自分に協力してくれる≪リ・セイバー≫たちと共に城塞都市マミルダの壁の外側に待機していた。
城壁正面では、既にカムラン軍・真教連の指示で動く≪リ・セイバー≫たちの連合軍がディムガルド軍と戦っていた。
シルビアは後ろを振り返り、自分に付き従う剣士たちの顔を確認する。
その中に、彼女の窮地を救った序列一位の顔は無かった。
実質今この場にいる≪リ・セイバー≫たちはエリザベスの一声で動いているようなものなので、彼女の不在を不安視する者の声が聞こえる。
「おい、序列一位はどこにいるんだ?」
「その、もう着くんじゃないかなって思うんですけど」
「なんだそりゃ、本当に来るんか?序列一位の力なしで、これ成功するのかよ」
そう言われると、シルビアも心なしか不安になる。
何より不安なのは、序列一位の不在で自分について来てくれた剣士たちが離反しないかということだった。
「あんたらは序列一位の犬か」
「何?」
不平を言う剣士の一人を、別の剣士がなじる。
なじった剣士はまだ若く、髪は茶色く、肌は浅黒いが、精悍な顔をしていた。
「なんだとてめえ、もう一遍言ってみろ!」
なじられた方が自分を侮蔑した若い剣士に躍りかかる。
それを若い茶髪の剣士は、抜かずに柄の一撃で水月 (みぞおち)を穿ち、襲い掛かって来た方を地面に転ばせた。
「そんな陳腐なセリフしか吐けないようじゃ、腕の方もたかが……知れてたな」
茶髪の剣士は地面に転がる方を一瞥したのち、シルビアに視線を向けてこう言った。
「俺はこの子について行く。何があってもこの子の願いをかなえてやる。誰がついてるとか関係ないさ。あんたらもその覚悟でここに来たんだろ?」
言いたいことを言い切ると、茶髪の剣士はマミルダ城の潜入ルートに向かってひとりでに歩き出す。
茶髪の剣士の言うことに、他の≪リ・セイバー≫たちも決意を固めて、続いてくれた。
「あの!」
シルビアは名も知らぬ茶髪の剣士の行く手になって呼びかけた。
「ありがとうございました!」
背を丸めてお礼を言う。
「俺の名はクレオ。あんたに魂を救われた男だ」
急に男は、そんなことを言い出した。
「俺は金のためにリ・セイバーになった……金のために人を斬って来た」
「だからあんたみたいなのが珍しくて、羨ましくなったんだ。誰かのために無私になって、命賭けられるあんたを。……だから協力したくなった」
そう言って先を歩くクレオの背中を、シルビアは頼もしく思ったのだった。
シルビア率いるトン救出隊の先陣を切るクレオは、背後から感じた急な殺気に振り向いて罰剣した。
振り向きざまの一撃は、背中を狙ってきた襲撃者を一刀のもとに斬り伏せることに成功した。そして血煙の立つ向こうで、彼はシルビアが昏倒し、無体な男に刃物を突きつけられている様子を目撃した。
瞠目し、一瞬の虚ができた瞬間を背後からの鈍い衝撃に襲われて、クレオの意識は深い黒の中に落とされた。
◇◇
「彼女だ……彼女こそがトンへの切り札となる…………我々は、女神を手に入れたのだ」
ゼキムは余裕の表情を崩さなかった。
床には、シルビアと彼女に付き従った≪リ・セイバー≫の幾人かがいた。
シルビアには、ずっとゼキムの監視が付いていた。
具体的には、ゼキムが彼女とトンのつながりを見出してから。
トンを救うべく集まった≪リ・セイバー≫の集団をハナから信用しきっているシルビアに、その中に刺客を潜り込ませ不意打ちで昏倒させるなど造作もないことだった。
シルビアの身を護る能力であるはずの『鍵』の力は、あまりに咄嗟の不意打ちに対応できなかったと見える。
すべてが、首尾よくいった。
「ゼキム大佐、トン・ビロードビレッジの姿を城内で確認しました。現在三個小隊が追跡中です。間もなく捕らえられるでしょう」
副官が状況を伝える。
「私も出よう。今こそベルグハンマーを奪われているとはいえ、ないならないで奴はどんな手でこの状況を切り抜けてくるか分からん男だ。それに対し……この女神がどれほどトンの心を動かすか、見物だな」
