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第四話 アルヴァン辺境伯


 鳥の羽根で(こしら)えた青い浮きが二度三度沈んだ。

 四度目に合わせて竿を立てると、サクラダケのそれが大きくしなる。


 ――なかなかの大物だ。


 隣で石の上に腰掛けて水面を眺めていたコハクが立ち上がる。

「じゅすと!! つれた!?」

「それはこれからだ……!」

 水面が波立ち、魚の動きに合わせて竿を操る。

 しばしの格闘の後、徐々に魚の勢いが衰えたところを見計らって竿を引くと、水飛沫を上げて獲物が宙を舞った。

 その勢いを利用して陸の方へ竿を振り、魚を釣り上げた。


 川辺の岩の上でビチビチと暴れる鱒に似た魚をコハクが恐る恐るつつき、大きく跳ねたそれに驚いて尻餅をつく。

 その様子に全登(てるずみ)が思わず笑うとコハクは頬を膨らませ、その膨れっ面を見てもうひと笑いする。


 見上げると青い空を白い雲がゆっくりと流れていく。

 こうしていると、ここが異界である事を忘れそうになる。

 空があり、雲が流れ、川には魚が泳ぎ、里には人々の営みがある。

 と、同時にこの穏やかさはかつて全登の生きてきた世界に於いては稀なるものでもあった。


 桃源郷とは正に、このような場所であったのかも知れぬ。


 今日はクレドも釣りに同行する予定になっていたが、急遽この地の統治者が視察に訪れるとの事でその対応に駆り出された。

 そこで全登は夕餉(ゆうげ)の調達とコハクの子守りを買って出たのだった。


 「帰るぞ、琥珀。今夜はこいつらをヒスイに料理してもらおう」

 魚を魚籠(びく)に入れ、コハクの頭に手を置いて言う。

「うん!」

 すぐに笑顔になったコハクは大きく頷き、こちらに右手を伸ばす。

 全登はその手を潰さぬよう、包み込むよう気を付けて握った。


 コハクが生まれてからはや四年の月日が経った。

 長命の狐族と言えどある程度の年齢までは人と同じ早さで育つようで、その姿は凡そ四つの(わらべ)と相違ない。

 クレドもヒスイも全登を家族のように扱い、コハクは祖父の如く慕ってくれている。

 しかし、そこには葛藤もあった。

 所詮、己は異邦からの迷い人に過ぎず、この身に残された時もそう長くはないだろう。

 だが、もしもこの小さな家族に禍いが降りかかろうとするならば、老骨を最後の一片まで灼かれようとも守り抜くつもりであった。


 コハクの手を引いて土手を登ると、前方から集団が歩いてくるのが見えた。曲がった腰で先頭を歩くのはここゴンドの村長(むらおさ)だ。

「これはジュスト殿。丁度良いところに」

 村長の後ろには長身の男が立っていた。

 細身の体に南蛮人のような顔立ちに長い耳。この世界ではエルフと呼ばれている人種だ。

 身なりの良さを見るに貴族だろうか。

 その背後に付き従う者たちも、殆どがエルフだった。とすれば、かの者が(くだん)の領主だろう。

「村長殿。そちらの方々は?」

「こちらは――」

「アルヴァンだ。エルフィリアの統治を任されている」

 村長の言葉を遮るように放たれた声には威厳が満ちていた。

 その威圧感に押されてか、見知らぬ人物に怯えたのかコハクは全登の手を掴んだままその背後に身を潜めた。

「領主殿でしたか。これは失礼を」

 アルヴァン辺境伯。

 神都で執政官として辣腕を振るっていたが、その有能故に元老院から疎んじられ叙爵を受け体よくこの辺境へ()()されて来たと聞いた。

 エルフィリアの地に着任してからは野盗を駆逐し、街道を整備し、治水に注力し、とかく善政を敷いていると専らの評判だった。


 (こうべ)を垂れる全登をアルヴァン伯が手で制する。

 「そう畏まらずとも良い。貴君が噂のワタリビトだろう。異界で領主を務めたというその知見。是非伺いたい」

 思わず村長の顔を見ると、なぜか満足げに微笑んでいた。

 元の世界で何をしていたかは、ある程度言葉を話せるようになってから洗いざらい吐かされた。

 余りにも仔細な説明を求められるので不思議に思っていたが、なるほど統治者へ報告するためだったのか、と今更になって合点がいく。

(それがし)の如き若輩から得られる知見があるとは思えませぬが。見ての通り、今の某は釣りなどを嗜み余生を過ごすばかりの身ゆえ」

 そう言いつつ魚籠を掲げて見せる。

 三十路そこそこにしか見えぬこの男に全登がこのように(へりくだ)るのは単に領主という立場に対してだけではない。

 エルフという種族がヒスイたち狐族同様、その見た目にそぐわぬ極めて長い寿命を有しているからだ。

「貴君の伝えた農法でこの里の収穫量は目に見えて増加したと聞いている。戦乱の世を戦い抜いたそなたは希少なワタリビトの中でも殊更稀有な存在であろう。――アムラス」

 伯爵に名を呼ばれ前へ歩み出たのは聡明そうな少年だった。

 歳の頃は(とお)くらいだろうか。――あくまで人間であれば、だが。

(せがれ)だ。(よわい)はまだ二百ほどだが、ゆくゆくは我が跡を継ぐ事となろうが――いささか気の小さなところがあってな。乱世を生き抜く気概をこやつに伝えて欲しい」

「……ネビュラは平穏に見えますが」

「貴君の目にはそう映るか。それもこの世界の真実ではある。が――」

 伯爵は目を細めてアムラスを見る。

「いずれ領主として決断せねばならぬ時が来る。その時に貴君の教えは道標となると――これはまあ、私の直感のようなものだ」

 いずれ世が乱れ、時の為政者は決断を迫られる時が来るという伯爵の言葉は、ある種予言のように全登の耳に響いた。

 アムラスはその意を汲みきれず父の顔をぽかんと見上げている。

「お前からも頼め。お前の()()となる方だ」

 伯爵に背を押され、少年は頭を下げる。

「……お願いします。……先生」

 遥か()()()()()に先生などと呼ばれ、あまつさえ頭まで下げられるとなんとも居心地が悪く、奇妙な感覚だった。

「……承知した。某でお役に立てるかは存じ上げないが」

 領主の頼みを断るとなると、あるいはヒスイ達にも迷惑をかけるやも知れぬ。

 逆にここで恩を売っておけば何かあった際ヒスイ達、あるいはゴンドの里に便宜を図ってもらえるかも知れないとの打算もあり、了承する事にした。

「構わん。その教えを生かすも殺すもこやつ次第だ」

 伯爵はそう言うと豪快に、されど品よく笑った。


 そんなやり取りを、コハクは全登の手を握ったまま不思議そうに見つめていた。


 願わくは伯爵の予言が外れ、この小さな温もりが失われざる事を願う。


 


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