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第五話 揺れる十字架


 鋭い突きが全登の左脇腹を掠める。

 アムラスは踏み出した右足をさらに強く踏み込んで、そのまま木剣を横に薙いだ。

 突きから斬撃への自然な切り替え。これはアムラスが何十年もの間磨き続けた必殺の剣技だった。

 しかしその切先が全登の胴を捉える前に、木刀がその間に滑り込んでいた。

 全登は難なくそれを受けると、手首を返す。

 くるり、と木剣が円を描き、その回転がアムラスの握力を上回る。

 

 こーん、と乾いた音を残して木剣が青空に舞った。

 

 アムラスは空になった手を膝につくと、そのままその場にへたり込んだ。


 「腕で振ろうとするな。足腰の連動を意識しろ」

 肩で息をするアムラスを見下ろして、息一つ乱さぬ全登(てるずみ)が言う。

 アムラスは何か言おうと口を開いたが、荒い息が漏れるばかりで言葉にはならなかった。


 率直に評価するならば、剣士としての筋は悪くない。

 目も良いし、体の使い方もしなやかでそつがない。

 技術だけ見るならば老練の域に達しており、なるほどこれが長命の者の優位性かと全登は気づきを得た。

 身体が大きくなればあるいは、貴族の社交における剣術界ではいずれ敵なしとなるがしれぬ。

 しかし戦場(いくさば)に立つ武士(もののふ)として見るならば最も重要なものが欠けている。それも、決定的に。


 「言ったはずだ。俺の骨を叩き折るつもりで打ち込めと」

 最後の斬撃。

 全登の胴までほんの一寸というところでその切先に迷いを見た。

「し……しかし……」

 全登の厳しい口調にアムラスが口ごもる。

「心配せずとも、今のお前などに折らせてはやらん。それともお前は戦場にあって目の前の(かたき)の骨を折りたくないなどと申すつもりか」

「てっ……! 敵に容赦など致しません!」

「するさ。お前は」

 そう即答され、アムラスは拳を握って俯いた。


 敵。

 牧歌的で平穏そのものに見えるこの世界においてもやはりそれは厳然として存在し、その存在こそが伯がアムラスを全登に預けた理由でもあった。

 

