第三話 琥珀
斧を振り、稈の根元に打ちつける。
二度、三度、小気味の良い音を響かせた後、葉の擦れる音を残してサクラダケが倒れた。
その後を追うようにしてはらはらと薄桃色の葉が舞い落ちる。
竹林の中で桜に降られるようなこの奇妙な光景にももう慣れた。
全登は伐ったサクラダケを縄で束ねると、それを肩に担ぐ。
ずしりとした重みが肩にかかり、サクラダケが重力にしなる。
それは正しく、この世界で生きる実感そのものであった。
「やぁジュスト。すまないね、サクラダケの伐採を任せてしまって」
「居候の身だ。むしろもっとこき使ってくれていい」
クレドにそう返し、資材置き場にサクラダケを置く。
「それより、そろそろ産まれるのだろう? お前は翡翠の側についていてやれ」
運び込んだサクラダケに手を伸ばし、加工作業に入ろうとするクレドを止める。
「……そうだね。どうやら僕は未だに父親になるという実感が湧かないらしい。君の何倍も永く生きてるっていうのに。いやはや、情けないよ」
そう言って頭を掻くクレドの肩に手を置く。
「産まれればいやでも湧く。家に戻れ。下拵えは俺がしておく」
「……ありがとうジュスト。それじゃあお言葉に甘えて僕はヒスイの所に行くよ」
その背を見送ってから、サクラダケに鋸を入れる。
ここに迷い込んでから、はや二年が経った。
ネビュラと呼ばれるこの場所は、恐らく全登のいた世界とは別の世界なのだろうと漠然と理解している。
あの後ヒスイに導かれるままにゴンドへ連れてこられ、そのままなし崩し的にクレド、ヒスイ夫婦の家に居候することとなった。
ネビュラでは全登のように異界から迷い込んだ者をワタリビトと呼ぶらしい。
ここゴンド村には現在他のワタリビトが三人おり、彼らの助けもあって今では簡単な日常会話くらいはこなせるようになっていた。
サクラダケを乾燥台に並べ終え、離れの工房から家へと戻る。
玄関の戸を開いたその時、家の奥から赤子の鳴き声が響いた――かと思うと、声の方向からクレドがドタドタと走って来る。
「ジュスト! 君を呼びに行くところだったんだ! 産まれたんだよ! 女の子だ!」
クレドは焦茶色の尻尾をわさわさと振りながら明るい声を上げた。
普段物静かな彼から浴びた聞いたことのない声量に、思わず笑みが漏れる。
「落ち着け。俺を呼ぶよりまずはヒスイを労ったらどうだ」
「……それもそうだね。じゃあ一緒に行こう!」
そう言って無邪気に全登の腕を引くこの男は、一見元服して間もない少年にしか見えないが、数百年の時を生きていると言う。
その威厳を感じさせない素朴な夫婦を、全登は好ましく思っていた。まるで、家族のように。
クレドが扉を開くと、汗で狐色の髪を額に張り付かせたヒスイが赤子を抱いて笑んでいて、その横で産婆が桶で赤く染まった手拭いを洗っていた。
戸の音に気づいたヒスイはクレドを見咎めて口を開く。
「クレド、急に飛び出して行って……ジュスト!」
ヒスイがクレドの背後に立つ全登の姿に気づく。
「大義だったな。おめでとう、二人とも」
「……ありがとう。あ、そうだ」
クレドが少し言葉を濁すように続ける。
「相談なんだけど、もし良かったら……この子の名前はジュストが付けてくれないか?」
「……なぜ俺に?」
「ヒスイと話してたんだ。彼女も、ワタリビトに貰った名前だからね」
そう言ってクレドがヒスイを見ると、彼女はゆっくりと頷いた。
そう言われても咄嗟には出てこない。
そもそも、この世界での名付けの規則など知らないのだ。
そう言えば、ヒスイの名はその瞳の色そのままだったが。
ヒスイの腕の中で産まれたばかりの赤子が、全登をじっと見ていた。
透き通るような、黄褐色の瞳で。
「――琥珀」
思わず口走っていた。
「コハク……とっても良い名前」
ヒスイが愛おしそうに赤子を抱き寄せる。
「うん。それはオービスの言葉かい?」
オービス。
この世界では元いた世界をそう呼んでいる。
「……そうだ。この子の瞳の色を俺の国では琥珀色と呼ぶ。お前の瞳と、同じ色だ」
「僕と同じ……コハク……か」
目を細めて赤子を見つめるクレドと、聖母のような微笑みで我が子を抱くヒスイを全登は眩しそうに眺めていた。
全てを失って辿り着いた場所で出会った、唯一守るべきものを。




