第六話 夜闇に消ゆ
夜の帷が降りたゴンドの村でランタンの灯が揺れる。
それも一つ二つではない。
数十か、あるいは百を超えているかもしれない。
何故か。
村祭りが催されているから――ではない。
実際、今日は年に一度、この小さな村で最も大きな祭りである祖霊祭が行われるべき日ではある。
しかしその祭祀は、一人の村人が失踪したため中止を已む無くされた。
「何か手掛かりはあったか?」
「いや……こうも暗いとね……。二次被害が起こるかもしれないし、捜索は夜が明けてからにした方がいいかもしれないね」
その言葉で一瞬、頭に血が昇る。「何故お前がそんなに冷静でいられるのか」と。
ランタンの灯に照らし出されたクレドの顔は蒼白で、視線は不安げに揺れこちらを見ようとしない。
本当は今、この村の誰よりも焦燥感に駆られているのはこの男のはずだ。
しかし彼がそれを言い出さない限り捜索は続く。そうなれば、失踪の原因すら分からぬ以上何が起こるか知れない。
その思慮深さは紛れもなく彼の美徳ではある。――あるが、本心を覆い隠して冷静を装うその有り様が今は酷くもどかしく思えた。
一つ深呼吸をしてから言う。
「……お前は皆にそれを伝え、家に戻れ。琥珀の傍にいろ。俺は山を探す」
「僕も行くよ」
ずっと走り通しだったのだろう。必死に押さえつけてはいたが、宵闇の中でも確かに分かるほどに彼の脚は震えていた。
「膝が笑ってるぞ。俺の足手纏いになるつもりか?」
そう返すとクレドは俯いて黙り込んでしまった。
「幸い、散々お前に使われたお陰でサクラダケの山は歩き慣れている。目を瞑ってても差し支えない程度には」
「……分かった。でも、少し休んだら合流するよ」
その言葉を聞いて踵を返し、村の南にある山を目指す。
「……ありがとう、ジュスト。気をつけて」
背中に掛けられた声は小さく、弱々しかったが全登の耳まで確かに届いた。
全登は振り返る事も、言葉を返す事もせずただ腰に提げた刀に手を置き、どっぷりとのしかかる闇の中へ足を踏み出す。
失踪した恩人、ヒスイを見つける為に。
「あらニャーラちゃん。来てたのね」
「おじゃましてます! おまつり、さそいにきたの!」
大きな籠を提げたヒスイが庭先でコハクと鞠遊びをしていたニャーラに気づき声を掛けると、少女は元気いっぱいに返事をした。
ニャーラはコハクの一つ年上の狐族だ。
長命の狐族はそれ故に出生も少なく、結果として同世代の子供というのは希少になる。そして他種族の子供たちは彼女たちより遥かに早く大人になり、老い、死んでいく。
だから同種族の、しかも歳の近い友人というのは実に得難い存在と言える。
「コハク、お母さんはちょっと山に行ってくるから良い子にしてるのよ」
「ん」
コハクは短く答え、鞠をニャーラへ投げ返す。
「ジュスト、二人をよろしくね」
「ああ。茸か?」
「それもだけど、今日は祖霊祭だから」
「サクラダケの葉か」
この村ではこの時期、慰霊の為に祭祀を執り行い、サクラダケの葉で笹の葉のように舟を編んで川に流す風習がある。
そのための葉を毎年ヒスイが集めて来るのを思い出した。
「同行しよう」
「……急にどうしたの? いつも一人で行ってるし大丈夫よ。あなたを見つけた時だって――」
「そうだな。……明るい内に戻れ」
ヒスイの言葉を遮るように言う。
自分でも何故このような言葉が口をついて出たのかが分からない。
分からないが、いやに胸が騒ぐ。
「うん。じゃあ、行ってくるね」
そう言って咲かせたいつも通りの笑顔が、殊更大きな波を胸の内に起こしたのだった。
夜の山は不気味なほどに静まり返っていた。
時折り吹いた風が起こす葉擦れの音だけが耳を撫でてゆく。
