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脱獄①


 この地下牢があるフロアにはトンしかいない。


 元々は犯罪を教唆する可能性のある過激な思想犯を隔離するための施設だったらしい。


 外へつながる地下牢の階段は固く鉄扉で閉ざされ、飯を運んでくる兵士が去った後は物寂しい。


 ミルフィとリリアンがなぜこの地下牢のあるフロアに入れたのか不思議だが、彼女たちでも牢を直接開ける鍵を入手するのは至難らしい。牢の鍵は、厳重に保管されているようだ。



 だから、それに代わるものを持ってきてもらった。


 リリアンが、一人でトンがいる牢の前にやって来た。


 例のものを持ってきてもらっているはずだ。



 囚人に出す料理を運ぶふりをして、リリアンが近づく。


 囚人に出す料理(という偽装)なのだからさすがに皿の上にドームカバーまで載せるのはやり過ぎだと思ったが、とにかく「例のもの」が手に入ればいい。


 リリアンがトンの眼の前まで来てしゃがみ、ドームカバーのついた皿を置く。


 これを開けた瞬間、トンは牢を脱したも同然だ。


 目当ての品は、決して大きくない牢の鉄格子の隙間からでも、指を伸ばせば掴めるはずだ。


 リリアンがドームカバーを外そうと取っ手に手をかけたその時、



「そこで何してる?」


 一人の城兵がこのフロアに立ち入って、リリアンを視認し、怪訝な声を立てる。



「ここは許可された者以外立ち入り禁止だぞ」


「あ、あ~~、ごめんなさーい、メルフィンさんから給仕を頼まれて」


「だとしてもお前のような新参に任せるはずはない。ここに収監されているのは最重要人物だぞ」


「え、ええっと、それはですね、申し開きというか何といえばいいのかっていうか」

 

「先日から思っていたが貴様、どうも怪しいな……こちらへ来い」



 リリアンに対する城兵の態度は強硬だ。

 彼女は神父が手配した連絡要員で、しかも今回のゼキムの反乱はハナから想定外だったので、きっと急ピッチでこのマミルダ城に潜入したのだろう。ゼキム軍の兵士との信頼構築もままならない状況だったに違いない。下手に動けば疑われやすいのは当然だ。



「来いと言っているんだ」


 城兵が、一歩も動かないリリアンに声をかける。



 しびれを切らしたのか向こうからリリアンに近づく。


「こ、来ないで!」


 リリアンが叫びつつ、ドームカバーを外して盾のように身構えた。


 ナイスだ、とトンは心の中で唸る。


 ドームカバーの下にある目当ての品が、さして不自然でない形であらわになった。

 しかもリリアンが足でその品をうまく城兵の目から隠してくれている。


 もちろん、カバーの中は料理などではない。

 

 ペンとインク壺だった。


 トンは小さな牢の鉄格子の隙間から指を伸ばし、インク壺にどっぷりとその先端を隠したペンを摘まんだ。


 隙間からとると、早速牢の正面右手、鉄板が張られた場所に身を隠した。


 これがあれば、“円”が描ける。これがあれば牢を“破壊”できる。



 城兵はズカズカとリリアンとの間合いを一気に詰めてきた。


 リリアンがやめて、離してと高い叫び声をあげて(演技か本気か走らないが)、腕をつかむ城兵を振りほどこうとする。


 また一人、城兵がこの地下牢のフロアに入って来た。


「何やってんだお前、中が騒がしいから来てみたが」


 別の城兵が、同僚が年若い女の子に手を上げている場面を見ていさめるように大声を出す。


「この人、私を襲おうとしたんです!」


 ここぞとばかりにリリアンが、腕をつかむ目の前の城兵を掴んで言う。


「バカ、信じるな!こいつが立ち入り禁止のこの地下牢に足を踏み入れたから詮議をしただけだ!この女、前から怪しいじゃないか!」



 今やって来た城兵の反応は――――


「確かに、言われてみればなんでここにいるんだってなるよな。確かに怪しい。まずはそこを吐くことからだ」


 同僚に、味方した。



 リリアンがげんなりする顔を想像しながら、トンは“作業”を急ぐ。

 城兵二人の注意がリリアンに向いているなら、好都合だ。

 おとりにしているようで気が引けるが、

 トンは鉄板の上に真円に近い図形を書き込んでいく。

 

 牢の入り口の左半分を覆う鉄板に描かれた真円は、トンの能力スキル発動に必要なものだった。


 リリアンの体を二人の城兵が掴む。


 彼女の拒絶する声もだんだん本気の色を帯びる。


 脱獄を急がねば。


 しかし、ここで。


 ペンの先端についたインクが切れた。



 どうする。


 鉄板の向こうでリリアンが叫ぶ。

 時間がない。


 トンは自らの指を噛み、紅く染まった指の腹で鉄板をなぞる。


 真円が、完成した。



 今こそ発動の時。

 『破壊と再生のウロボロス』だ。



 意識を研ぎ澄まして目の前の鉄板に念じる。

 青い光が輝いて、深淵の内側がバゴンッ、と音を立てて砕けた。



 ――――『破壊と再生のウロボロス』は、真円の中に納まる物体を破壊若しくは修繕できる能力スキルである。


 ちょうど、城兵の一人がトンの牢獄に張られた鉄板の前に踏み込んだところだった。


 砕けた鉄板が城兵を穿ち、たちまちのうちに昏倒させる。



 トンは牢を抜けた。

 もう一人の敵兵があわててこちらに突っ込んでくる。

 組み合い、打ち合い、拳と蹴りの応酬が繰り広げられる。

 敵の左ジャブを躱し、右拳で腹を打つ。

 そして額に額を思い切りぶつけて敵が膝から崩れ落ちる。

 くびに一発手刀をくれて、敵を昏倒させた。


リリアンを振り返って言った。


「行くぞ!」


リリアンが頷いて後をついてくる。


「トンくん、指……」


 リリアンが流血するトンの指を見て痛ましそうな視線を向ける。


「ん?ああこれか……大丈夫でえ」


 トンは指をちゅうっと吸って、地下牢を抜ける道を走った。


 しばらく走るとミルフィが待機していて、トンとリリアンも彼女の手びきで城の脱出を図る。





◇◇


「ゼキム大佐、トン・ビロードビレッジが脱獄しました」


 政務室で、ゼキムは副官の報告を淡々と聞いていた。


「地下牢で見張りの二人が昏倒しているのが発見されました。牢は破られ、トンの姿はどこにも見えません」


「そうか……奴の捜索を継続しろ。ところで、あの件はどうなった」


「はっ、そろそろ手筈を終えてこちらに着くころだと思いますが」


 副官が言いかけるのと同期して、政務室の戸が叩かれた。


 ゼキムが入れと言うと、無精ひげを生やした男の一団がぞろぞろと入ってくる。


 そして政務室の床に、手足を縛られた人間がたくさん打ち上げられた。


「ご苦労だった……これでトンは逃れられんな」


 床に並ぶ気絶した者たちを見るゼキムの視線の先に、シルビア・ロレンティの顔があった――――。


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