 アルヴァン辺境伯の治めるこの一帯は深い森林や切り立った山脈に囲まれた文字通りの辺境地だ。

 そしてその領地の中心には”聖地”と呼ばれる盆地がある。

 かつて女神が初めてこのネビュラに降り立った際に出来たとされるそれは”女神の足跡”と呼ばれ、現在では邪教徒の巣窟となっているらしい。

 辺境伯に課せられた使命とは即ち、邪教徒どもを駆逐して聖地を奪還する事だ。

 少ない領民から兵を募り、伯は今日も全線に立ち続けている。

 そしてその嫡子たるアムラスもまた、その宿命から逃れることはできない。


 乱世に生きる領主とて、慈悲の心を持つのは決して悪いことではない。

 強く、正しいだけでは人はついてこない。

 こと辺境を治める領主とあらば、仁をもって人心を掌握するは必須の才であろう。

 しかしそれも行き過ぎればやがて領民、領地共々彼の身を焼くことになるだろうと全登は予期していた。


 くいくいと服の裾を引かれて足元に目をやる。

「じゅすと……あむらすをいじめないで……?」

 すると、コハクが手拭いを差し出して不安そうにこちらを見上げていた。

「……琥珀。危ないから稽古中は家の中にいろと言っただろう」

「ぽこぽこって音がしなくなったから」

「……そうだな」

 頭の上に手を置くと、大きな耳がくすぐったそうに跳ねる。

 どうにも、コハクの前では毒気を抜かれてしまう。

「アムラス、今日はここまでだ」

 少しほっとした表情で汗を拭うアムラスに声をかける。

「はい、先生」

「……その先生、というのはよせ。お前の方が余程年長だろう。それに敬語も必要ない」

「しかし……父上があなたを師と仰げと……」

「ならば伯の前でだけそう装え。俺はお前より若輩で、この世界では新参者だ。過分な敬意は邪魔だ」

「邪魔……とは?」

「友誼を結ぶにおいて、だ」

 少年の顔がパッと晴れ渡った。

 コハクから受け取った手拭いで汗を拭きつつ縁側へ歩く全登の背を、アムラスは慌てて追った。


 「……こうして女神様は長い旅の果てにこのネビュラに来られたんだ」

 縁側に腰掛け、小さな足をぷらぷら揺らしながらクレドの話を聞いていたコハクが小首を傾げる。

「とおい、お星さまから?」

「そうだよ。それからこの世界をアニマの祝福で満たし、僕たちヒトを造ったのさ」

「すごい! 女神さま!」

 クレドがコハクに語り聞かせているのはこのネビュラの創世神話だ。

 この男の言葉は不思議と耳馴染みがよく、スッと頭に入ってくる。

 全登は胸のロザリオを弄びながら、幾度か聴いたその話に耳を傾けていた。


 そこで語られる神話はやはり、全登の知るそのいずれとも異なる。

 神が世界を創り、人を造る。

 それは数多(あまた)語られる神話と大枠では共通していると言える。

 

 ()()()()()

 

 それがこの世界における神話の特異性だ。

 キリシタンにしろ仏道にしろ、聖人の手により()()が起こされたという話は枚挙にいとまがない。

 しかしそれは決して、全登の前に示されることはなかった。

 

 ――否。


 この身に降りかかった唯一奇跡と呼ぶに相応しい現象とは即ち、全登をこの異界へと送ったあの()()だ。

 とは言えあれを神の御業だなどとは、全登には断じて認められなかった。


 しかし、この世界にはアニマと呼ばれる不可視の力が存在し、ヒトの意思により奇跡としか呼びようのない事象を引き起こす。


 ヒスイがアニマを使って火を起こすのを何度も見てきたし、クレドが突然の夕立をその日の朝に予知したのも片手で数えられる回数ではない。

 体内にアニマを持つネビュラの民はその力で怪我を治せるし、滅多なことでは病にも罹らない。


 正しく神の祝福としか言い表しようがなかった。

 そしてその事実は、全登の信仰を揺るがしていた。


 「せん……ジュストの胸にかかっているそれは何かのシンボルなのか?」

 同じように縁側に座り、ヒスイが淹れてくれた冷たい茶を飲んでいたアムラスがロザリオを指差す。

「そうだ。神に祈るのに使う」

 本来、首に提げる物ではない。

 目に見えるところに身に付ける事で信仰を忘れまいとする、全登のささやかな抵抗だった。

「銀……繊細な細工だ。けど、確かに創世教のシンボルとはまるで違う意匠……異世界の信仰か……」

 顎に手を当ててまじまじとロザリオを見るクレドの視線に居心地が悪くなり、それを服の中へ入れた。

「あまりじろじろと見るな」

「す……すまない。オービスの信仰に触れてつい興奮してしまって。異界の神に対し、礼を失した振る舞いだった」

 そう言って申し訳なさそうに首を垂れるクレドに全登は手を振って制する。

「そうじゃない。……これは俺自身の問題だ」

 

 ()()()()

 ネビュラは全登の信ずる神が創った世界ではない。

 ならば元いた世界はどうか。

 あの世界に主の実在を証明するものなどあっただろうか。

 

 ――全知全能たる創造主が存在するならば、何故(なにゆえ)宣教師(バテレン)が来訪するまでその教えが日の本に影も形も無かったのか。


 何故、世界は死と不条理で満ちていたのか。

 

 立ち上がると、懐でロザリオが揺れた。

 

 疑う余地なく神の加護を受ける彼らを少し、羨ましく思う。


 そうであったなら、このように揺らぐ事など無かったろうに。

 

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