第八話 この偽りを友に捧ぐ
ゴンドの入り口に人だかりができている。男たちだけで二、三十人。あれは恐らく、ヒスイの捜索隊だろう。
そこに近づく二人の姿に気づき、集団の中から一人の男が雨でぬかるんだ道を裾が泥だらけになるのも厭わず駆け寄って来た。
「二人ともずぶ濡れじゃないか。ジュスト、君は一晩じゅう山を……」
駆けながら言うクレドに向けてヒスイの籠を差し出すとその足は徐々に鈍り、全登の手前で静止した。
「ッ……それ……は……」
「サクラダケの山で見つけた。辺りには争った痕跡があった。アムラスが言うには恐らく異端者の仕業だろう、と」
全登がそう言って見やると、アムラスはごく小さく頷いた。
クレドの震える両手が籠を掴み、視線が全登とアムラスの間を泳ぐ。
アムラスはそれに耐えかね、唇を噛んで俯いた。
「皆を解散させろ。家に帰って朝餉にするぞ。詳しい話はその後だ」
その言葉で我に帰ったクレドはヒスイ捜索のために集まった村人たちの元へ行き、皆を帰らせた。
「ヒスイは何者か……異端者に攫われたと、クレドに報告する」
ゴンドへの道すがら、全登の口から放たれたその言葉にアムラスは目を見開いた。
すぐにその意図を問い糺そうと口を開きかけ、噤んだ。
訊ねるまでもなかったからだ。
「……分かった。そうしよう」
空穴に飲まれたとなれば、それはネビュラにおいて今生の別れを意味する。
しかし人の手によって拉致されたのであれば、あるいは取り戻す事も叶うかもしれない。
一方、全登はオービスからヒスイを取り戻すつもりだ。だが、その可能性をクレドが信じられるかは分からない。
ならば彼が僅かでも希望を持てるよう、事実を曲げるつもりなのだ。
それが正しい事なのか、アムラスには知る由もない。
いや、きっと正しくなどないだろう。
「蔑んでくれて構わん。友を欺く、この俺を」
「……蔑んだりしない。クレドの為なのだろう?」
「無論、そのつもりだ。それに――」
全登はそこで大きく息をついた。
「微かでも希望を残しておきたい。永き時を生きるあの親子に。それが、欺瞞に過ぎずとも」
それはアムラスの知る威厳と自信に満ちた声とは違う。
「その永き時があるいは、奇跡を起こさんとも限らん。これは俺の願望に過ぎんな」
それは縋るような祈りと自嘲。それに、身を斬るような痛みに濡れた声だった。
いつもの食卓。
小さな家族に、居候が二人。
けれどその中心で花のように笑んでいたヒスイはいない。
クレドと全登で用意した朝食を四人で取り囲むが、その空気は重苦しい。
「流石に、夜通し歩いたせいか疲れた。少し眠らせてもらう。その間に一つ、頼まれてくれ」
全登の口調はさりげなく、ちょっとしたお使いを頼むようなものだった。
「分かった。何をすればいい?」
「旅支度を頼む。一人分だ」
クレドは息を呑んで黙り込んだ。
その言葉の意味を咀嚼するように。
その間全登は静かに、クレドの言葉を待っていた。
「……君まで、いなくなってしまうのか?」
ようやく放たれた声が上擦る。
「ヒスイを連れて戻る」
「そんなことッ!!」
ガタン、と椅子を鳴らして立ち上がったクレドをコハクが不安げに見上げる。
いつも穏やかな父が声を荒げる姿を恐らく初めて見たのだろう。
「……君は強い。けど、異端者は凶悪で……数も多い。伯爵の軍だって手こずるくらいに。一人でどうこうできるはずがない」
クレドはテーブルを睨みつけたまま言い募る。
「……この事は父上にも報告する。きっと協力してくれるはずだ」
その視線がアムラスに向く。
文字通り宝玉の如き琥珀色の瞳も今は濁り、光を失っている。
「伯爵は今も全力で異端者と戦ってるはずだ。それでも奴らは滅ぶどころかその勢いは増すばかりじゃないか。それがなぜ、ヒスイを助け出せると言うんだ。それに、たかが平民一人を救出する為に軍を動かすはずがない……そうだろう?」
「み……身分など関係ない! 私は君も、ヒスイも友人だと――」
「君がどう思おうと、軍を動かすのはアムラス、君じゃない」
「ッ……」
返す言葉を持たぬアムラスが沈黙する。
「……ジュスト。君は……もうそんなに長くは生きられないだろう。十年か、長くても二十年。そんな身体で……何が出来ると言うんだ」
普段のクレドからは、決して出てこない言葉だった。
全登に対してのみならず、誰かを傷つけ、貶めるような言葉を彼の口から聴いたのはここにいる誰もにとりこれが初めてだった。
クレドは自暴自棄になっている。
無理もない。
平穏で幸福な生活が、何の脈絡もなく失われたのだから。
「この世界に来た時、俺は――明石全登は死んだ。死者である俺が今こうしているのはヒスイとクレド、お前がいたからだ」
それは静かな声だった。
平穏とは程遠い人生の、その全てを失った男の。
「故にこの命の使い道はそこにしかない。それを成せぬなら我が命に価値も意味も無い」
憤るでも諭すでもなくただ、己が意思を伝える言葉だった。
そこまで言うと、全登は椅子を引いて立ち上がる。
「お前は自分と、琥珀の事だけを考えて生きろ」
未だテーブルに視線を落としたまま固まっているクレドとすれ違うように立つ。
「……俺は寝る。旅の用意は任せた」
全登はそれだけ言うと食卓を後にし、アムラスもそれを追うように退出した。
コハクは父の隣に静かに寄り添うと爪が手のひらに食い込むほどに強く握られた拳を小さな手で包み込んだ。
「……コハ……ク……」
クレドはコハクを抱きしめると、堰を切ったように泣いた。
コハクもまた、それに釣られるように大声を上げて泣く。
小さな家族は、大きく欠けた。
けれどまだ、砕けてはいなかった。