ゼキムは、シルビアの身柄を連れて政務室を出た。
◇◇
ミルフィの先導で、トンはマミルダ城を駆け回る。
後ろから脱獄を手伝ってくれたリリアンが声をかけた。
「ごめん、トンくん。ベルグハンマーだけは回収できなかった。どうする?」
「構わねえさ。むしろここまで手引きしてくれてありがと。ベルグハンマーは自力で探す。お前らは先に行っててくれ」
「ええ、トンさんだけを置いていくんですか?それはできません!」
ミルフィがトンの提案を断固拒否した。
「っても、巻き込むわけにはいかねえよ」
「トンくん、君がそういって他の人を巻き込むまいとしても、みんなついて来ちゃうんだよ。その辺の気持ち、くみ取ってほしいな」
「……」
リリアンの言うことに何も言い返せない。
そういえば、今、シルビアはどうしているのだろうか。
切羽詰まった脱出の最中だというのに、そんなことを考えた。
ゼキムの蜂起で真教連との裏取引はめちゃくちゃにかき乱されたが、彼女にはまだ平穏無事でいてほしい。
間違っても自分を探してこの場所に来てなどいないだろうか。
十中八九ありえないが、前にシルビアの家を後にした時みたいに、ひょっこりこのマミルダ城に現れて「来ちゃい……ました」なんて言葉を漏らさないように頼みたいものだ。
しかし。
トンの想像は、思っていたよりも最悪な形で現実になる。
「トンッ!!」
自分の名を呼ぶ声。
太く叫ぶような色が加わっているが、あの声音は明らかにゼキム。
それでもトンは素通りするつもりだった。
ゼキムと事を構える時間はない。この手で奴を倒したいという衝動は、今この場で取らねばならない選択肢の前にあっけなく立ち消えるものだ。
奴の足元に転ばされている、シルビアの姿を見るまでは。
「シルビア…………!」
なんでだ。
まさか本当に、来てたのか、ここに。
「健気だな。彼女はお前がこの城に囚われていると聞きつけて、命がけで有志を募り、ここまで来たんだ」
ゼキムが足元のシルビアに視線を落として言う。彼女の労をねぎらっているわけではもちろんなく、声音には嘲りの色がにじみ出ていた。
シルビアは意識を失っているため、『鍵』の力は使えないはずだ。
彼女の横にはクレオ初め、シルビアに付き従ってきた剣士たちが同じように昏睡し、冷たい城の床に転ばされている。
「トン。おとなしく牢に戻れ。今なら誰も彼もが無傷で済む。選択の余地はないぞ」
「ゼキム……てめえ……!」
トンは歯ぎしりしてゼキムを睨視する。
ただし、それは一瞬だけだった。
すぐに口を縛る力を緩めると、トンはゼキムに向けてゆっくりと喋り出した。
「……ゼキム、てめえ、ベルグハンマーが欲しくはねえのか?」
ミルフィとリリアンが固唾をのんで見守っている、
シルビアはまだ意識が戻らない。その隣でクレオが、うっすらと目を開ける。
ゼキムは表情を一瞬怪訝に歪めたが、すぐに元に戻した。
「……ベルグハンマーは既にわが手の内だ。言っている意味が分からんな」
その通りだ。トンのベルグハンマーは今、ゼキムが握っているに違いない。
しかし、トンが言っているのは単にベルグハンマーの所在のことではない。
「……三年前、お前が親父の工房を襲撃した時、最初にベルグハンマーを譲れと迫ったはずだ。けれど親父はお前の頼みは受けず、ベルグハンマーは俺の手に託された。……そして、お前が師を殺してまで強奪したと思った槌は、あくまで材質や強度の適正値を取るための『試し打ち』だったわけだ」
「でもま、親父の腕が生んだ武器なら、『試し打ち』でもそんじょそこらの建物を粉微塵にするくらいの力を発揮する。
いい気になって『試作品』を振り回してるだけでも国中に恐れられるぐらいなんだからさぞやてめえも気持ちよかっただろうな。
おかげで、【本物】を持つこっちは迷惑こうむってるんだがな」
「くだらん挑発に乗る気はないぞ。御託を並べる前に目の前を見ろ。貴様の連れの命は貴様の態度如何だ」
「焦りが透けて見えるぜゼキムよ。もうちょい落ち着いて話そうぜ?