月のない夜道を、ランタンと星明かりだけを頼りに歩く。
新月だからではない。ネビュラには月がないのだ。
必然、ネビュラの夜は暗い。
星は同じように輝いているが、同じ星空であるのかは全登の預かり知らぬ言葉をであった。
あの時、直感に従って無理にでも付き添っていればこのような事態を防ぎ得ただろうか。
ヒスイが何故帰って来ないのか、その理由が分からぬ以上考えても詮無い事ではある。
可能性はいくつかある。
一つは、何らかの理由で今の生活を捨て自ら村を去った、というものだ。しかしこれは考え辛い。
全登の目から見てもヒスイは幸せの真っ只中にいた。
最愛の夫に可愛い娘。穏やかな生活。
何より、あのヒスイが家族を捨て、裏切るなど考えられなかった。
公都にいるという両親を気にしてはいたが、会いに行くにせよクレドに黙って行くとは思えない。
二つ目は第三者に拉致された、というもの。
近ごろ邪教徒、あるいは異端者と呼ばれる連中が各地で暗躍しており、特にここゴンドはその本拠とされる女神の足跡からそう遠くない位置にある。
その目的は不明だが、人が拐われる事案も存在するとの事だから、ヒスイがその触手に囚われたという可能性はあるだろう。
狐族は希少な種族で、未来を予知する特異な力を持つ。
その力を欲する者が異端者やそれ以外にいてもなんら不思議はない。
仮にそうなのであれば、この身命を賭してでも取り戻す。
刀に置いた左手に力が入る。
三つ目は、喩えば崖から滑落するなどして負傷し、身動きが取れなくなっているという可能性。
ヒスイは治癒術も使えるが、体力を著しく消耗するか故に怪我が治癒してもすぐに動くのは難しかろう、というのがクレドの見立てだった。
これが最も可能性が高く、最も彼女を救える望みがある。
どうかこれであって欲しい、というのが全登の思いだった。
そして最後が――空穴に飲まれたというものだ。
あの時、全登が宙に黒く口を開けたそれに飲み込まれたように。
実際に、それが原因とされる失踪事件はこの付近では稀に起きているらしい。
それこそ数十年に一度、などという頻度ではあるが、神隠しはこの地に生きる者全てにとりいつでも起こり得る事なのだ。
もしもそうであるならば、ヒスイを取り戻す事はおよそ不可能に思える。その難しさは全登が身をもって証明しているからだ。
そして、考えてしまう。
もしもヒスイが空穴に飲まれたのであれば、共にその場にいれば故郷に帰ることが叶ったのではないか――と。
全登はかぶりを振って歩を進める。
全登含め、皆の願いは一つ。
ヒスイが無事に戻り、穏やかな日常が戻ること。ただそれだけだ。
最初は山道を。
次は藪の中に踏み込んで。
時折りヒスイの名を呼ぶが、その声は風の音と真っ黒な闇の中に融けていった。
いつしかランタンの脂が切れ、辺りは完全な暗闇に包まれたが、それでも歩みを止めなかった。
闇に目を凝らしつつ歩いて、歩いて――
やがて少しずつ、夜が白み始めた。
東に聳える尖塔の如き山々の合間から日が昇り、薄桃色の葉に付いた朝露を輝かせる。
日光が頭上を覆う葉の隙間から降り注いだ。
目の前に照らし出された光景。
投げ出された大きな籠。
籐のような蔓を編んだそれは、見覚えのあるものだ。
少し離れた所では稈を丸く抉り取られたように失ったサクラダケが円を描くように倒れている。
そして、足元を覆う薄桃色の葉はある一点を中心に渦を巻くかの如き紋様を描き出していた。
まるでその真上で空間が巨大な鞠の形に切り取られ、それを中心に空気が渦を巻いたかのように。
そして全登は悟る。
たった一つの切なる願いが、二度と叶わぬことを。