じゃねえと、親父を殺して『偽物』を掴まされた時の二の舞だぜ」
『試作品』は偽物などではないが、あえてその言葉を選んでゼキムを挑発する。
ゼキムの脅しには屈しない。これは心理戦だ。
少なくともシルビアの命を握られているトンにとって、状況を五分に持ち込むにはこれしかなかった。
即ち、ゼキムとベルグハンマーの真の継承をめぐって戦うこと。
それには、ゼキムに反乱軍の総帥でもない、ディムガルド軍の指揮官としてでもない、名刀工ガロン・ビロードビレッジの元弟子としてのプライドを喚起し、そこを突くしかなかった。
奴にガロンの弟子としてのプライドがまだ残っているのなら、ベルグハンマーの【真打】ではなく【試作品】を掴まされたというのは屈辱に値するだろう。
ガロン門下で誰よりも古く、そして誰よりも長く師事した男であればなおさらだ。
だからこそ、ベルグハンマーの真打を、形だけトンから奪っても何の意味はない、それをこの三年間振るってきたトンを倒さなければ、真の継承者とはなり得ないとトンはゼキムに伝えようとしていた。
そして一対一の、ハンマーとハンマーの戦いに持ち込む。
「提案だ。ゼキム、俺と勝負しろ。勝ったら認めてやるよ、ベルグハンマーは名実ともにお前のものだって」
たとえゼキムを倒したところでこのディムガルド軍が占有する街から逃げ切れるかどうか定かではないが、ゼキムのプライドに訴えて自分が負けたらトンやシルビア達に一切誰も手出しさせないと確約させればいい。
煽られてゼキムの顔が一瞬怒りで膨張するが、一旦弛緩し、また、余裕の表情が作られた。
「……いいだろう。はっきり言ってその申し出を受けたところで兵の余興にしかならないが、お前の心を完全に挫くにはもってこいだ。こちらからも条件を呑んでもらうぞ」
今度は、トンが怪訝な顔になる番だ。
「なんだ?」
「お前が負けたら我が軍門に入れ。そして」
ゼキムが、ゆっくりと言葉を吐く。
「……お前が負けたら、私の足元にいる眠り姫を殺してもよいと……今ここではっきりと言え。それならこの勝負、受けよう」
つまりトンにこう言えというのだ。
自分が負けたら、シルビアを殺しても良いと。
それを首肯や曖昧な返事での工程ではなく、はっきり口に出して言えというのだ。
たとえifの話だったとしても、トンにシルビアを殺してもよいなどと言わせるのは最強の精神的拷問だ。ゼキムは、それをわかって強要している。
しかし、それでもこれを言わねばトンが望む状況へ向かう道は絶たれる。
トンとシルビアと仲間たちは全員殺される。
言うしかない。
自分が負けたら、シルビアを殺してもよいと。
いくつかの逡巡を経て、トンは、ゼキムに向かってはっきりと言った。
「……言えるわけ、ねえだろ?」




